奇抜な名前をつける人は昔からいた
アクロバティックな漢字の読み方をさせるような、いわゆる「キラキラネーム」を子供につけるひとがふえているといわれています。こういった「奇抜な名前」をつけるひとは昔から一定数いました。
明治大正時代から昭和時代のそういった「珍名」さんをやたらと集めてまとめた本があります。荒木良造著の『姓名の研究』という本です。
著者の荒木良造氏は、彼の他の著書『名乗辞典』の略歴によると、1910(明治43)年、東京帝国大学国文科を卒業後、文部省国語調査委員会嘱託、1918(大正7)年〜1942(昭和17)年まで同志社大学教授兼図書館長を務め、著書に『姓名の研究』、『名乗辞典』の他に『詭弁と其研究』があるとされています。
著者の荒木氏が、あらゆる書籍、新聞、雑誌、官公庁の職員名簿などに載っていた、人の名前をチェックし、奇姓、珍名を収集し、ジャンルごとに分類しています。
荒木氏は半分趣味、半分研究目的で行っていたようで、主観で興味の赴くまま集められたという珍名のリストは圧倒されるものがあります。
前置きが長くなってしまいました。早速みていきましょう。
長い姓について
珍名としてやはり気になるのは長い名前じゃないでしょうか。「名前が長い」というだけで、落語のネタになったり、ピカソの本名が話題になったりするわけですから、永遠のおもしろテーマといえるでしょう。
この本では、長い姓と長い名の二つにわかれています。なかでも気になったのが「左衛門三郎」という名字です。
なぜ、ぼくが左衛門三郎が気になるのかというと、小学生の頃に熟読した学研学習まんが事典シリーズの『人名・地名おもしろ事典』に日本一長い名字として紹介されていたからです。
『姓名の研究』では「さえもんざぶろう」という姓は、佐右衛門三郎と左衛門三郎の2パターンが掲載されています。しかも、佐右衛門三郎の方は、鼻歌を警官に咎められ、名前を名乗ったところ、ふざけんなといきなり殴られたというひどいエピソードまで載っています。
明治時代は粗暴な人が多いのでさもありなんという感じですが、それよりなによりもっと気になったのが左衛門三郎の後ろにある長い名字、上沼田下沼田沼田又一又右衛門です。
解説によると沼田までが名字で、又一からが名前だそうですが、あまりにも長いので、沼田又一に改名したとの由。うさんくせえかぎりです。
ネットで検索すると、この名字については漢字研究者の笹原宏之先生がすでに調査されてました。
笹原先生によると、小浜藩の藩士に元々「沼田」で、三代目以降「下沼田」を名乗る又市という藩士が複数人いたことが確認でき、これらの人名がまざって誤伝されたのか、幕末に改名してマジで上沼田下沼田沼田を名乗ったかのどれかだということでした。ただし、今現在、この姓を名乗る人はいないでしょう。
ちなみに、最初の方に、勘解由小路だとか、勅使河原みたいなわりとメジャーな名字にまざって載っている「波々伯部」は「ほうかべ」と読み、丹波篠山のあたりに数軒だけある希少な名字です。タレントの山之内すずの母方の実家が波々伯部だというのを前にテレビで見ました。
長い名前について
さて、名前の方で長い名前もかなりの数が載っています。
いちばんきになるのが、澤井麿女鬼久壽老八重千代子でしょう。神官だったお父さんが、やっとのことで授かった子供に、事前に考えていた名前を全部つけちゃったのがこの名前だそうです。
この方は、2003年に、大阪府四條畷市に91歳でご健在であることが、朝日新聞によって確認されているようです。なお、麿は、麻呂と分けて書くのが正しいとのことで、そうなると麻呂女鬼久壽老八重千代子となり、さらに文字数が増えます。
平平平平臍下珍内春寒風衛門。『姓名の研究』では「宇都宮の人」としか書かれていませんが、国会図書館のデジタルコレクション(以下国会図書館DC)を検索すると、昭和初期にたくさん出ていた珍名集に、宇都宮市塙町(塙田の間違いか)に住む、剣術士であり義士の崇拝家という情報が出てきますが、それ以上はよくわかりません。おそらく、本名ではないでしょう。
もう一件、吉田藤金作多田作兵衛についてです。解説によると、お父さんが政治運動に狂奔しており、子供が生まれた頃に当選した国会議員2人の名前をまとめてつけたとありますが、藤金作多田作兵衛をどう分解すればふたり分になるのかよくわかりません。これも国会図書館DCで調べると意味がわかりました。
藤金作と多田作兵衛でした。しかも、藤金作は「ふじきんさく」ではなく「とう・きんさく」というややこしさ。ということで、吉田藤金作多田作兵衛は「よしだとうきんさくたださくべえ」でした。
藤金作については『藤金作翁』(清原陀仏郎)という評伝が出ています。逸話という章には断髪令で切った自分のちょんまげを女学生に見せびらかして昔話をしていたとか、砂糖を1日1斤(600グラム)なめていたとかの変なエピソードがいっぱい載っており、さらに気になりましたが、話が逸れすぎるのでやめます。
長い名前もうちょっと続きます。
高倉田子の浦打でゝ見れば白妙、でしょうか。百人一首の山部赤人の歌がそのまま名前という人です。前出のページには、高倉打出見れば白妙(兄)、高倉冨士野高嶺(妹)という人たちも記載があり、関係者でしょうか? 謎です。
国会図書館DCで調べてみると「高倉田子の浦に打出てみれば白妙の」が姉で「高倉冨士野高嶺に雪は降りつつ」という妹がいるという説、または、8人の姉妹に、「田子」「浦」「白妙」を分けて付けたという情報も出てきますが、詳細は不明です。
醜男、不美男という名前
東醜男という名前の人がいます。名前の読みはブオトコでしょうか? シコヲの可能性もありますが、よくわかりません。
魔除けのため、子供にあえて汚い名前をつける。という話があります。例えば、「丸」は、子ども用の便器のことを「おまる」というように、ウンコのことを指す言葉でもあったと言われていて、子供の幼名に梵天丸だとか、牛若丸みたいに丸を付けたり、船名に丸をつけるのは、臭いものを嫌う鬼に連れて行かれないようにするため、という意味があるとも言われているそうです。
でも、醜男はどうなのか。しかもこの方、憲兵隊です。これも国会図書館DCで調べてみます。すると、大昔の官報に名前がいっぱい載ってるのが確認できます、実在したんだ……と感心してしまいます。
木脇不美男も国会図書館DCで調べると、官報がいっぱいヒットするので、実在されたのでしょう。
かなと漢字というジャンルの中にいた川地へ太郎。おそらく、国鉄の職員さんだと思われます。
へ太郎。こういう思い切った命名をみるにつけ、今のわたしたちは命名だとか、自分の名前に対して力みすぎているような気もします。へ太郎でいいじゃないか、人と区別がつきゃあいいじゃないか。そういうおおらかな気持ち。大事なことだと思います。
これも国会図書館DCで調べたところ、ちゃんと国鉄の職員名簿に載っていましたので、実在の人物とおもわれます。
たまにある珍名エピソードがおもしろい
この本には、奇姓・珍名が羅列してあるだけでなく、珍名エピソードが随所に入っており、興味深いものがいくつかあります。
高知市の浦さん一家は、お父さんが「渡」、お母さんが「なみ」、長男が「魚一籠」、次男が「蝦二籠」、長女が「ます」、次女が「きす」、三女が「いそ」という「何れも浦に縁のある」名前の一家だというエピソード。磯野家かな。
昔は敬称として女性の名前の後ろに「子」を書いていたものが、そのうちその敬称である子を名前に含めてつけるのが普通になった、ということらしいのです。「さかなクンさん」みたいな名前の変化がこのころに起きていたわけです。
女の子の名前に「子」を付けるのはこのころから一般化し始めたというのがわかります。
運命・大悟・生死
この本は、名前の特徴ごとにジャンル分けされているわけですが、中には運命・大悟・生死という重そうなテーマのジャンルがあり、その中に木村生死(しょうじ)という人がいました。名前の中に「死」という字が入っている人、なかなかいません。
木村生死。ネットで検索すると、日本初のSF小説専門誌『星雲』を発行し、みずからも小説を執筆するなどして活躍された方です。
有名な人が混ざっているというのは、このページが面白いかも知れません。数字だけでできている名前を集めたページですが、直木三十五、山本五十六あたりがしれっと入っています。
なお、安達二十三(はたぞう)も軍人としては著名な人ですが、兄に安達十六、安達十九がおり、いずれも軍人として活躍しています。三兄弟はそれぞれ、明治16年、19年、23年に生まれたため、そう名付けらたようです。
ちなみに、山本五十六は、父親が56歳のときの子供であることから。直木三十五は、本名の植村の「植」を分解して直木とし、31歳のときにペンネームを三十一として、年齢とともにペンネームを三十二、三十三、三十四と変えていったところ、菊池寛に(毎年ペンネームを変えるのを)いいかげんにやめろと言われたから、という説があります。
珍名番付
最後に、珍名番付を見ておきたいと思います。
安中外交官、三木前後左右、足立改正太郎、半井鉄道、田中三万石など、命名のセンスがほぼたけし軍団といっていいでしょう。
この番付に載ってるひとのなかで、ウェキペディアに項目があるのは、宍戸左行と、大島破竹郎のみでした。
千葉彌次馬は、ウィキペディアに項目はありませんでしたが、コトバンク(講談社『日本人名大辞典』が出典)に経歴が載っています。
長縄三師団については、名古屋刑務所で獄死した活動家に同姓同名の人がいるようです。同一人物でしょうか?
足立改正太郎は、東京帝国大学法学部を大正13年に卒業した。という情報は出てきますが、その後、何をされていたのかは今ひとつわかりません。
横田小人大は、ラサ工業の乗務で、宮古精錬所の所長という情報が出てきます。ラサ工業、沖大東島でリン鉱石を採掘していた会社です。
そしてどうしても気になってしまう、林乞食。台湾の警察官とのことですが、これは、国会図書館DCで検索したところ、たしかに台湾に警察官としてそういう方が居たことはわかりました。
また『支那事変の歴史性』という書籍には、台湾高雄州岡山郡楠梓公学校に植わっている蓖麻(ひま、トウゴマ。ひまし油をとる)を、原因不明の熱病に罹りながらも「蓖麻はどうなつてゐるのでせうか」と気にかけ、今際の際に「水を! 蓖麻に水を!」と言いながら亡くなった「故林乞食君」というひともいました。
「乞食」という言葉が、中国語では変な意味ではなく、一般的によく名前に付けられる単語という可能性もありますが、よくわかりません。
国会図書館デジタルコレクションのパワーアップで実在が確認しやすくなった
以前、珍名番付に書いてある名前を全てネットでしらべたことがあるのですが、そのときは国会図書館デジタルコレクションのリニューアル前だったので、林乞食などの実在が確認できる資料を検索することができませんでした。
しかし、先日のリニューアルで、過去の名簿や雑誌の中身を全文検索できるという、神アプデが行われたため、珍名の実在を確認することが容易になりました。本当に素晴らしいことです。
ただ、上でチラッと見えた「大野一、―(ススム)、ゝ(シルス)、◯(マドカ)、¬(カネ)」みたいな強すぎる珍名さんは、上手く検索ができませんでした。