特集 2020年7月3日

大阪城になり損ねた石垣はいま

「残念石」が好きだ。

それは大阪城の石垣になり損ねた石。西日本各地から城へ運んでる途中で落ちて、「縁起が悪い」と放置され、日の目を見ることなくそこに四世紀近く佇んでいる。名前もいいが、ストーリーもいい。

そんな残念石の今を追った、待遇の差がすごかった。

1984年大阪生まれ。2011年に旅先で誘われベトナム移住。ダチョウに乗って走ったり、ドリアンの皮を装備したりと、人は羨まないが平和な人生送ってます。(動画インタビュー

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> 個人サイト べとまる

大阪城は西日本「石」大会会場

きっかけは一年前に行った大阪城の石垣の取材。

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大阪城は400年前の全国巨石石見本市」より
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石垣オブ石垣、大阪城内上位11位の巨石を紹介した。

大阪城の石垣が、デカすぎてすごかったのだ。記事公開後に韓国人の友人に聞いた話で、お父さんと大阪観光してるとき石垣にえらく反応していたらしい。お仕事は土木建築関係。プロの目から見て「400年も前にこんな巨石を積み上げて」というところに驚いた、とのこと。

大阪城=豊臣秀吉のイメージが強いかもしれないが、いや大阪人じゃなければ意外とそれも知られてないかもしれないが、現存するものは徳川が豊臣大阪城を埋めて築いたもの(天守は間もなく落雷で焼失していて、1931年に大阪の人たちが中心にお金を出しあい建てた)。

立場の弱い元豊臣家の家臣たちを、ウラウラオラオラといびった…かどうかは知らないが、「今ここで忠誠心を見せないと取り潰すよ!」という雰囲気で、西日本のあちこちから持ってこさせたと言われている。結果、デカくて良質な石ばかりが集まって今の大阪城ができた。

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石の産地とシンプルな運搬経路、シルクロードならぬストーンロードだ。

で、残念石は、この運搬中に落ちちゃった石。海に落ちたらどうしようもないが、地面に落ちても「城が落ちると連想させて縁起が悪い」ということで捨て置かれた。長くなりましたが、今回そんな3カ所に点在する残念石を見に行きました。ちょっとドラゴンボールっぽい。

つっかもうぜ!残念石!(むり!デカイ!)

通天閣前に残念石があるのではなく、残念石の前に通天閣がある。

まずは大阪が誇る通天閣から。灯台下暗しというか…意外なところにあるもんだ。

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最近、緑や黄や赤に光ったりして話題になった。左のづぼらやはコロナもあり閉店…。
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通天閣があまりかっこいいことを言うと前フリにしか見えない

想像通り少ない人出で寂しいが、今は好都合だ。 しかし過去4度は来てるけど、ここに残念石があったとは。そもそも概念すらも知らなかったから気づかないのはしょうがないけど。

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あった!
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想像以上に主張していた

しれっとある。すぐ見つかった。駐車された車が前を空けていたあたり、いちおう認識もされている?でも観光客なら完全に通天閣を見上げているような位置だから、十中八九の人は気づかないだろうなぁ。

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「石」が傾いているあたり、「残念!」「失敗!」という感じがする。

うむ、コテンッ!とでも聴こえてきそうな表現に愛を感じますな。この看板をつくった人物なかなか分かっておる。しかし名前の由来を書かないあたり、片手落ちじゃ。それが残念石の肝であろうに。

残念石に対する愛着がめんどくさい古参ファン、あとなぜか老人言葉みたくなってきたあたりで、一度残念石の特徴についてお話します。

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これ!この溝。

小さいサイズなので分かりづらいが、等間隔に凹みがある。石を割り出すときにはくさびを打ち込む、そのために空けた矢穴で、言うなれば、切り取り線。4世紀前の古人の知恵がうかがえる。特徴はもうひとつあるけど、この石に関しては見当たらなかったのでまたあとで。

大阪城までは直線距離でざっと4km、あともう一本というところで落ちてしまった残念石。しかしこのサイズなら石垣の一部で注目されることもなかったろうに。ともすれば、通天閣という大阪のランドマークの真ん前に落ちたことは、四世紀越しの下克上かもしれない。

いや。初代通天閣は1912年生まれだから、その三世紀前からある訳か。で、植え込みや街路樹は容易に動かせない残念石が基準になってるワケで、その道路をまたぐ形で通天閣は建てられている…。ってことは、通天閣の位置は残念石が基準になってると言ってもいいよね。

なんだもう、残念石の方がランドマークなんじゃないのか。

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加茂の残念石はひっそりとして秘境感

第二の残念石はお隣の京都へ。石はほとんど川を下って運ばれるものなので、地面に落ちてるということは大阪城手前か石切り場となる。

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京都、木津川市、加茂町。
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地図アプリを頼りに山ふもとに向かって真っすぐ進む

途中なにかあったらいいなーと思っていたら、本当になにもなかった。というか、30分くらい歩いたんだけど人っ子ひとり見なかった。まぁ、日曜だし、コロナのこともあるし、こんなものかもしれない。

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おっ
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残念石の看板発見!

よかった。小心者なのでこういう地元の人しかいないような場所に踏み入れるのはハラハラする。これで人にジロジロ見られたら堂々と「残念石見に来ました」と言える(でも結局誰とも会わなかった)。

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あっ
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あったー!
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えーーーーーーー!?
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これだけーーーー!?
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ほんとにーーーーー!?(と言いつつ記念写真)
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いやさすがにそれはない…と思ったらちょっと離れたところに看板が。

あたりを見回すとちょっと離れた場所に説明書きの看板があった。

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「足元が滑りやすいので、十分に気をつけてください。」…。
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…ってことは、この先か。

あからさまな看板もないので私有地かな?と思っていたが、文脈から察するにこの先のはず。これはこれでおもしろいけど、ギリギリ帰るところだった。大切な史跡であっても観光要素はほぼ感じられない。

前日の雨でぬかるんだ悪路をズッポズッポ音を立てながら歩くと…

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あれは…!
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出ました!いきなりドーーンと巨石群!!

いいですな~!ダイナミックですな~!!

おっと待ちな!こいつはほんとに残念石か!?だったら証拠に…

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はいあった見事な切り取り線!しかもバチッと!割ったんだね!君は割られた!
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デカイ!うれしい!大好きだ!(大きさ比較にSUICAを置いた)

うっそうとした茂みの中、これが人為的に置かれなければ一体なんなんだよという巨石群。古人のロマンを感じる。なんかちょっとカンボジアのベンメリア遺跡も思い出すねこれは、行ったことないけどさ。

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これがベンメリア遺跡。あ、いや、やっぱこっちの方がすごいはすごいわ(©松岡明芳)

調べると、ここはそばにある大野山から切り出して木津川と淀川を通って運ばれた場所、要するに石切り場。大阪城築城を任された藤堂高虎が、90日間滞在して指揮したという記録も残っているんだそうな。

通天閣のときに「残念石の特徴には2つある」と書いたけど、そのもうひとつが石に残された刻印だ。徳川家に忠誠心を示すためこんな良い石を運んできたよと、自分たちのだと証明する必要があったから。

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めちゃくちゃ分かりづらいところにあった

7つの刻印が見つけられるそうだけど、ちょうど草木が伸びる頃で探しにくさ満載、それらしいものは上の写真しか見つけられなかった。

さて、巨石群は見つかったがもうひとつ謎がある。船で運んだんだから川が近くにあるはずだ。枯れている可能性がなくもないが、俺は現存を信じる。なぜならGoogleのレビューにあったからです。はい。

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竹藪とぬかるみばかりの、道とは言い難い悪路を抜けると…
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会いたかったぞー!!おまえたちー!

四世紀前に切り出された巨石がそのまま川に…ふ、震える!!埋もれているのもポイント高い、巨石自身の重みで沈んでいったのかな…。ただでさえ「残念」扱いされてるのに、こうして人目に触れずに埋もれていってんだから、残念がすぎるぜ…。滅びの美学を感じます。

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地図で見るとこう。石は、赤田川を経由して木津川へ、そしてその先の淀川へ向かう。
/©OpenStreetMap

でも、もうここには川と言えるほどの水量はなく、深い水たまりという方が近い。ということは、川に沈んでいた巨石が、干上がったことで露出したのかな。ま~夏だから水がないってだけかもしれないが。

もしかしたら、運んでる最中にイカダが転覆して、石も沈んじゃって、てめぇのかじ取りで残念石になっちまったじゃねぇか!とかひと悶着あって…。川底で眠っていたものが四世紀を経てここに大量に転がってる。かも。やばい、勝手に町おこししたいレベルで興奮する。

ああだこうだと書いたけれど、ここは川で運ぶ出発地で、まだ運ばれてすらいなかった可能性もある。想像が捗る。最高だな~、残念石!

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それにしてものどかな町だった
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淀川河川公園の残念石はぜんぜん残念じゃない

加茂の残念石にひとしきり盛り上がったあと、北へ。同じ京都は京都だが、4路線乗り継いで長岡京駅へ、そこからバスと徒歩で向かう。

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長岡京駅に鉄道の車輪があった。すまない、今は石にしか興味がないんだ。
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ダイハツの工場を抜けて…
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立入禁止!と思いきや車両進入禁止なので安心して先へ先へ…
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加茂の残念石につづいてどんな秘境があるのかなーって、
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あれま?
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すごく平和そうな、
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公園に出てきた…?

サッカーボールを蹴り合う親子、少年野球チームと応援に来た家族、テントの中で読書をしている人…。加茂とギャップがありすぎる…。

このどこに残念石が…ん?待てよ。あーそうか…。

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お子さんの足元にあるそれか!!!

到着してはじめて気づいたが、ここは淀川河川公園というけっこう大きめの公園。淀川。そっか。加茂の石は木津川から淀川に入っていったけど、合流のタイミングで残念にも落ちてしまったってことね。調べると、ここは木津川から急角度で合流する場所だったためイカダごと転覆したとされ、それが公園整備のタイミングで引き揚げられ再利用しているらしい。この位置関係は地図を見ると俄然分かりやすい。

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©OpenStreetMap

あたりを見回すと残念石についてのこれといった説明書きもなく、地元の人でも知らないまま来ているのでは?という印象だったが、

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このへんの石は切り取り線もあって、ちゃんと立派に残念石だった。刻印も探し回ってみたけどなかったので、川底に沈んでいる間に摩耗してなくなったのかもしれないし、整備にあたってほかから石を足したとすれば、そもそも残念石ではないものも含まれるかもしれない。

残念石ではなく、あくまで公園を飾るもののひとつとして使われている。大阪城にこそなれなかったが、四世紀を経て地元の憩いの場所になっている。もうぜんぜん残念じゃない余生(?)を過ごしていた。


西日本に点在する「残念石」悲喜こもごも

図らずも3カ所の残念石は、

・加茂=切り出されたが運ばれていないもの
・淀川河川公園=淀川への合流で落ちたもの
・通天閣前=川or海を渡ってきたけど大阪城手前で落ちたもの

という、運ばれる過程の3パターンで別れていた。

それだけでも十分おもしろかったけど、割とそのまんま放置されていたり、わざわざ川底から引き揚げて公園に使ったり、近くにランドマークができたり。でも残念石の説明もあったりなかったりで扱い方がぜんぜん違う。かつては大阪という同じ地を目指したのに、たどり着けず、それぞれの歴史をたどっている。雪山で亡くなった登山者はそのまま目印になっているというが、少しだけ似てるかもしれない。

個人的には加茂の厳かな雰囲気がすごく好きだったが、現在は道路整備計画により一部を残して埋め立てられる見通しだという。興味のある人はぜひ見ておいてほしい。ピンと来た人ならグッとくるはず。小豆島にもとんでもない残念石があるというので、そこにも行きたい。

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加茂のマンホールが町のシンボルぜんぶ盛りだった

 

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