【2006年~2019年】その1…ゾクゾクと建てられる超高層、そしてヒルズ的なもの
2006年以降は、皆さんご存じの通り、現在に至るまでヒルズ的なものが次々と建てられている。
たくさんありすぎて、素人には区別がつかないのは東京ならではの贅沢な悩みなんだろうか。詳しい方に、どこをどう使い分けているのか聞いてみたい。
自分が10代の頃は渋谷に超高層のイメージってなかったけど、今見ると超高層ビルだらけ。2013年の渋谷ヒカリエを皮切りに、渋谷ストリーム、渋谷スクランブルスクエア、渋谷フクラス、渋谷サクラステージ、渋谷アクシュなどの超高層複合ビルが続々とできている。
2009年頃の浪人生活の1年間、渋谷に逃避行のように服を買いに行っていたが、今はなんだか見知らぬ街になってしまった。
2019年、六本木ヒルズにあったGoogle日本本社が渋谷ストリームに移転したことも、街の役割の変化として話題となった。
このヒルズ的ビルは、2026年以降も変わらず作られ続けていくのか、それともガラッとまた流れが変わる時が来るのだろうか。
では、関西の方はどうか。
筆者は2009年から2016年まで京都にいたため、遊びや就活(関西の人は就↑活↓というイントネーションで読む)は大阪の梅田に行くことが多かった。
2010年代といえば、どうしても避けて通れないのが、2011年の東日本大震災だ。
起きた当日は春休み中で、京都のアパートにいた。テレビのニュースをみても、にわかには現実感がわかなかった覚えがある。LINEもない時代だった。いつもなら「便りがないのはいい便り」くらいの感覚で過ごしていたけれど、さすがにこのときは、神奈川の実家に電話をかけた。
4月になると、大学のゼミを担当していたカナダ人の教授が、「一身上の都合」により帰国していた。
そんな時代だったけど、2012年には東京スカイツリーが、2013年にはあべのハルカスが完成する。
震災復興がなかなか進まない中、大都市だけニョキニョキとビルが建つ。当時は、「もう成熟した日本で、高さを競う必要はないんじゃないの?」といった議論も、けっこうあったように思う。
けれど今は、そうした疑問を挟む余地もないくらい、東京も大阪も超高層だらけになっている。
【2006年~2019年】その2…壊すだけでなく、保存したり、復元したり、面影を残したり
2000年代、特に後半以降になると、ただ新しいものを作ればいいわけじゃないよね…という機運も高まってきた。
古くて良いものを、さまざまな形で残そうとする動きがあらわれ始める。
当時、筆者は国立の学校に通っていたため、毎日のように使っていた旧駅舎。だが当時は駅の向かいにある100円マックを食べながら、ガラケーで都市伝説を読むことに夢中で、特に思い入れがないままに解体された。
あらためて今見ると素敵な駅舎だったんだな、と思う。
また、この時代から、地域の過疎化やコミュニティの高齢化と呼応するかたちで、「コミュニティ・デザイン」と呼ばれる動きが盛んに語られるようになった。人が集う場所や、人と人とのつながりを生み出す場を、意識的につくろうという考え方である。
古い建物を活用したリノベーションや、カフェやイベントができる図書館なども話題になった。旧国立駅舎も、いまではイベントスペースとして使われている。
今では「ずっとここにありました」という顔で立っているが、その直前までここがどうなっていたのか、もう思い出せない。
KITTE丸ノ内(JPタワー)は、超高層ビルの低層部に、かつての建物の外壁を保存する、いわゆる「腰巻ビル」だが、ここに至るまでには、かなりの紆余曲折があった。
もともとこの場所には、戦前の名建築として知られた東京中央郵便局が建っていた。それをどこまで保存するのかをめぐっては、2009年頃、当時の総務大臣だった鳩山邦夫氏までが意見する、という一幕もあった。結果として、当初の計画よりも大きな部分が保存されることになった。
なお、大阪にも大阪中央郵便局という、同じく戦前の名建築があった。こちらはごく一部を残して2012年に解体され、再利用を待つ間、長らくファンシーなイラストの覆いをかぶせられていた姿は、けっこう不憫だった。2024年になって、ようやくKITTE大阪のエントランス部分として活かされたようだ。
保存の形も、徐々に洗練されていく。
後ろの超高層ビル部分が目立たないように工夫されているため、違和感のない外見をしている。いわゆる「腰巻ビル」に比べて、時代が新しい分だけ工夫されているのだ。2000年代以降、保存・継承の方法は多様化し、また洗練されている。
このビルの設計は、あの隈研吾だ。
隈研吾、2010年代くらいまではまだ有名建築家のひとりといった感じだったと思うけど、東京オリンピック前後で、お茶の間にまで名を知られる建築家になったと思う。
東京オリンピックに向けて、不安と期待が高まった時代だ。
それが、2020年早々に世界は一変することとなる。

