特集 2025年8月22日

6日間だけ日本史上最高気温の地だった兵庫県の柏原ってどんな町?

7月30日(2025年)、兵庫県の柏原で日本の気象観測史上最高温度となる41.2℃を観測した。

しかし、そのわずか6日後の8月5日、群馬県伊勢崎市で41.8℃という最高気温が記録され、柏原の41.2℃は6日間だけの日本一記録となった。

そんな6日間だけ日本一暑かった「柏原」はどんな町なのか。現地に行ってみた。

鳥取県出身。東京都中央区在住。フリーライター(自称)。境界や境目がとてもきになる。尊敬する人はバッハ。(動画インタビュー)

前の記事:地元にあったはずの城がストリートビューだとまったく見えないので、現存するのか確認した

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読み方は「かいばら」である

まず、7月30日に日本最高気温を記録した際にも話題になったが、柏原は「かいばら」と読む。場所はここ。 

兵庫県の東側、神戸よりも京都の福知山などに近い。このあたりは、丹波篠山、朝来(あさご)、養父(やぶ)といった町が盆地ごとにあるという感じになっていて、柏原もそんな町のひとつだ。

と、偉そうに柏原の地理を語る僕も、このたびの日本最高気温の記録がニュースになるまで、兵庫県の柏原という町のことはまったく知らなかった。

実際に日本最高気温を叩き出した柏原で、無人気象観測を行っている施設のアメダス(地域気象観測システム)に行ってみた。

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柏原のアメダス

この敷地のすぐ横には、柏原川という川がながれており、木陰だと涼しいぐらいの場所だったけれど、7月30日はまさにこの場所の気温が41.2℃まであがった……。ということになる。

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この日の気温は、手持ちの温度計では35.5℃(木陰)でした

なお、現在の日本最高気温ランキングは、こちら。

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日本最高気温ランキング(気象庁ホームページより)

この記録をみると、1位〜4位までの5か所全てが2025年の記録で、柏原は現在4位となっている。

1933年7月25日の40.8℃で、74年間もの間日本最高気温の座を守り続けた山形もすごいが、2000年代になると堰を切ったように、特に2018年以降、最高気温の記録がボコボコ打ち立てられているのもすごい。

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柏原ってどんな町?

さて、この柏原という町はいったいどんな町なんだろう? 

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JR柏原駅

JR柏原駅は普通のJR駅の駅舎とはちょっと違う雰囲気があり「えっ」となったが、これは1990年の花博で使われた「山の駅」という建物を移設したものらしい。

万博のために作った建物を移設して活用するのはSDGSですばらしい取り組みだが、今やってる万博の大屋根リングもつくばの粒子加速器みたいにして保存すればいいのに……などと考えつつ、駅横にある看板を確認する。

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かいばらの観光地を案内看板

まず「織田家ゆかりの城下町」とある。織田家というのは、あの織田信長の織田家だろうか。歴史に疎いので、柏原が織田家とどうゆかりがあるのかさっぱりわからない。

さらに謎なのが「田ステ女記念館」という記念館である。田ステ女がわからない。有名な女子校とかだろうか?

そしてめちゃくちゃでかい木に「木の根橋」と書いてある。木ではなく、木の根橋というのはそういう橋の名前なのか?

と、柏原に関する知識がなさすぎて看板の案内がちんぷんかんぷんだ。こういう場合は、直接その場所に行って見てみるのが早い。

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「田ステ女」の謎が氷解 

というわけで、柏原歴史民俗資料館にやってきた。 

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柏原歴史民俗資料館
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入館料210円!

田ステ女(でんすてじょ)は、どうやら女学校とかではなく、人の名前らしい。

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柏原歴史民俗資料館に併設されている田ステ女記念館

田ステ女記念館に展示されていた略歴をみると、田ステ女は柏原の名家、田家の出身で江戸時代に「元禄の四俳女」の一人として活躍していた俳人であるということがわかった。

わかってしまえばなんてことない。
田は名字(めずらしいけど)、そしてステというのは漢字で書くと捨だが、これは様々な事情で子供を一度「捨てた」ことにして、それをまた「拾って」育てるという意味でよく名付けられた縁起の良い名前らしい。
女は女性歌人につける尊称で、本名は「田ステ」ということになる。

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田ステ女の肖像画。ちなみに、元TBSのニュースキャスターで、後に参議院議員を30年近く務めた田英夫氏は、田ステ女の末裔だそうです

俳人の系図によると、田ステ女は松尾芭蕉より11歳ほど年上であるものの、同じ季吟(北村季吟・きたむらきぎん)という俳人の弟子だったとされている。つまり芭蕉と同門の俳人ということになる。

さらに、経歴をまとめたパネルを読むと

“六才の時には「雪の朝 二の字二の字の 下駄のあと」の句を詠んだと伝えられています”

とある。

そこで思わず「あーっ、あの俳句ね! 知ってる!」となった。

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「あー、あの俳句ね! 知ってる!」となったときの顔(再現)
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小学生向けの俳句集にも載っていました(『わくわく子ども俳句スクール③名句を味わおう』国土社より)

件の俳句については、ステ女が詠んだかどうかあやしいという資料もあるものの「そう伝えられている」というものであることでひとつよろしくお願いしたい。

⏩ 木の根でできた木の根橋

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