のれんを買ったからこそ、たどりつけた場所があり、出会えた人や巨大両生類さんがいる。リサイクルショップは旅行ガイドであり、厚木の古道具屋から旅は始まっていたのだ。
湯原のおもしろさはまだまだ尽きない。どうどうと露天風呂「砂湯」でリラックスするくらいの胆力を得て再訪したい。
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ここでひとつ気になった。「はんざき」とは前述したようにオオサンショウウオのことだが、温泉街では圧倒的に「はんざき」という呼び名が使われている。
しかし、私ののれんには「はんざき」とはひとことも無しに、「オオサンショウウオ」とだけ添えられているのみだ。
ひょっとしたら「はんざき」が定着したのは意外に最近だったりして。
一人旅の話し相手である生成AI(さびしいな)にはんざき祭りの歴史をまとめてもらうと
「1972年(昭和47年)に第1回が開催されました。当時は「オオサンショウウオ祭り」という名称でした。1980年代になって『はんざき祭り』という呼称が定着していきました」とのこと。そうなんだ!
これはのれんの年代とかも特定できちゃうのでは、ヤッターと、さらに裏付けを得るべくはんざきの知見が凝縮された施設「はんざきセンター」を訪れた。
温泉街を流れる旭川やその支流にはんざきは生息しているが、夜行性で昼間は物陰やネカフェの個室ぐらいのフィット感のある穴でじっとしており、見つけるのは容易ではない。川もかなり広いし。しかし、ここなら生きているはんざき様とじっくり面会できるのだ。
かわいいけれどおもわず敬語を使いたくなる、不思議な威厳をまとっている。
そうだ、AIは「はんざき祭りは1972年にはじまり、1980年代まではオオサンショウウオ祭りだった」と言っていた。隣に掲示してある湯原はんざき史を見てみる。
地元の人にも聞いてみたが「いや、ずっとはんざき祭りだし、もっと昔からはんざきって言ってましたよ」とのことだった。
生成AIが不正確な情報を作り出すことをハルシネーションという。あやうくやられるところだった。しかしハルシネーションを完成させるのはAIではなく、事実よりも信じたいものを信じるという人の心理なのだ。
夕食の後、ダメもとで川をのぞいてみた。
はんざきは冬眠はしないものの冬には水温によっては活動がにぶくなり、見つけにくくなる。食堂のおかみさんに「今時は見かけないんじゃないですかね」と言われた。「あと、寒くてこっちが大変でしょう」そう、そこなんですよ。
微動しかしない野生のはんざきさんを眺めていたが、川岸で思う存分に寒風が吹きつけ、こちらがはんざきになりそうだった。
翌朝、純度がすごい純喫茶「サボテン」でコーヒーを飲みながらのれんを見つめていたらマスターから「そういうのが好きならこれありますよ」と店のマッチをいただいた。
会話は盛り上がり、昨日見たはんざきさんの話題にまでおよぶと
「まだ時間ある?ちょっと面白い人を紹介しますから」
とマスターが何やら電話をかけはじめた。
浜子さんはおかやまサンショウウオの会としてはんざきの保護活動を行う傍ら、湯原の歴史や文化を発信する地域おこしにも精力的に取り組んでいる。はんざきセンターで私がゲットしたはんざき箸も浜子さんのアイディアだ。
「みやげを買って縁ができるというのは面白い。こののれんに書いてあるのは湯原音頭ですね。」
そう言って浜木さんは付箋だらけの湯原町史の本を見せてくれた。
のれんの謎が町の賢者によってさくっと明らかになった。気持ちいい。「作曲と作詞は片山香雲という湯原町ゆかりの日本画家です。以前こちらで企画展をやりました」
「香雲さんのお孫さんが岡山方面に30分ほど南下したところにある勝山町の街並み保存区で『おにのすみか』という古民家カフェをやっていますよ」
「あ、そこ昨日通りましたよ!のれんがよかったので覚えてます!」
のれんを買ったからこそ、たどりつけた場所があり、出会えた人や巨大両生類さんがいる。リサイクルショップは旅行ガイドであり、厚木の古道具屋から旅は始まっていたのだ。
湯原のおもしろさはまだまだ尽きない。どうどうと露天風呂「砂湯」でリラックスするくらいの胆力を得て再訪したい。
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