住吉暗川に行く
そんなわけで、すっかり「洞窟行ってよかったな」となっている私だったが、帰り道に洞窟先輩が今度は「住吉暗川(すみよしくらごう)」に行くぞといい出した。
おい、住吉暗川、見に行くぞ!(洞窟先輩)
んー。暗川ですねー。たしかに、これも写真は撮っておきたいッス。わかりました先輩、行きましょう。ということで、バイクにニケツして住吉暗川に向かう。
暗川とは、沖永良部島で特徴的な洞窟の中にある水汲み場のことだ。沖永良部島は、大きな川があまりないため、水を得るには湧き水を利用するほかなかった。
そのため、島の人は島内のあちこちにある洞窟の中に湧き出ている水を、生活用水として使っており、その水汲み場が「暗川(くらごう)」とよばれていた。
住吉暗川、ここなのか?
住吉の集落は、しずく型の沖永良部島のうち、もっとも膨らんでいる部分の端っこにあり、島でいちばん高い標高240メートルの大山(おおやま)の裾野部分にある。最初で紹介したトゥモロ浜のある集落だ。
すこし崖になっているところから入ると、崖の下に大きな洞窟が口を開けて待っていた。
住吉暗川こちらです
うわー⋯⋯
これはヤバい。
一応、写真も撮れたし、まあ、ここはこれでいいか。と、洞窟先輩に帰りましょうと促すと、「冗談言うな、こんなか入ってのもんだろう」などと言い出した。
さすが、洞窟先輩⋯⋯、でも僕はいいッス、ここで見てますから行ってください! というと、洞窟先輩はマジで一人でズンズン先に進み始めた。
マジっすか先輩
もう、一人で勝手にいっちゃった
仕方ない、洞窟先輩が行きたいって言ったんだから、まあ待ってますわと、藪蚊を払いながら入口で待ってると、洞窟の奥から「ギャーー!」とマジで叫び声が聞こえてきた。これでさすがに行かないというわけに行かないのでかけつける。
先輩は洞窟に執着しすぎだろと、かけつけると別になんてことはなく、滑りそうだから、叫んだだけ(滑ってない)という。なんなんだ!
水量が豊富なんですよ、ここは
前日、地元の人に島内を案内してもらった時に、こことは別の暗川に連れて行ってもらったが、住吉暗川はその5倍ぐらいの規模があり、水量も豊富だった。
これは、ここが島内で一番高い山の裾野にあるからだろうか。今でも使えそうなぐらいの水が湧き出ている。たしかにこれはすごい。
住吉暗川については、解説板に書いてあった話が面白いかったので紹介したい。
この住吉暗川は、昔から水汲み場として使われてきたのだが、かつては腹ばいになって匍匐前進しないと中に入れないぐらい入口が狭い暗川だった。
しかし、明治時代になり、村の人が「破裂の術が発明された」と聞きおよぶ。破裂の術で暗川の入口を大きくしてもらおうと、島役人が技術者派遣を県に乞う。すると仁君(県知事)は(島民に)哀れいつくしみを垂れ、技術者6人を派遣した。
派遣された技術者は固い岩を爆破し。狭い入口が広くなり、匍匐前進しなくても水が汲めるようになったという。
これは明治9年に書かれた碑文らしいが、文明開化し、明治の世になったものの、住民も役人もまだ封建社会的な気分が残っていたことを示すおもしろいエピソードだと思う。
明治時代に爆破で入口を広くしたらしい
この前の日に、沖永良部島の北側にある「フーチャ」と呼ばれる洞穴にもいったのだが、そこは、吹き上がって村の農地に降りかかる海水を抑えるため、4つあった洞窟のうち3つを爆破して破壊したという話をきいた。
フーチャ(洞穴内の海水が風で吹き上げられる)
沖永良部のインフラ整備は爆破を使いがちなのがちょっとおもしろい。
沖永良部島の洞窟はすごい
沖永良部の洞窟はすごい。しかも、洞窟が人々の暮らしと密接につながっていた。
海岸沿いなどにある小さい洞窟などは、風葬に使われていたという。
風葬とは、比較的最近まで行われていた葬送のやり方で、亡くなった人を洞窟などに安置し、しばらく経ったあと骨を洗骨して骨壺にいれ、墓に埋葬するという葬送の文化だ。今でも、島の中には白骨がそのままになっている洞窟もある。
生きるための水を得るのも洞窟で、亡くなった人を送るのも洞窟だった。
沖永良部島は洞窟の島といってもいいのかもしれない。
編集部からのみどころを読む
編集部からのみどころ
みなさん、いつもなんでも興味持つ西村さんが珍しく興味なさそうにしてる様子が見られる、貴重な記事ですよ!
それを無理やり引っ張っていく先輩との組み合わせも新鮮かついいコンビでした。
それに二人ともフォトジェニックですよね。西村さんの学生服は前回に続いてですが、冒頭で岩に囲まれて首が短くなってる小堺さんにも笑ってしまいました。また一緒にどっか(西村さんの興味ないところに)行ってほしい。(石川)
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