※平成31年4月2日追記
4月1日、新元号がついに発表されました。
それを受けて「新しい元号を本気で予想する会」で予想した新元号をふり返る記事をアップしております。
予想の結果がどうなったか気になる方は下のリンク先の記事をぜひ御覧ください。
『「新しい元号を本気で予想する会」答え合わせ』
まだ、新元号を知らないので、自分も予想してから結果を知りたい! という方は、以下の記事を一読してから、上記リンク先記事を御覧ください。
iPhoneの年表示も元号
新元号が楽しみすぎてiPhoneの年の表示設定も元号にしてしまった。
和暦表示に設定した場合、写真のExifの日付をいじってiPhoneにとりこむと、ちゃんと神護景雲とか元禄みたいな、昔の元号で表示してくれる。ナイスな機能だ。
和暦表示のため、アプリの日時の表記はすべてH31みたいな感じになってるが、とくに不便を感じたことはない。
で、そんな元号がかわる。約30年間慣れ親しんだ平成がおわり、ことしの5月1日からあたらしい元号になるのだ。
改元されることが決まった瞬間、SNSでは新元号の予想があふれかえった。新元号大喜利だ。それはそれとして、ぼくは「本気の予想」がしたいし、ひとの本気の予想をしりたい。冗談ではなく、マジの予想。
「新しい元号を本気で予想する会」
新元号をマジで予想したい。デイリーポータルZ編集長の林さんの呼びかけで、そんな人達があつまり、平成31年2月16日に「新しい元号を本気で予想する会」が行われた。
イベントには40名ほどがあつまり、各自が予想した新元号を墨書し、各々発表した。しかし、ネット上には掲載しない。なぜなら、本気で当てたいからだ。
もし、内閣府だとか宮内庁あたりの人がネットを検索して、我々が予想した元号を見つけてしまうと、候補から外される可能性がゼロではないからだ。
どんだけ自意識過剰なんだというご意見もあるかもしれないが、それぐらい本気なのだということをご理解いただきたい。
この会で予想された元号は、ジェラルミンケースに厳重に収められ、林さんが自腹で借りた貸し金庫に保管された。そのへんの経緯は、こちらをご覧いただきたい。
新元号が発表される4月1日には、答え合わせのライブ中継を行う予定だ。
元号ってなんなのか
さて、ここで元号についての基本的なことがらについてざっとおさらいしておきたい。
世界初の元号は、中国の前漢の第七代皇帝武帝のころに使われ始めた建元(紀元前140年〜紀元前135年)だ。その後、日本やベトナムなど中国の影響が強い東アジアの国で使われ始めた。
しかし、本家の中国では1911年の辛亥革命で「宣統」を使っていた清がたおれて以降、元号は使われていない。ただし、中華民国が成立した1912年を元年とする「民国紀元」を現在の台湾では使う場合がある。民国紀元だと、2019年は民国108年だ。
日本では645年の大化から元号が使われ始め、何度か使用が中断したものの、以降1300年以上使われ続けている。
大化から平成まで南北朝時代含めて元号は全243種類が使用され、平均するとだいたい5年程度で元号が変わっている計算になる。
実際、慶応以前で20年以上続いた元号は、天平21年、延暦25年、正平25年、応永35年、天文24年、天正20年、慶長20年、寛永21年、享保21年の9例のみだ。
東アジアの他の国は元号を使わなくなってしまったが、たまに年のカウントがリセットされる紀年法を今でも使い続けているのは日本だけになった。
最初の頃は適当に変えていた
昔は地震や大火事、戦争など、災厄が起こったら改元していたというのは有名だろう。しかし、大化以降、奈良時代ぐらいまでは、めでたい事が起こっても、スナック感覚で気軽に改元していた。
例えば、白い雉が献上されたから白雉(650年)、赤い雉が献上されたから朱鳥(686年)という「珍しい生き物が献上されたから改元」というパターンがかなりある。
なかでも、神亀(724年)、宝亀(770年)など「白い亀が献上されたから改元」といった亀による改元がやたら多い。
ひどいのは「背中に北斗七星の模様がある亀が献上されたから改元(霊亀・715年)」とか、「背中に天王貴平知百年という文字が浮き出た亀が献上されたから改元(天平・729年)」といった、ひとくふう加えた嘘くさい改元理由がついたものもある。
たびたび亀で改元しているのは、亀は動きが遅くて捕まえやすく、背中に落書きしても嫌がらないからかもしれない。
文字が浮き出るから改元したというのは他にもあり、天平宝字(757)では「天皇が寝ているベッドの屋根に使ってた布に『天下大平』の文字が出て、蚕が『五月八日開下帝釈標知天皇命百年息』の文字を作ったので改元」という、めでたいんだか、キモいんだかよくわからないものもある。
その他にも「天皇の旅先にめっちゃいい水があるから、改元(養老・717年)」とか「縁起のいいかたちの雲が現れたから、改元(慶雲・686年)(神護景雲・767)」など、Instagramで写真撮るときみたいな理由で気軽に改元が行われている。
近年の改元はどうだったのか?
それでは、近年の改元、明治、大正、昭和、平成はそれぞれどんなふうに改元されたのか、軽く振り返っておきたい。
「明治」は、過去に10回、元号案として候補に上がった。慶応の次の元号を決めるさいにも候補にあがり
「勧徳(勸德)」「明治」「康徳(康德)」の中から、天皇(後の明治天皇)が籤(くじ)で決定した。
もし、明治天皇の引いた籤が勧徳だったら、明治維新は「勧徳維新」だったかもしれず、康徳だったら、志村けんの本名が変わっていた可能性もある。(志村けんの本名は康徳(やすのり))
大正改元
「大正」は、過去に4回、元号案として候補にあがったことがあった。
明治の次の元号を決めるとき、まず「乾徳」、「永安」の案が勘申された。
しかし、総理の西園寺公望が「乾徳」は中国の宋ですでに年号として使われたことがあり「永安」は蜀の国の宮殿名として使われたことがあると指摘してボツに。
つぎに、内大臣秘書官長の股野琢(またのたく)から「昭徳」、内閣書記官長室嘱託の国府種徳(こくぶたねのり)から「天興」という案がでるが、西園寺公望が「昭徳」は中国の唐に「昭徳王后」という名称があり、「天興」は拓跋氏の年号として記録があると指摘。そこでさらに、国府種徳から「大正」、宮内省御用掛の多田好問から「興化」の二案が出された。
最終的に西園寺公望が、第一案を「大正」、第二案を「天興」、第三案を「興化」として、枢密院の審議にかけられ「大正」に決定した経緯がある。
昭和改元
「昭和」は、過去に案として出たことがない。
元号案は、図書寮編修官の吉田増蔵が、「昭和」「神化」「元化」「神和」「同和」「継明」「順明」「明保」「寛安」「元安」を考案。
これとは別に、若槻礼次郎首相は、万一に備え、「大正」を勘申した国府種徳に、元号の勘申を命じている。国府は「立成」「定業」「光文」「章明」「協中」の五案を提出している。(※1)
元号案を内閣書記官長の塚本清治が第一案「昭和」を選定し、参考として吉田案の「元化」「同和」の二案を参考に添付し、枢密院に諮詢、昭和に決定した。
(※1)この国府案がどこからか漏れたのか、東京日日新聞(現在の毎日新聞)が大正天皇崩御の直後に「新元号は光文」と大々的に報道してしまう誤報事件があった。よく「光文と誤報されたため急遽昭和に変更された」と言われることもあるが、もともと光文は最終選考案の中には入っていなかった。
「昭」という字は昭和の元号に採用されるまでほとんど使われることがなかった字で、今でも、地名、人名以外の熟語はほとんど使われることはない。
もし、昭和が、元化、同和だったら、「同和枯れすすき」、「元化のギャグ」などの言葉が生まれていた可能性が考えられる。
平成改元
平成は、過去に1回、慶応(1865年)のときに勘申されている。
昭和の次の年号に関しては、福田赳夫内閣の時代から、4、50程度の元号案が考えられていた。しかし、それらの元号案を勘申した東京大学名誉教授の坂本太郎、京都大学名誉教授の貝塚茂樹(湯川秀樹の兄)は、昭和62年に他界してしまう。
物故者の案は除かれるため、昭和64年の時点で残っていた案は健在だった東京大学名誉教授の宇野精一、九州大学名誉教授の目加田誠、東京大学名誉教授の山本達郎の勘申した案、数案だけだった。
目加田からは、「修文」「靖和」「天昌」などが考案される(※2)が、最終的には、山本、宇野の案と合わせ「平成」「修文」「正化」の三案に絞られ、平成に決定した。(※3)
山本は生涯口外することはなかったが、目加田が「修文」、宇野が「正化」を勘申したことは確認されているので、平成を勘申したのは、山本で間違いないと推定されている。
(※2)先日、目加田が元号案を記したメモが発見されたという報道があった『「修文」「普徳」「天昌」など、平成改元時の元号候補20案、目加田名誉教授のメモ発見』記事によると、知られている修文、靖和、天昌などの他にも、普徳、靖之、永孚など約20種類の元号案が書かれていた。
(※3)昭和改元のさい、誤報を打ってしまった毎日新聞(東京日日新聞)は、平成改元のさいはいち早く「新元号は平成」という情報を入手していたが、号外を出すことはしなかった。その代り、新元号発表と同時に「新元号は平成」と見出しの入った新聞を刷り始め、他社より速い版で平成を報道した。
過去のボツ案を洗い出して予測する
さて、いよいよ我々が次の元号をどのように予想したのか、ご説明申し上げたい。
まずは、元号がどのように選ばれるのか確認しておこう。
元号の決定は、昭和54年の元号法制定に基づき、閣議報告の形で、元号の選定手続きについて示されている。それによると。
(ア)国民の理想としてふさわしい良い意味をもつものであること。
(イ)漢字2字であること。
(ウ)書きやすいこと。
(エ)読みやすいこと。
(オ)これまでに元号及びおくり名として使用されていないこと。
(カ)俗用されているものでないこと。
そのほか、元号をアルファベットで表現することが度々あるため、明治以降の元号で使われたM、T、S、H以外で採用されるのではないか。とも言われている。
そして、いちばんのポイントがこれ「これまでの元号は、過去のボツ案から選ばれて決まるということが多かった」ということだ。
明治、大正、平成はそれぞれ、過去にボツ案として出ている。今回もそうなる可能性が高い。
過去のボツ案は「未採用元号案」として、まとめられている。
このデータをエクセルに取り込み、教育漢字、常用漢字、人名漢字、文字の使用回数、読みかたなどの情報を追加。
まず、読み方からアルファベットの頭文字がMTSHとなる案を除く。
そして新元号はおそらく、誰でも読み書きできる漢字を使うはずなので、最初の漢字、後ろの漢字が共に教育漢字(小六までに習う漢字)の案を抽出。
最初400個以上あった元号候補も、この時点で半分以下まで絞られてきた。
さらに、画数が15画以上の「勧」「興」「養」などを除いて、「喜」「善」など書きづらい文字も除く。
昭和も平成もそれぞれ「昭」、「成」が初使用された文字なので「よく使われる漢字+初使用の漢字」の組み合わせになるのではないか?
つまり、最初の文字、最後の文字のいずれかが、過去に一度も使用されたことがないものをリストからさらに抽出。
そして、残った元号をすべてグーグルの検索にかける。
中華料理屋やうどん屋の屋号に使われているものは除外。
寺院の名称につかわれているものも除外。
日本や中国の地名に使われているものも除外。
名字にあるものは除外。
有名人の名前に使われているものも除外。
すると、ついに12個の元号に絞られた。
残念ながら、これ以上はお見せするわけにはいかない。最終候補に残った12個の元号は、4月1日を過ぎたら見られるようにしたい。
画数と使用漢字の頻度から予測
当サイトウェブマスター、林さんの予想はこちらを見ていただきたい。
林さんの予想はふたつの軸がある、まずひとつめの軸は画数。上の折れ線グラフは、今まで使われた元号の画数の変遷だ。
全体的に画数が緩やかに落ち込んでいるのがうっすらとわかる。
ただ、右上についているR2 がこの値が信頼できるかの数字らしいが、0.0132という数字はほぼ信頼できないということらしい。
とはいえ、いちおうエクセルの関数を起動させ、計算してみたところ、エクセルの関数がはじきだした次の元号の画数は14.8画となった。
直近100の元号に絞れば14.5画、江戸以降は元号が安定するのでそこだけで見れば12.8画になるという。
続いての軸は、漢字の使用回数。
元号に使われた文字は74文字しかない。元号の漢字の使用回数をそれぞれみてみると、よく使われている文字+それほどでもない漢字の組み合わせが多いことがわかる。
とくに、昭和、平成に限れば、どちらも10~19回使われた漢字と初出の漢字の組み合わせになる。
上記の画数と使用回数を考えると、新元号の条件は
①13〜15画
②中程度に登場した漢字+初登場漢字
ということになる。
……ということで、これ以上、ここに書き記すのは差し控えたい。
林さんは、これとは別に、芸能人や有名人の名前からそろそろ出てくるんじゃないかという予想のしかたも自信があると言う。
ふざけているわけではない。我々は、予想のプロセスがどうであれ、本気の予想が聞きたいのだ。
過去の使用漢字から予測する
さて、最後は過去の使用漢字をすべて洗い出して予測するという手法だ。CRAZY STUDY編集長のじきるくんがやってくれた。
彼は昨年末、過去の年号ぜんぶ振り返る。という企画をブログで行っており、予習は完璧であった。
過去の使用漢字でいちばん多いのが永。そして、天、元ときて、治、応。らしい。
そして、それを踏まえ、直近の10元号で、漢字の出現頻度を考えると、やはり、ぼくや林さんと同じく、人気の漢字プラス初出の漢字。という結論に至っている。
直近10元号のそれぞれの漢字の人気度を平均してみたのが以下の表だ。
つまり、次の元号は、一文字目は人気が19.9位ぐらいの文字がきて、二文字目は13.5位ぐらいの漢字の組み合わせになる……かもしれない。ということになる。
で、大変もうしわけないが、ここに具体的な予想結果を書くわけにはいかない。4月1日までお待ちいただきたい。
文藝春秋 (2018-03-20)
売り上げランキング: 18,444