マチュピチュが大阪城そっくりだった
冒頭で外国人観光客がマチュピチュだと話していたが、後日妹から「マチュピチュほんまに大阪城そっくり!」と、テレビ番組を撮った写真を送られてきた。見た。
取材協力:NPO法人大阪観光ボランティアガイド協会
大阪城は実家の近所なので、帰省中の散歩道。最近は商業施設も増えて活況だ。本丸まで登っていって、天守閣を見上げると、「帰ってきたな~」と実感する。
ただ最近、不思議に思うのは、おなじみの光景となった外国人観光客のみなさんが「見ているもの」。なぜか彼らは石垣ばかりを撮っていて、それを見ながら「マチュピチュ」がどうのと話している人もいた。それってあの空中庭園の?大阪城を見てなんでそれ??
調べると、大阪城は石垣こそがすごかった。むしろ本体かも。あれ、400年前に大名たちがしのぎを削り巨石を集めた『徳川主催全国巨石見本市』だったのだ。
最初に歴史的な背景をざっくり説明。
時は1620年、関ヶ原の戦いで勝利を収めた徳川家は、西へ追いやった豊臣方の外様大名たちにある命令を下した。「豊臣がつくった大阪城完全にぶっ壊してもっかい城築くからジャンジャカ石持ってきてね」。首の皮一枚状態の彼らにとってそれを断る選択肢もなければ、むしろ今ここで忠誠を示さないとヤバイ!お家が潰される。
西の大名たちの財力を削る目的ともされた天下普請だったが、同時に大名たちは「活躍しなければ」と、自慢の巨石に家紋を刻んで送り込んだ。ほかの藩よりも良質で大きな石を優れた技法で!言ってみれば『徳川主催巨石コンクール』、64家の大名たちにより三期の工事を経て9年後に完成。地上に出ているだけでも50万、地下に基礎として同数あるなら100万に及ぶ巨石が集まった。
なんて知った風に書いてみましたが、このエピソードは『NPO法人大阪観光ボランティアガイド協会』のガイドの方からうかがった話に脚色したものです。そして、本題。この100万石の上位11位、競争倍率90,909倍を勝ち抜いたエリート巨石たちが今でも気軽に見られるという。実はこの巨石ランキング、大阪城の公式サイトにも載っている、知る人ぞ知る有名な番付らしいのだ。
そのランキングに沿って、巨石ぶりを見てほしい。
では11・10位から。なんで10選じゃないのと思われた方にさっそく朗報。なぜなら次の行がその回答だから。
■11位:虎石
※以降すべてのデータは大阪城公式サイトからの引用
■10位:竜石
このふたつの石、桜門を挟むように1セットなんです。わざわざ竜虎から名前が付けられているあたり、そこを意識してなのだと思う。なのでこれが9位と10位だったら10選とキリよくまとめられていたことでしょう。
ちなみにこの石、なぜか怪談もたんまり載ってる江戸時代の大阪城ガイドブック『金城見聞録』(年・作者不明)には「雨が降ると竜虎の模様が浮かび上がる」と書かれていますが、十中八九脚色です。作者のちょっとした茶目っ気が現代まで伝わっているのもなんだか愉快。
■9位:桜門四番石
そんな桜門を北へ抜けてすぐにあるのがこちら。あとでほかの石も紹介しますが、桜門周辺の巨石で四番目にデカイということで桜門四番石。でも9位でこれ、倒れてきたらか~るく死ねます。すぐ隣に6・3・1位があるのですが、ランキング的には順番がめちゃくちゃになってしまうのでそこは触れたいのをグッと堪えて後回し。
突然ですが、ガイドの方から教えてもらったトリビアをこんな感じでちょくちょく挟んでいきます、なぜなら本編では本当にひたすら石のデータしか出ないからです。
■8位:大手三番石
大手門を東に抜けると、ここも桜門と同じく巨石群がある。門の近くに巨石を集めているあたり、「要所は立派に見せましょうね」という当時のひとびとの意思を感じる。事実、この巨石たちの正確な奥行きは分かっていないことも多く、それらしく見せる平べったい化粧板なのかもしれない。そうだとしても十分に巨石なのだけど。
■7位:京橋口二番石
■6位:碁盤石
■5位:大手二番石/4位:大手見付石
5位と4位を同時に出したことにはワケがある。実はこの巨石、もとはひとつ。2016年3月、大阪大学と公益財団法人かながわ考古財団の共同研究により「ひとつの巨石を割ったもの」であることが判明(割と最近!)。これで産地の割れ目とペアリングすることで各々の石垣がどこから来たのか分かるかもと…四世紀の浪漫だな。
■アスレチックと勘違いされがちな刻印石広場
いよいよ三位に入る前に余談、もう十分しているか。割るのに失敗した残念石の話はすでにした通りですが、まともな石もふくめ最終的にはどうしても余ってしまう。その石たちはどこに行ったというと、一部が大阪城内にある『刻印石広場』という場所に集められているのだ。
専用の広場なので一見丁重に扱われているようだけど、集まりすぎると逆に存在感が薄くなるのは石の宿命か。結果、アスレチック広場と思われて、週末に行くとわんぱく少年たちが石から石へ飛び跳ねる遊び場となっている始末。実は私も小学生の頃は同じことをしてました、子供には史跡の重みは分からんのですよ…すみません。
と!いう訳で!3位から1位まで一気に。
■3位:振袖石
■2位:肥後石
■1位:蛸石
1位と2位、一見すると順番逆じゃない?というサイズ感なのですが、よく見ると2位の肥後石は上下に細めの石が挿し込まれてかさ増し感がある。純粋にひとつの石として見ればやはり蛸石がナンバーワンなのか。なお、蛸石はすごく分かりやすいネーミングでありまして…。
一見するとコーヒーのシミみたいに見えるが、このシミが400年前からずっとあるってことですよね。そう考えると石って本当に形が変わらないんだなーとしみじみ感じ入ります。なお、この蛸石こそが冒頭にも載せた、外国人観光客人気の巨石。最大サイズだからでしょうか。
紹介した巨石をgifでつなぐと、こんな感じに。
今まで100回来てるかもしれない大阪城だし、この巨石も視界には確実に入っていたけれど、教わってはじめてこの存在感に気づいた。大阪城の石集めはたった9年間のことだけど、連日のように石を割っているものだから技法は瞬く間に進化して、時代により、また藩により、そのレベルはさまざまなのだという。参勤交代のための大名行列によって全国の交通インフラは整備されたと聞くけど、これは日本の石加工技術を高めたんだろうな。
以前、外国人の友人から「大阪城って新しい感じで歴史的なおもしろみがない」と言われたことがあり、当時は地元民ながら自分もそう思っていたので、とくに否定はしなかった。確かにあのペカペカした天守閣は、大阪城の象徴ではあるが、城としてならまだ88歳の若造だ。が、今なら言える。石垣はほら築四百年!すごく長い。
ちなみにこのコンクールでどの大名が貢献したかというと…備前岡山藩の池田忠雄、肥後熊本藩の加藤忠広、でした。というより、11選の8つが前者で3つが後者なので、そこはもう圧倒的だったよう。その結果、取り立てられたのかというと、そこまでは分からなかったけど。
この絵葉書でも石垣を主役に据えているあたり、「大阪城は石垣がすごい」はずっと有名だったんだろうな。それがいつの間にか知る人ぞ知るものとなってしまった。みなさん、大阪城は石垣こそが本体です。石を見よう!
今回いろいろ教えてもらった大阪観光ボランティアガイド協会さんでは、個人・法人向けに10日前までにガイドの申込みが可能です。この記事には書き切れないことばかりで、「石垣の隙間に支えとして挿し込まれている鉄は出自が謎」「石垣の白い層は工業用水で堀の水をかさ増ししたときにカルキ成分で漂白された」などトリビア尽くしでした。もはや大阪人であれば義務ってレベルでガイドを受けてもらいたい。大阪城の見方が変わる。
冒頭で外国人観光客がマチュピチュだと話していたが、後日妹から「マチュピチュほんまに大阪城そっくり!」と、テレビ番組を撮った写真を送られてきた。見た。
取材協力:NPO法人大阪観光ボランティアガイド協会
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