自分の考えたデザインが街にある、という気分になるか
たとえばこれは、不動産会社のポスター。
内容はいったん忘れる。
で、実はこのポスターの発注者は自分で、適当な指示書をデザイナーに渡したらこれを作ってくれた、と妄想することにする。こんな感じだ。
実際にもこういう指示書のやりとりがある、というわけじゃない。むしろないだろう。いまは仮にそう思って見てみるだけだ。
で、この順番を逆にして並べてみる。
どうだろう。あたかも左の指示書をもとに右ができたかのように見えないだろうか。「今すぐ物件を見たくなるビジュアル」のところ、微笑む女性になってる、と感じないか。
こんなふうに、指示書を後から捏造することで、あたかも自分のお願いしたデザインが実際に街にある気分にならないだろうか、というのが今回の趣旨です。
SIXPAD のポスターはぶじ井上尚弥選手に決まった
本当にそうか、いろいろと試してみたい。言ってることが唐突なので、勢いでごまかしたいというのもある。
腹筋が6つに割れる健康器具。実はこのポスターもぼくが発注したのだと思うことにする。指示書はこんな感じだろうか。
無理なら具志堅用高(かつての世界チャンピオン)とは失礼極まりないが、とにかくこれを順番に並べてみよう。
どうだろう。あ、要望どおり井上選手になったんだな、と一瞬でも感じないだろうか。実際にはこんなふうに起用タレントが決まることはないだろうし、そもそもこんなデザイン指示の流れもない、と思うけど。
カラオケ歌広場にキャラがいたことを思い出す
「カラオケ歌広場」の看板をたまに見ませんか。あれもぼくが発注したと思うことにする。
今回は捏造した指示書から先にお見せしたい。
現時点では歌広場の看板をしっかりイメージできてないと思うので、いったんそのままでいてほしい。
そして実際の看板がこれだ。
あー、言われてみればいたかも、このキャラ、という気持ちにならないだろうか。実際には「なんらかのキャラ」どころか創業以来のキャラクターで「ニコちゃん」というそうだ。
看板をデザインする、なんていう気持ちにはふだんならないし、誰かが看板をデザインしたんだという意識もほとんどない。だけどいま勝手に当事者意識を持つことによって、あーここにキャラいたねということを発見する効果があるように思う。
唐突なデザインの背景に想いを馳せる
歯医者さんの看板を担当したこともあった(と思うことにする)。
「何かくわえさせてください」とある。歯が丈夫になるということをイメージづけるため、人物に何かくわえてもらおうと思ったのだろう。で、返ってきたデザインがこれだった(と思うことにする)。
まさかレタスをくわえているとは。
実は最初にこの看板を見たときは、レタス唐突だなと思った。意図が分からなかった。しかしこんなフリー素材もないだろうし(あるのか?)、歯が健康になってジャキジャキ噛めるよということなのかな、と指示書を捏造して初めて思った。