えのきはやらなかった
しめじの作業量から鑑みて、えのきを背の順に並べるのはやめた。僕は苦行をすすんでやっているわけではない。ただ癒されたいだけなのだ。
整理をする楽しさや気持ちよさって確実にあると思うのだが、それが面倒に感じるのはやらなければいけない整理だからだろう。「宿題やりなさい」と言われるとやりたくなくなるアレだ。
ならば整理しなくていいものを整理すれば、そこにあるのはシンプルな楽しさだけだ。
そういうわけで、しめじを背の順に並べることにした。
この間、時間が空いたので映画でも見ようと思ったのだが、動画配信サービスでレビューを読んだり予告を見たりしている間に時間が経ってしまい、結局何も見れずにせっかくの空き時間が終わった。
こんなことならしめじを背の順に並べていた方が良かったのだ。
映画というものは常にたくさんの評価に晒されている。すると次第にその映画を選ぶ自分自身も評価されているような気持ちになってくる。無難に評価が高いものを見て安心するか、敢えて評価が低いものを見てそこから楽しさを見出すのか、という風に。
しかし、しめじを背の順に並べることにはまだ何もない。思ったより楽しかったか、思ったよりつまらなかったか、それしかないのだ。そこには自分しかいない。だから気楽だ。
やはりしめじを背の順に並べるべきだったのだ。
再度時間を空けて、買っておいたしめじを見る。
誰もいない部屋で好きなラジオをつけて黙々と並べた。これはジグソーパズルをやっている感覚に近い。考え事をしたりラジオを聞いたりしながらでもできる、ちょうどいい負担の作業である。
しめじのカサの部分が取れそうだったのでそっと並べた。それ以外は順調だった。着々としめじが背の順に並べられていった。
しかし本当にリラックスできて良い。今僕は、癒されているなと思う。しめじを背の順に並べて癒されている。
すごくなだらかな、きれいな背の順になった。「あの房に、こんなにしめじがあったのか!」と期待通り驚いている。やってやった、という感慨もある。
「君がリーダーだったのか!」と思う。しめじ1本1本に、背、という個性が与えられて感情移入がしやすくなっている。あのギュッとなっていたしめじの房の一体感は、このリーダーの働きによるものだろう。立派である。偉い。
背の順に並べる、という作業が楽しい。他のものでもやってみよう。
しめじを背の順に並べ終え、自転車に乗って近くのマクドナルドに行き、ポテトのMを買ってきた。
しめじよりまっすぐで、数が少なくて並べやすい。ピースの少ないジグソーパズルだ。達成感はそこそこだが、その分やりやすくてストレスもない。
15分である。朝のちょっとした時間でもできる。ポテトをこんなにきれいに並べられた日は仕事も捗るだろう。そういう朝活はどうか。どうだろうか。そういう朝活は。
ポテトはこの後、小さい方から食べた。食べ進めるうちに食べ応えが出てきておもしろかった。
日を改めて今度はスティック状のパンを背の順に並べてみる。
これは良くなかった。背の違いがはっきり分からないからだ。なんか見る角度によって背が違う。それくらい微妙な差しかない。この時はこう並べてみたけど、もう一度やったら違う順で並べるだろう。
正しいかどうか分からないまま、ことを進めていくのは辛い。
こういうパンって焼かれる時に大きさの差とか出るのかなと思ったのだが、ほとんど出ないんですね。
もっとはっきり個体差があるものがいい。
上段左から5つ目、アノマロカリスはシークレットの生物だった。嬉しい。
おっとっとの普通の楽しみ方をしてしまっている気もするが、これはもう2回やってしまう楽しさがあった。
これ、頭に乗せたらさかなクンみたいになれるだろうか。
前の晩、妻に「今僕はしめじを背の順に並べているんだ」という話をしたら、それを聞いてちょっと笑った後「もやしは?」とこともなげに言った。
あー、いや、そうか。うん…、いいね。いいよな。もやしね。
と返した。内心、なんで大変そうだけど頑張ればできそうでしかも楽しそうなラインを絶妙についてくるんだ、と大変狼狽した。
冒頭で人から言われてやる整理は楽しくないような感じのことを書いたけど、まさにそんな状況になってしまった。でも楽しそうだからやる。一番好きなラジオをつけた。
取っても取ってももやしの山が小さくならない。こういうもやしが全然減らないラーメンってあるな。
「こんなに曲がってるのがあるんだなー」とか「長いやつはすごい長いなー」とか、地味な発見が続く。
たくさんあって大変そうに思われたもやしだが、1時間15分ほどで並べ終えた。やはり妻の提案は正しかった。
しばらくこの状態のまま部屋をうろうろしていた。ジグソーパズルみたいに糊で固めて額に入れたいと思った。
大変そうな背の順でもだいたい2時間しないで終わる。並べている間はリラックスして癒され、並べ終えると達成感がある。馴染みのある物の普段見られない姿を見て、見識を広めた、と思うこともできるだろう。
ちなみに並べたもやしの写真を妻に見せたら「うわー…!」と言っていた。ちょっと引いていた。なんか思っていたより迫力があったらしい。
しめじの作業量から鑑みて、えのきを背の順に並べるのはやめた。僕は苦行をすすんでやっているわけではない。ただ癒されたいだけなのだ。
▽デイリーポータルZトップへ | ||
▲デイリーポータルZトップへ | バックナンバーいちらんへ |