特集 2025年12月17日

21世紀、もう四半世紀たってしまったのか ~建物で振り返る25年~

「21世紀」という響きに、聞き慣れぬ未来を感じた子供の頃。

そんな21世紀も四半世紀がたとうとしている。

いつのまにやら25年だ。

建物好きとしては、建物をとおしてこの四半世紀を振り返ってみたい。

日本全国で話題になった建物から、おらが街の商業施設まで。

平成元年に生まれて、神奈川、京都、東京で過ごした個人の視点からだけど、ああそうだった!という共感がひとつでもあれば嬉しい。

平成元年生まれ。令和から原始まで、古いものと新しいものが好き。

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【2000年~2005年】その1…ミレニアム騒ぎと、浮かれた建物たち

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2000年完成のさいたまスーパーアリーナ。剥き出しのダイナミックさに、平成初期の残り香がある

21世紀は2001年から始まる。それは知識としては知っている。

でも、「00年代」という言葉があるくらいなので、この記事は2000年から始めたい。

当時、小学4年生だった自分にとって、「2000年」という響きは衝撃だった。ノストラダムスの大予言はそこまで信じていなかったけれど、1999が2000になるという事実だけで、何かがどうしようもなく大きく変わった気がした。

冬休み明けの小学校は、ちょっとしたお祭り騒ぎだった。子供たちが「2000」という数字に色めき立っていた。新年の抱負を書く画用紙に、なぜか「ミレニアム21」と大きく書いた(完全に間違っているのだが)。

でも、あのときはそれでよかった気がする。

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2000年オープンのアクアシティお台場。後ろは1997年開業のフジテレビ本社

そんな2000年前後は、まだギリギリでバブルから平成初期にかけての巨大都市計画の残り香が漂っていた気がする。その感触が、今思うと魅力的だ。

さいたま新都心は2000年に街びらきを迎え、お台場でも2000年前後に商業施設が次々とオープンした。

だだっ広い空き地に、街を丸ごとつくってしまうような壮大さが、かろうじて残っていた時代だった。

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2002~2005年頃に完成した汐留シオサイト。特に右手の太陽光を反射した電通本社ビル(2002年)が有名だ

2001年には、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンと東京ディズニーシーが相次いで開業した。なんと、三鷹の森ジブリ美術館までこの年である(ちなみに『千と千尋の神隠し』が、日本の歴代興行収入記録を塗り替えたのも2001年だ)。

スピルバーグ監督と『ジュラシック・パーク』が一番好きだった自分は、開業して間もない春休みに、USJへ母と祖母に連れて行ってもらい大興奮だった。

なお、夏に公開された『ジュラシック・パークⅢ』はいまいちだったし、『A.I.』については、正直ラストがよくわからなかった。

2001年はそんな年だ。

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地中海風の東京ディズニーシー。行ったのは大人になってから

さて、この時代の商業施設って、本家本元のディズニーやUSJに限らず、「テーマパーク感」が強いのだ。その後の商業施設が周囲との調和や街並みへのなじみ方を重視していくのに対し、2000年代前半は「なぜ?」と言わせない押しの強さがある。

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汐留シオサイトにつくられた「イタリア街」。……なぜ、ここにイタリアなのか
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2002年にイタリア中世都市風に改装してリニューアルオープンした川崎市「ラ チッタデッラ 」。ジョン・ジャーディがプロデュース

この時代、まさにテーマパーク的な商業施設を数多く手がけ、日本で強い存在感を放っていたアメリカの建築家が、ジョン・ジャーディである。
キャナルシティ博多やリバーウォーク北九州、なんばパークス、さらには後述する六本木ヒルズの商業施設部分まで、その設計は幅広い。

00年代前半といえば、2001年9月11日の同時多発テロもあったし、そんなに明るい時代ではなかった気がするけど、建物を振り返ると何やら浮かれた雰囲気がある。

小泉総理も、当時の子供心には面白かった。

建築も政治も、あの頃はどこか「わかりやすさ」が歓迎されていた気がする。

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1999年~2022年まで、まさに四半世紀近くお台場に存在したヴィーナスフォートは屋内なのに尋常でないヨーロッパ感
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地元から2駅、多摩地域の南大沢にまでテーマパーク風のアウトレットが。2000年開業の「三井アウトレットパーク 多摩南大沢」。アウトレットモールも00年代に一般化した業態だ

ここで少しだけ、地元の話をさせてほしい。

筆者の地元は、神奈川県相模原市にある橋本という街である。
新宿から多摩ニュータウン方面へ伸びる京王相模原線の終点で、西へ西へと路線を延ばした結果、ついに県境を越えて神奈川県に入ってしまった……という郊外ベッドタウンだ。

そんなおらが街も、2000年から2001年にかけて、大きく姿を変えた。

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2000年にオープンしたビブレ橋本。紆余曲折あり翌年サティと名を変え、今はイオンになっている

もともとは、そごうデパートが来る予定だった。

しかしバブル崩壊により一瞬でその話はご破算になり、長い時間を経て、ようやく2000年になって駅前にビブレ橋本がオープンしたのだった。

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さらに2001年には向かいにミウィ橋本もオープン!

それに合わせてペデストリアンデッキが整備され、タワマンらしきものまで。

郊外にまでタワマンが進出したのもこの時代だ。

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ペデストリアンデッキって言葉の響き、ミレニアムだったな……

この狭い地元の中で、21世紀はずいぶんと華々しい幕開けを迎えたのである。

 

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【2000年~2005年】その2…2003年、六本木ヒルズが爆誕する

2000年前後が、平成初期の残り香がかろうじて残っていた時代だとすると、それを一気に塗り替えたのは六本木ヒルズだろう。

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2003年にオープンし、社会現象にまでなった六本木ヒルズ

「ヒルズ族」という言葉が生まれたように、六本木ヒルズは2000年代の超高層ビルのイメージを一気に更新してしまった。

民間が建てた超巨大な建物の中に、オフィス、商業施設、住居、美術館、映画館までが、これでもかというほど詰め込まれている。しかも、敷地内には緑豊かな庭園まである。

それまで機能を分散させながら平面的に広がっていた都市が、巨大な複合施設として縦に立ち上がる。

当時「エキナカ」という言葉が流行ったように、ひとつの場所の中ですべてが完結する便利さが、もてはやされていた。

2007年以降、武蔵小杉にタワマンが林立することも、駅近ですべてが完結する街づくりという意味では同じニーズ、同じ流れなんだと思う。

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今はもう閉鎖されている六本木ヒルズ屋上からの夜景、冬は超寒かった

それにしても六本木ヒルズ、たまにしか行かない自分からすると今でも最新スポットのように感じるけど、このビルももう御歳22歳なのか。人間で考えると来年には新社会人になる年齢だ。

そうか、2003年に生まれた人たちがもう社会人なのだ。

びっくりである。

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なお、この年代の建築史的な有名作品としては2001年竣工の「せんだいメディアテーク」や、
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2003年竣工のプラダ青山店、
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2004年竣工の「金沢21世紀美術館」などがある(Copyright:金沢市)

コンピュータをつかった複雑な立体物の構造計算が可能になった時代でもあるそうだ。

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21世紀美術館は大学生の頃に行ったけど、当時は斜めに撮るという謎の流行りがありマトモな写真がない

あと2005年の建築関係のニュースといえば姉歯事件だ。

内容はよくわからなかったが、悪いことをしてはいけないと思った。

 

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