東本願寺の学校、大谷大学
西本願寺の学校である龍谷大学には明治時代の擬洋風建築が残っていたが、東本願寺の学校、大谷大学はどうだろう。
江戸時代初期、本願寺門主の跡継ぎ問題が起き、また強力な本願寺勢力を弱体化させたい徳川家康の思惑もあって、西本願寺から分離独立した東本願寺。その学寮を起源とする大谷大学にも、何か古い建築が残っていそうな気がする。
大谷大学は基本的に新しい建物が多いようだが、その中で唯一、この尋源館(じんげんかん)だけは、文化財らしい古い建物特有のオーラを放っていた。
この建物が建てられたのは大正2年。大谷大学の前身である真宗大学は東京に存在したが、それが京都に移転する際に、大学本館として建てられたものだそうだ。
実はこの尋源館、建てられた当初は両翼もまた奥に出っ張った、E字型の建物だったそうだ。30年程前、構内を整備した際に改築されて、現在の姿になったという。故に、大正時代そのままの姿というワケではないらしい。
とは言うものの、意匠の完成度はなかなか高いと思う。日本において煉瓦造は、関東大震災後に廃れてしまったので、これは日本の煉瓦造の中では後期にあたるのだろう。建築技術として熟成が進んだ、脂の乗った時代の煉瓦建築というワケだ。
ミッションスクールも負けていない、平安女学院
龍谷大学、大谷大学と仏教系の大学が続いたが、今度はキリスト教系のミッションスクールを見てみよう。京都御所のすぐ側にある、平安女学院である。
御所沿いの道を歩いていくと、まず目に入るのがこの重厚なゴシック様式のチャペルだ。
この平安女学院のチャペルは、正確には聖アグネス教会といい、その建築年は平安女学院開校まもなくの明治31年。
学校建築というよりは、まぁ、教会建築なワケだけど、このようなゴシック様式の教会は日本にほとんど無いだろう。今に残る貴重な建築だと思うので、取り上げてみた。
これは平安女学院の昭和館。その名の通り、昭和4年に建てられたものだ。昭和初期の建物は、形式ばらず自由な感じで、かつ温かみがあって良いですな。
赤と白のツートンカラーの色使いに、目を引く三角屋根。装飾もゴテゴテしておらず、なかなか品良くまとまっている。まさに、ミッション女子大にふさわしい建築だと思う。

