おまけ
使い終わったオオオニバスは、ビニールシートの間に水が入って重いので、分解して持ち帰ることにした。こんな感じの名画があった気がする。
アマゾン原産のオオオニバスという植物がある。
水に浮かんだ葉の直径が3m以上にもなる、とても大きな蓮の仲間で、体重の軽い子供なら上に乗って水に浮かぶことができる。体重の重い大人が乗ると、オオオニバスは重さに耐えきれず、沈んでしまう。
子供の時にしか乗れない、まるでネコバスやネバーランドのような、オオオニバスとはそんな植物なのである。
筆者がオオオニバスの存在を知ったのは、中学生になってからだった。精神年齢的はともかく体格的には大人に近づいていたため、オオオニバスにはもう乗れなかった。
最近ふとそのことを思い出した。悔しいので、大人でも乗ることの出来るオオオニバスを自分で作ってみることにした。
※この記事は記事投稿コーナー「自由ポータルZ」にて開催した「夏のライター通信講座」で制作した作品です。
自宅近くの植物園に実物を見に行った。
オオオニバスに乗りたいと思う読者がどのくらいいるか検討もつかない。そもそも、みんなオオオニバスを知っているのだろうか?
そんな不安が頭をよぎったから、まずは実物のオオオニバスの姿を見てもらって、「オオオニバス、乗ってみてえ!」と感じていただこうと考えたのだ。
さあ、見てくれ!これがオオオニバスだ!
威勢よく紹介してみたものの、肝心のオオオニバスは発育途上のようで実に頼りなかった。葉の縁の、水面から垂直にそそり立つ部分(こいつのおかげで、少々沈んでも葉の上に水が侵入してこない)も未発達だ。
てらてらと光っていて、なんだかラーメンに浮かんだ油のようだと思った。
なお、成長しきったオオオニバスはこんな感じの外見である。
葉が分厚い上にたらいのような形で実に頼もしい。
どうだろうか?乗ってみたくなっただろうか?
読者の共感が得られたと信じて、とりあえず作っていくことに。
まずは塩ビパイプをつなげて輪っかを作る。大きさの目安は自分の身長だ。
周囲のことなどおかまいなしにフラフープ代わりに回したらさぞかし面白いだろう。
10cmおきくらいに穴を開けて
円内に収まるように切った3cm厚の発泡スチロールを仕込む。こいつが浮力を生んでくれるはず。
発泡スチロールが輪の中に収まったら、最初に開けた穴にひたすら糸を通して固定していく。
固定に使ったのは100均の麻紐だったのだが、穴を通す際に削れて細かい糸くずを撒き散らすので、花粉症のように鼻や目が痒くなった。ただの塩ビパイプと発泡スチロールが、俄然、植物に近づいた気がしてきた。
糸を通し終わったところ。
放射状に糸を張ったのは、真ん中に乗った人間の重さが周囲の塩ビパイプに均等にかかるようにするためだ。結果的に葉脈っぽい見た目になった。
先ほどよりさらに植物に近づいたようで、気分が舞い上がる。
それなのに...それなのにだ。ブルーシートを被せたら一気にただの子供用プールみたいになってしまった。
なんだろう、やはりオオオニバスは大人が乗るものではないのだろうか?さっきまでの高揚感が白昼夢のように引いていくのを感じた。
しかしながら、今から根本的な作り直しなどできない。開き直って、先に進むしかないのだ。
アクリル絵の具で着色する。
ブルーシートが絵の具を弾いてしまうので苦労した。そういえば、蓮の葉が水を弾く原理を応用したヨーグルトの容器の蓋があったような...。とすればこれは材質的にもほぼ蓮の葉なのでは。
蓮の葉に近づいたと喜んだり、一転してただの子供用プールに見えてきたり、期待と絶望のジェットコースターのような乱高下にすっかり疲れてしまった。はたして、こいつに乗って浮くことは可能なのだろうか?
運ぶ手段をまったく考えていなかったことに気づく。車がない(そもそもあっても積めない)ので、人力で水辺まで運ぶしかない。
転がしてみる。
ギャートルズとかに出てくる、ステレオタイプな石器時代の通貨のようだ。
ゴロゴロと蓮の葉を転がしながら、古代人の買い物に思いをはせる。こんなに軽いものを転がして移動するだけでも大変なのだから、やっぱりあの大きな石のお金はフィクションなのだろうと思った。(が、帰ってからググったら実在することがわかった)
担いでみる。
オオオニバスの葉から人間の下半身が生えたオオオニバス人間。マタンゴならぬ、ハスンゴだ。
そんな、運び方を試行錯誤しながら歩くこと1時間超。流れが穏やかで膝ほどの深さの、都合のよさそうな岸辺を見つけた。
「オオオニバスを浮かべる」という視点で探すと、見慣れた川も非常な急流に見えてしまう。だから、ベストなコンディションの場所を探すのに4kmくらい歩いてしまった。
川面を覗き込むと、ミドリガメ(ミシシッピアカミミガメ)が大きな魚の切り身をくわえて泳いでいた。そう、ここは弱肉強食のアマゾン川、オオオニバスの故郷まで歩いてしまったのだ!(アマゾンにミドリガメはいない)
そろりそろりと水に入れていく。
浮いた!しかし、着水したとたんに縁の外側の、水に接している部分の塗装がみるみる剥がれて流され始めた。偽物は、水に弱かったのだ。
現在進行形で化けの皮が剥がれていることに焦りつつも、試しに片足を乗せてみた。ブヨンとした水の感触があって、足が水面下に5cmくらい沈んだ。
「あ、無理っぽい」
直感的にそう思ったけれど、ここまで来て引き返すわけにはいかない。
両手両足を使って体重を分散させながら、上に乗ってみる。
大方の予想に反して、なんと沈まないではないか!
しかしながら、半笑いで「流されてる」とか言ってる場合ではなかった。
石段に引っかかって崩れた縁から水が流れ込み始めたからだ。
水にさらされて波打ったブルーシートから、塗装がさらにボロボロと剥がれる。
中の水を出して、縁の部分を応急修理する。
一度中に水が入ったことで、一層よれよれになってしまった。挑戦はあと1回が限界であろう。
読者は「乗れたんだからもういいじゃないか」と思うかもしれないが、違う。
上に立つのが夢なのだ。
そーっと、そーっと...
ダチョウクラブの人たちは、いつもこんな緊張を味わっているのだろうか。しかも、衆人環視のもとで。
まずは片足。
そして両足!沈...まなかった!絶対に沈むか踏み抜くかすると思っていたのに、手作りオオオニバスの強度が私の両足を受け止めてくれたのだ!
色が剥がれてきてボロボロだけれど、紛れもなくオオオニバス(のようなもの)の上に立った瞬間である。
足元がフワフワとしていて頼りない。水の上を歩いているような、不思議な感触だ。本物のオオオニバスもこんな感じなのだろうか?
ブルーシートの下の麻紐の感触が足に伝わる。本物のオオオニバス乗った時も、葉脈の感触を足裏で感じるのだろうか?
しかし大人になってしまった今、それらを確かめる術は永遠に失われてしまっているのだ。
役目を全うして、水から引き上げられたオオオニバス。
なんというか、不法投棄された粗大ゴミにしか見えない。こんなにボロボロになるまでがんばって...と、液体金属ターミネーターにボコられたシュワルツェネッガーを見たときのような気分になってしまった。ありがとう、オオオニバス!
首尾よく上に乗ることが出来たら、上で食事してみようとか考えていたのだが、そういったことを実行する前にオオオニバスはクタクタになってしまった。
しかしながら、作り物とはいえ「オオオニバスの上に立つ」ことが実現できたのでうれしかった。乗る直前まで「正直、これは沈むかも」と思っていたことも、上に立てた瞬間の興奮に一役買ったようである。というか、喜びの半分くらいはこの「苦労して作った物がちゃんと浮いた」ことによるものだったのかもしれない。最初から生えているオオオニバスに乗っても「わー、本当に浮いた」で済ませてしまっていただろうから、ちょっとだけ得をした気がしないでもない。
もしこの先
「オオオニバスに乗ったことがありますか?」
と聞かれることがあったら、
「もちろんありますとも。しかも自分で作ったやつに乗ったんですよ」
と答えて相手を驚かせてみたいと思う。
使い終わったオオオニバスは、ビニールシートの間に水が入って重いので、分解して持ち帰ることにした。こんな感じの名画があった気がする。
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