磨くのもまた大変
鋏の形ができたところで、場所を室内に移して表面を磨く作業へと入る。この作業はさすがに江戸時代と違って電動砥石が大活躍だ。
電動砥石のおかげで江戸時代よりは楽になったといっても、鋏というのはそのすべてが曲線で、形を構成する面がとても多く、表面を磨くといってもその工程は多岐にわたる。
「鋏ができればなんでもできる」という北島さんの話には頷くしかなく、本当は鋏のついでに趣味でつくる刀削麺の刀をつくってもらいたいのだが、そんなことをいう勇気はない。
鋏はその形から砥石では磨けないような場所も多く、そこはヤスリを使って手作業で削っていくことになる。
このヤスリ掛けという作業にも、実はちょっとした特徴がある。
鋏のように複雑な形をしたものはいろいろな角度から磨かないといけないのだが、そこで登場するのが木の台とヤットコ。
まず木に押しあてた鋏を足の指で押さえる。これは足袋だからこそできる技。そしてヤットコで鋏の中心部分を挟み、それをかかとで踏めば、万力なんかよりもずっと強固に、それでいて変幻自在に押さえることができるのだ。両手が空いているから、ヤスリがとてもかけやすい。
砥石とヤスリで磨いた包丁は、さっきまでの古代遺跡的な質感から、一気に光り輝く超合金へと変わっていた。
ネジ穴を開ける
私も北島さんに聞いてはじめて知ったのだが、鋏という道具は刃と刃がピッタリとくっついているのではなく、刃が接している部分はほんの僅かな一点のみ。線ではなく点。
微妙に反った刃が留め金を介して触れ、その一点が滑るようにずれて布や紙を切るからよく切れる。真っ直ぐな刃を二枚組み合わせても、それは鋏にならないのだ。
そのため、中心となるネジ穴がちょっとずれただけで、その鋏は売り物にならない。
実際にネジ穴がちょっとずれて、最初から作り直しになることもあるそうだ。
「この作業は大事ですね」と知ったようなことをいったら笑われてしまった。
ねじ穴を開ける作業は確かに大事な作業なのだが、鋏作りは全部の工程が難易度の差異こそあれ、全て大事なのだという。
鉄を打っているときにゴミが一つでも入ればダメになるし、鉄に火を入れすぎてもダメ、刃の反りがあわなければもちろんダメ。一つの工程でミスをすれば、今までの作業が無駄になるから、特に肝心な作業なんかはない。すべてがの作業が肝心なのだ。
総火造り、難易度高すぎである。「ちょっと僕にもつくらせてください」とか迂闊な事をいわなくて、本当によかった。