岡山県赤磐市、熊山のピラミッド
やってきたのは岡山市の東、赤磐市にある熊山駅。これまでの遺跡はいずれも市街地にあったものの、今度はなんと熊山という山の頂にあるのだという。
と言うことは、やっぱり山登りになりますか。こりゃぁ、大変だ。
私は煉瓦のトンネルが好きだ(→参考記事)。ゆえに、現役で使われている煉瓦のトンネルや陸橋を見ると、否応無しに興奮する。特に、思わぬところで突然煉瓦に出くわしたりした時なんか、たまらない。いやぁ、煉瓦ってのはなんでこう、心躍るんだろうね。
さて、駅から歩いて10分足らず。煉瓦の陸橋をくぐって道なりに進むと、でかでかと掲げられていた登山道の入口を示す看板が目に留まった。それに従い、山へと入る。
どうやら遺跡のある熊山は、ハイキングコースに組み込まれている山らしい。「森林浴のメッカ」とか、分かるようで分からないキャッチフレーズが付いているが、まぁ、とんでもないえらいところ、というわけでもないようだ。
……と思っていたら、向こうから歩いてきたおばぁさんに突然呼び止められ「山に登るのか?山は熊が出るぞ」みたいな事を言われた。熊山という名前だし、こりゃやばいかもと思ったが、後で調べたら熊山とは熊の山ではなく、隈(くま)山、すなわち隅っこの山というのが転じて付いた名だそうだ。
なーんだ、ビビらせないでよ、おばぁちゃん。
道が荒れているという標識にややぎょっとしながらも、登山道はまぁ、至って普通のハイキングコースという感じ。
ただ、石畳がまばらに敷かれているので、時々足の裏に石の尖った部分が当たる。底の厚い登山靴で行ったから良いものの、普通の靴だったぼろぼろになっていたかもしれない。
登山道の要所要所には、このような様々ないわれを紹介する立て札があった。昔から、言い伝えられてきた話なのだろう。
と言うことは、今でこそ登山道になっているものの、このルートは古くより人々に利用されてきた古道という事になるのだろうか。山頂の遺跡が現役で機能していた頃、それを目指すための参道として使われた道なのだ。きっと。
駅から歩き始めて1時間半。途中、結構傾斜のきつい所があったり、小雨に降られて濡れそぼり、冷たい風に吹かれて泣きそうになったりもしたが、ようやく熊山の山頂にたどり着いた。
休憩する暇も惜しんでずずずいと奥へ進むと、現れました、第三のピラミッド、その名も熊山遺跡。
……あれ?なんか小さくない?うん、まぁ、そうね。
事実、規模は約12メートル四方、高さも3.5メートルと、これまでに見てきたものよりは大分小さい。いや、肝心なのは見た目の大きさなんかじゃない、要は中身だ。
これまでの土塔や頭塔は、基本は土で作られており、周りだけを瓦や石で葺いた形だ。しかし、この熊山遺跡は、正真正銘、総石造のピラミッド。土で水増しなんかせず、石のみで構築された男の遺跡だ。
どうよ、この男具合。ゴツゴツした岩の上に基壇が作られ、その上にそそり立つ石積みのピラミッド。フンドシを固く締めて担ぎ上げたい遺跡じゃぁないか。わっしょい、わっしょい。
この遺跡が乗ってる岩もただの岩ではなく、太古より神の宿る岩として人々に信仰されてきた、磐座(いわくら)なのだという。ちなみに、以前当サイトライターの尾張さんが、和歌山新宮市の神倉神社でお燈祭りに参加していたが(→参考記事)、この神倉神社もまた磐座を御神体とする神社である。
この遺跡もまた土塔や頭塔と同様、仏教寺院の塔として奈良時代に作られたものだ。そのすぐ横には寺の建物があったらしく、周囲にはその名残が見て取れた。
和製ピラミッドは、すなわち変わった仏塔
しばらく熊山遺跡を眺めていたが、吹き荒ぶ風により体温を奪われ、程なくして私は下山せざるを得なかった。下山し、家に帰り、改めて思ったのは、奇妙な遺跡だった、という事だ。
山の頂上にあるピラミッド状の遺跡。奈良の町家に埋もれた頭塔。住宅街にそびえる瓦の塊。どれもあまりメジャーとは言えない遺跡だが、それぞれ何とも言えない味があった。その姿を見るたびにわくわくした。
これらの和製ピラミッド遺跡、まぁ要するにちょっと変わった仏塔なのだが、唯一無二の、他で見られないものとして、非常にわくわくさせてくれる。遺跡探訪ってのは、やっぱりそのわくわくが大事でしょう。それを味わう為にも、これらの遺跡を訪れる価値はあると思いますわ、やっぱ。