おまけ
スタート地点の多摩川駅と多摩川のあいだ、東横線・目黒線が切り通しを通る。ここも浅間神社古墳の一部なのだ。
そう言われてみると法面の形が古墳っぽい。
東横線いちばんのみどころである。
東急の多摩川駅から二子玉川駅にかけて、古墳が並んでいる。
あのあたりの東急線は東急古墳線と呼んでも過言ではない。今日からそう呼ぼう。きっと古墳沿いに線路を敷いたのだろう。
そんな東急古墳線から魅力的な古墳を3ヶ所満喫してきた。
※この記事はデイリーポータルZの運営元であるイッツコムのサービスエリアの魅力を紹介するつもりで作りました。
冒頭でも書いたが、多摩川の東側、大田区~世田谷区は古墳エリアである(荏原台古墳群と呼ばれている)。その横を東急線が通っているのだ。
今回はまず多摩川駅近くの古墳に行き、北上して別の古墳を満喫しよう。
メンバーは僕のほかにデイリーポータルZのライター、西村まさゆき、伊藤健史、きだてたくの合計4名である。4月に廃線跡を見てはしゃいだDPZ郷土史クルーだ。そこに動画撮影の西垣Dも同行している。
スタートは東急多摩川駅。田園調布にも近い高級住宅街だが、駅前の案内図で指さしているところは
田園調布という地名のなかにおなじみの鍵穴のシルエット。亀甲山古墳は「かめのこやまこふん」と読む。声に出してみると駒大苫小牧ぐらいかわいい響きである。
まず目指すのはこの かめのこやまこふん である。多摩川台公園という公園のなかにある。
このペースだと今日の取材は12時間ぐらいかかるのではないかと思ったころ、古墳らしきこんもりした山が見えた。
手前は浄水場跡で現水生植物園である。ザリガニ釣りをしている人の横を通り抜けて古墳の脇に出る。
正直………どこが?と思うだろう。現地でも我々も大いに戸惑った。(でも大丈夫。今回の原稿は古墳を紹介しながら、徐々に古墳を見分けられるようになるという成長物語もあるのです。)
茂みに沿って歩いているとなんとなく窪みのようなところがある。気がする。円墳と方墳の境目である。
現場では見えた気になっていたのだが、写真だとまったくわからない。よく見ると右のほうが地面が盛り上がっているだろう。
しかし現場で伊藤さんが古墳を見るいい方法を見つけた。
「やっぱり人工物だなー」と伊藤さんになるほどという気持ちと結局フェンスか…という気持ちが混ざる。
亀甲山古墳の隣には小規模な古墳が7つ並んでいる。多摩川台古墳群だ。
となりにあるが、2つの古墳のあいだには100年以上の時間の隔たりがある。
亀甲山古墳の後の時代、この地域の豪族の勢力は世田谷・上野毛あたりに移り、それからまた大田区に戻ってくるのだ。
その2つの地域をいまは東急大井町線と東急バス園01系統が結んでいる。
で、古墳が世田谷から戻ってきたら亀甲山古墳よりも小さい古墳をたくさん作り始めるのだ。
オレンジの玉が古墳
しかしここで古墳のシルエットを体感する方法をあみだした。
こうすると円墳の存在を身体で感じることができる(伝わってますよね?)。古墳しぐさと名付けたい。
ただ気になるのはこのとき撮影してくれた西村さん西垣さんが「よくわかります。すごいすごい」と接待ゴルフの「ナイスショット!」のようなテンションで声をかけていたことである。
いったいどんな人が埋葬されているのか思いを馳せたり、いまおれは気遣われていないか心配したり、気分は1500年の時間を行き来する。
ほかにも
工夫していると、だんだんなにもしなくても古墳の形がわかるようになってきた。8つもあると徐々に分かってくるのが面白い。体験型である。
なんとなくの膨らみを古墳見えてきた!と盛り上がっていたが、公園にあった前方後円墳型滑り台の分かりやすさに言葉を失った。
でも古墳群の北にある蓬来山古墳(ここでまた時代が100年以上ほど遡る)は古墳に登れるため、古墳のもりあがりを堪能できた。
大田区編はこれで終了、世田谷の古墳に移動する。古墳群からそれるともうそこは田園調布の超高級住宅街である。
次に向かうのは野毛大塚古墳。古墳が復元されているらしい。大田区の野趣あふれる古墳とはまた違った味わいだろう。
住宅の隙間にあるちんまりとした山である。鉄の柵で覆われているし…。「次の古墳はちょっとすごいですよ」とメンバーに期待させて連れてきてこれはない。
入口に戻って看板を見てみると、
「あ、古墳間違えた!」
人生でこんな珍しいセリフを言うとは思ってなかった。野毛大塚古墳に行こうとして、上野毛観音塚古墳に行ってたのだ。グーグルマップで違う古墳を指定していた。
つまりこのあたりにはそれぐらい古墳が多いということである。行きたかった古墳まで近いので歩いて移動する。
古墳も文字もでかいのはよい。すっかり気分は古墳時代である。(古墳時代に文字はないけど)
間違えた末に到着したのが野毛大塚古墳である。この古墳は公園のなかにあり、野球場の横にあるらしいのだが…。
ホームベース側。バックネット裏が古墳である。言ってみればこの球場は古墳の前でいつも野球をやっているのだ。奉納野球である。
作られた当時の形に復元されている。第二次世界大戦前はこのあたりがゴルフ場で、古墳の山のまわりにゴルフコースが並んでいたという。それもすごい。今は野球だけど。
この形は帆立貝形古墳と呼ばれている。前方後円墳より四角の部分が短くてかわいい。
当時日本を治めていたヤマト王権に前方後円墳を作ることを許されなかった首長の墓だと言われている。「お前大したことないから前方後円墳じゃないやつな」ということだろうか。
変形学生服を着られるのは上級生だけ、みたいな話である。
岐阜の「阜」や、シークヮーサーの小さい「ヮ」と同じだ!とエキサイトしている。石丸電気の「でっかいヮ~」も小さいのではないかという意見が出たが結論は出なかった。
古墳は作られた当時の姿になっているので、角がしっかりしていて気持ち良い。
平らな部分にはハニワが立っていたので再現してみたが、実際は人の形ではなく円筒形のハニワだったらしい。なので再現ではなくただのアーティスト気取りの写真となった。
古墳はロックフィルダムのように表面に石を敷いていたそうだ。雨に濡れて滑りやすくなっていた。きっと昔の人も滑っただろう。
この出っ張り部分から古墳の頂上を見るとこんな感じ。
古墳の上で儀式をしていたらしいのでこのように見えたのだろうか。ちなみに上から見た景色はこう。
経年変化をそのまま活かす大田区と、できた当時の形にこだわる世田谷区。好対照の古墳である。
東急古墳線を満喫するツアーの最後に古墳の前で記念写真を撮った。その写真が冒頭の写真だ。
スタート地点の多摩川駅と多摩川のあいだ、東横線・目黒線が切り通しを通る。ここも浅間神社古墳の一部なのだ。
そう言われてみると法面の形が古墳っぽい。
東横線いちばんのみどころである。
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