知らない文化がある世界
草クリケットというか、球を打ったり走ったりするのは深いことに関係なくおもしろいものだと思った。多くの人がレジャーのバドミントンを楽しむのと同じ感覚で楽しめた。
インドでは人気だとかそういう次元を超えたクリケットだが、日本では競技人口が在日外国人を含めて1500人程度だといわれている。
文化と文化が対立して悲劇が生まれる、というのはよく効く話だが、文化(日本)が文化(クリケット)にここまで興味ないと面白いなあと思う。
たくさん走ったので試合中なのだがティータイムを導入した。6月とはいえ日差しの強いよく晴れた日だったので、休憩は必要だ。だいたい2人でやってるわけだから常に動いてる。試合中休んでいる暇はない。半ば格闘技と言えなくもない運動量だ。
「ティータイム中は仲良し」というルールのティータイムを終えて、ルールの変更を加えることにした。
まずはボールをより大きなゴムボールへ。
ピッチャーの立場として、棒に全然当たらないのがくやしかったので、ボールを大きいものに変更してみた。よく考えたら、バッターから見ればボールが大きくなったらうちやすくなる。今思えばちょっと馬鹿な提案だった。
そしてもうひとつの変更、「走るの禁止」。
ふたりともだいぶ疲れたので走るスピードはほとんど変わらない。走る距離がゼロ(繰り返して言うがアウトの意)かセーフかを分かつのだ。
お互いに走らないという約束をすることで、無益なカロリーとやる気の消耗を避ようと、この変更を加えた。
さらにもう一つ大切な変更点。
神の化身たる三本の棒を倒されたバッターは、神をバットで護りきれなかったことを懺悔し、神々に対して土下座してその謝罪の意を表明する、というルール。
これは、渡来したスポーツがいつの間にか神へのお祈りに土着化していった…、なんて文化人類学でありがちなものをルールに加えてみた。お遊びである。
こうして出来上がった、僕たちがインドから持ち帰ったクリケットの完成形はこんな感じになった。
こうしてみるとほのぼのとしている。点差が開きすぎて必死なやる気みたいなものがなくなってしまったからだ。恥ずかしい話だが、33ー3で僕は負けた。点差開きすぎ。でも言っておこう、大北さんが強かったのではなく、僕が弱すぎたのだ、と。
最後にWikipediaに書いてあった、正しいクリケットのルールと僕らのクリケットを比べてみる。(参照)
違ったところは
という感じでだいぶ違うところも多かったのだが
と、結構あっているところもあって、僕らの体験が完全にクリケットとかけ離れたものではなかったことを知って、やや安心したのであった。全然ちがったら馬鹿みたいだった。
草クリケットというか、球を打ったり走ったりするのは深いことに関係なくおもしろいものだと思った。多くの人がレジャーのバドミントンを楽しむのと同じ感覚で楽しめた。
インドでは人気だとかそういう次元を超えたクリケットだが、日本では競技人口が在日外国人を含めて1500人程度だといわれている。
文化と文化が対立して悲劇が生まれる、というのはよく効く話だが、文化(日本)が文化(クリケット)にここまで興味ないと面白いなあと思う。
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