京阪奈の三県境はおすすめしない
というわけで、京阪奈の三県境は、行っても場所がわかりにくいので、おすすめしない。
比較的標高の低い場所にある三県境でこのありさまであることを考えると、柳生の三県境の行きやすさが際立つ。
京阪奈の三県境は、竹やぶに紛れて場所がわかりにくい。という情報がわかっただけでも貴重ではないだろうか。
昨年、『ふしぎな県境』(中央公論新社)という、日本各地の県境を巡った記録をまとめた本を出版させていただいた。たいへんありがたいことに、いまだにいろいろなところから県境にまつわる取材を受けることがある。
そのなかでよく質問されるのが「おすすめの県境はありますか?」というやつだ。
正直なところ、本に掲載した県境はどこもおすすめはしたいと思っているけれど、先日めずらしく「これは人にはおすすめできない、ダメな県境だ」というところにうっかり行ってしまった。
せっかくなので、その前にいったおすすめの県境と、おすすめじゃない県境をまとめて紹介したい。
「おすすめの県境」ということを聞かれたばあい、大抵は「柳生の三県境」をおすすめする。
柳生の三県境は、埼玉県、栃木県、群馬県の3つの県が、一箇所に集まっている場所で、日本に48箇所以上ある三県境の中でも平地に存在し、かつ、鉄道駅から至近にあり、気軽に訪れることができる唯一の三県境として、ちかごろ観光地化と整備がすすんだ。
とは言うものの、地上にある三県境はここだけではない。
実は、以前から「ここは、もしかしたらわりとかんたんに行くことができるのではないか?」 と、目星をつけている三県境がある。大阪、奈良、京都の三つの県が集中しているこちらの三県境だ。
大阪府枚方市、奈良県生駒市、京都府京田辺市の3つの自治体が集中する場所。地元では三国境(河内、大和、山城)とストレートに呼ばれており、特別な名称もないようだが、現代風に言えば「京阪奈の三県境」とでもいうのだろうか、においたつ三都物語感である。昨日・今日・明日、谷村新司。
京阪奈の三県境は、航空写真で見ると、山の中とはいえ、すぐ近くまで田畑があり、そんなに高い山でもない。なんとか近くまで行って、スマホのGPSを頼りに歩けば意外とすぐ行けるのではないか。
気軽に行ける三県境というと、柳生の三県境ばかりが話題にのぼりがちだが、この京阪奈の三県境だって意外とすぐに行けるかもしれない……。
原付バイクを借りて、大阪のホテルから三県境まで向かうことにした。
大阪から奈良に行くには、暗峠という生駒山の難所を超えていかなければいけない。
生駒山地の麓の町から、自動車がすれ違いできないほどの狭い山道を登ることになる。これでも立派な国道(308号線)である。
大阪府と奈良県を分ける生駒山地は、なだらかな奈良盆地側に比べて、大阪側のほうが勾配がきつい、バイクのアクセルを全開にしてもなかなかスピードが出ないほどだ。
木漏れ日のある木立のトンネルを、非力なバイクをヒイヒイ言わせながらしばらくいくと、急に空が開け、道が平らになった。暗峠(くらがりとうげ)だ。
このあたりには、集落があり、道が石畳となっている。
国道の舗装が石畳となっているのは日本でもここだけらしい。
そして、この峠も県境である。
ちょうど、峠の石畳の道と交差する形で大阪府と奈良県の不県境となっている。つまり、ここにあるはずの県境をたどってずーっと進めば、これから行く京阪奈の三県境に突き当たるはずだ。道が無いのでそんなことはできないのだが。
鉄道が無かった昔は、大坂の人が伊勢参りするときは、この暗峠をこえ、東の伊勢に向かっていった。
上方落語に大坂の人がお伊勢参りをする道中をえがいた「東の旅」という噺がある。その中の「発端」では、暗峠に「暗がりといえども明石の沖までも」という句碑があるということになっている。しかし、ぐるっと見わたしたところ、そんなものは見当たらず、日本の道百選の記念碑と道標ぐらいしかなかった。
「明石の沖までも」ということは、昔はこの峠から大阪湾の方向を望むと、淡路島の北端あたりまで見えたということだろうか?
また、「東の旅」では、暗峠の語源を、暗いからではなく、あんまり坂が急で馬の鞍がひっくり返るから「鞍返り」峠だ……という。おそらく、これは噺家が考えたダジャレだとは思うが、いずれにせよ、昔から大阪と奈良を結ぶ重要な交通路であったのは間違いない。
こういうふうに、県境の目印がしっかりとあり、昔からの歴史があるような県境は、ぜひとも人にすすめたい県境のひとつだ。
暗峠をこえ、生駒の市街地を抜け、京阪奈の三県境の近くまでやってきた。
バイクをとめ、山道に入っていくと、最初は広葉樹の森が広がっていたものの、段々と竹がみっしり生い茂る竹ヤブになっていく。
竹は、生い茂るというよりも、もう、めちゃくちゃに生えている。なんかやばい雰囲気だただよってきた。
しかも、風でゆれる竹が「ズァー、ズァー、ズァァー」という、海鳴りのような轟音をたてている。だんだん心細くなってきた。こんな山奥なのに、聞こえる音は海とそっくりなのがふしぎである。
おそらく、大風などでなぎ倒された竹が、処分されることなく、そのままほったらかして置いてあるようだ。手入れがちゃんとされていない。そのため、雰囲気が非常に悪く、今にもなぎ倒された竹の影から、乳飲み子に水飴を食べさせたいという幽霊が出てきてもおかしくない。
しばらく進んでいくと「三国境」の案内が出ているものの、現在地が書いてないのでさっぱりわからない。
「三国境」の案内の出ているところの後ろにある小高い場所に行くと境界標のようなものが打ち付けられていたものの、スマホの地図を確認すると、どうやらここではないらしい。
あまり深入りしないうちに、現在地を確かめ、引き返し三県境地点をめざす。
途中、それらしき境界標をいくつもみつけるものの、スマホの地図と見比べるとどうも違う。
なぎ倒された竹が行く先を塞ぎ、前に進むこともままならない。いかんともしがたい。なんなんだここは。
もう、三県境どころではなくなってきた。本当に三県境はあるのだろうか。
狐に化かされているのではないか。昔話か。
インターネットを検索すると、三県境の場所にお手製の三県境プレートが掲げてあるという情報もあるが、その場所は正確ではないという話もあり、まさに情報が錯綜している。ついでに、いま目の前の竹も錯綜している。
三県境を求めて竹やぶの中をさまよっていると、突然「バサバサッ!」とでかい音がなり「ひーっ」と、四十路とは思えない悲鳴をあげてしまう。
おそらく、ものかげに潜んでいたキジかなにかが飛び立ったのだ。だんだん心細くなってきた。セルフ肝試しだ。体力はまだ大丈夫だけれど、気持ちのゲージがガリガリ削られていく。
こんなに荒廃した県境はなかなかない。こういう場合は、これ以上さまよっても良くない。さっさと切り上げて帰るのがいい。登山では勇気ある撤退というのも大切。いま来た道がわかるうちにバイクを止めているところまで戻ろう。
というわけで、京阪奈の三県境は、行っても場所がわかりにくいので、おすすめしない。
比較的標高の低い場所にある三県境でこのありさまであることを考えると、柳生の三県境の行きやすさが際立つ。
京阪奈の三県境は、竹やぶに紛れて場所がわかりにくい。という情報がわかっただけでも貴重ではないだろうか。
お知らせ
冒頭で紹介した「ふしぎな県境」ですが、このたび、電子書籍版が発売されました。
わー、パチパチ!
新書でもともと持ち歩きやすいものでしたが、電子書籍となり重さがゼロになりました。 めでたい!
軽くなってもお値段変わらず1080円!
もちろん引き続き紙バージョンも絶賛発売中です。
県境めぐりのお供に最適です。よろしくどーぞ!
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