思ったより楽しめた
どうなることかと思っていた距離を目的とした旅は、同じ距離でも大阪までいくのとは感じ方が全く違っていた。あえて行かない様な「食わず嫌い」の場所にも行くこともできるのだ。
たまには目的のない距離を目的とした旅はいかがだろうか。
岡山から大阪へ出かける予定にしていた。
しかし新型コロナウイルスが再び猛威を振るい、県境を越えての移動は控えるようにと職場からお達しがあった。
県境を越えたつもりで同じ距離(180km)岡山県内を移動する。
コロナウイルス感染者数グラフが断崖を駆け上るような軌跡を見せ始めたころ、県外への移動は控えるようにと職場から言われ、岡山から大阪まで出かける予定を断念することになった。
この気持ちをなんとか昇華させられないかと考えた末、岡山県内を大阪までと同じ距離の約180kmを移動することにした。目的地ではなく距離だけが決まった。
旅には目的地があり、副次的なものとして距離がある。距離を目的にした因果が逆転した旅だ。
旅行へ出発する日の朝はいつもちょっと憂鬱だ。
いざ出発してしまえば楽しいのだが、出掛けるまでの準備や身支度、各種手配など改めて考えると面倒臭いものだ。
しかし、今日はいつにも増して億劫だった。
大阪に行くのはあんなに楽しみだったのに、180kmを目的とした途端、面倒くささが爆発する。
目的地があるからこそ旅は気分がぶち上がるのだ。
よく考えてみると、目的地のない移動に4時間半かけ、それもよく知っている岡山県内だけなので新鮮さや珍しさもなさそうだ。昨今の原油価格の高騰もその気持ちに拍車をかけていた。
とりあえず、簡単に今日の作戦を考えてみよう。
大阪まで行くはずだった180kmという距離は、岡山県内だけで考えると結構な距離になる。しかし隅々まで回れるほどではない。
僕の住む岡山市からだと、南はすぐ瀬戸内海があり、東と西方に向かっても県境が阻む。必然的に北に向かってぐるっと回るルートが最善と思われる。
どこまで行けるか分からないが、とりあえず北へ向かい、適当なところで帰ってくることにする。
「国道53号線」と聞けば岡山県民ならピンとくる。
国道53号線は岡山市から鳥取県鳥取市へ至る一般国道だ。岡山市から北へ向かう時はこの国道53号線を通ることが多い。国道53号線を市街地から郊外へ抜けたころ、お馴染みの赤い看板が見えてくる。
お菓子の「ジューC」などを作っているカバヤの本社工場は、岡山市の中心地からやや北側の野々口という場所にある。
岡山市の市街地に住んでいれば普段の生活でここまで来る事はほとんどない。用事がないからだ。この看板を見ると「これから県北へ向かうんだな」という感慨が湧く。
朝の億劫な気持ちもひと段落し、せっかくだからなるべく楽しもうと気持ちを切り替えた。
ほとんど渋滞もなくスムーズに進み、出発から1時間ほどで50km付近に至る。もし大阪へ向かっていたら兵庫県に突入している頃だ。道沿いに「たまごかけごはん」というノボリを発見した。
ここ美咲町(みさきちょう)は、たまごかけごはんを広めたとされる明治時代のジャーナリスト兼実業家の岸田吟香(きしだぎんこう)の出身地なのだ。
そのため美咲町はたまごかげはんの発祥の地とされ、たまごかけごはんの専門のお店まである。
そういう説があることは知っていたが、たまごかけごはんのためにわざわざ出かける気にはならなかったので、今まで一度も来たことはない。(たまごかけごはんはありあわせで食べるイメージ)
せっかくなので寄り道していくことにした。
ノボリに誘われるまま山へ山へと向かうと小高い運動公園の中にお店はあった。
まだ朝早い時間帯だったが営業していた。
専用の醤油もたくさん用意されていて、いろんな味を食べようとしたら結局2杯も完食してしまった。
予想以上に満喫してしまった。
ちょっと気になっていた場所も180kmを目的にしたら行くことができるし、行ってみると意外と楽しいということもあるようだ。
距離を目的とした旅はこうやって楽しむものかもしれない。ちょっと見えてきた。
前屈みになるのが苦しいほどお腹がパンパンの状態で、引き続き国道53号線を北進する。
のどかな景色がやがて店が多く立ち並び賑やかになっていくと津山市の市街地に差し掛かる。
岡山市から鳥取市まで伸びる国道53号線は、岡山県の県北の中心都市である津山市を通る。
津山の雰囲気は県南部の岡山市や倉敷市の雰囲気とはちょっと違う。城下町にありがちな新旧入り混じっている雰囲気と、それらが身を寄せ合ってギュッと密集している感じだ。
実は、20年近く前の学生時代に津山市に5年ほど住んでいたことがある。久しぶりに来た津山の街は、姿形はあまり変わっていなかったが全体的に白っぽくなっていた。
それは、かつてあったお店の多くが空き店舗になっていて、看板が空白になっているからだ。町から色が失われるさまはサンゴの白化現象のように切ない。
ちょっとした路地の隅に見覚えのある景色を見つけると、それが記憶の呼び水になってどんどん昔の記憶が蘇った。
ここまでで距離はまだ64kmくらいと、180kmには全然足りない。もう少し先まで足を伸ばすことにした。
津山市街地を抜けて更に北上する。
津山と鳥取とを結ぶ鉄道・因美線の美作滝尾(みまさかたきお)駅に行ってみることにした。
こちらの記事でも紹介されているように「男はつらいよ」の最終作で、冒頭シーンの撮影に使われた駅である。
その映画には、同級生が幼い頃にエキストラとして出演したという話を思い出したのだ。
映画のロケに使われたのも納得のレトロな駅舎が今なお現役で使われている。
レトロな駅舎にマスクの着用を呼びかける張り紙がなされていて、時間がゆがんだように感じるが、ここが映画のセットなどではなく、今もなお人の営みが続いている駅であることを思い出した。
ここも目的地にするほどではないが、少し立ち寄るにはちょうど良い。
まだ77kmほど。もう少し先まで行ってみよう。
ここ5年くらいのこと、周りの複数の人から聞くようになった津山市のパワースポットがある。サムハラ神社という場所らしい。つい先日も美容師さんが行ったと言っていた。
曰く、神様に呼ばれないと道に迷ったり、急用が入ったりしてたどり着くことができないのだそう。
ただしこれは噂レベルで、調べてみたけど確かな出典は不明だったし、以前僕が津山に住んでいた頃は全く聞いたことがなかった。(ただ多くの民間伝承が噂レベルなことを考えると、うーむ。)
急用ができるというのはともかく、ナビもGoogleマップもある現代でたどり着けないなんてことがあるだろうか?という意地悪な動機も手伝って、向かってみることにした。
しかし、サムハラ神社へ向かう道だけ工事していて、全く通ることができなくなっていた。こんな偶然があるのか。これが神様に呼ばれていないということか。
他の道が無いかと急いで自動車のナビで検索すると、あさっての方向を指し示した。
実は、大阪にもサムハラ神社がある。ここ津山のサムハラ神社は奥の宮となっていて、大阪のサムハラ神社のルーツにあたる。
自動車のナビで「サムハラ神社」と検索すると、大阪のサムハラ神社しか出てこない。
これもたどり着けないと噂される理由の一つなのかもしれない。
サムハラ神社からすぐ目と鼻の先で、かつて金田一耕助シリーズ八つ墓村のモデルとなった大量殺人事件が起こった。
津山に住んでいた時に読んだ小説にこの事件に関する記述があり、当時、近くでそんな事があったのかと驚いたが、津山市街地からも交通の便が悪く、面白がって行く場所でもないので、一度も来たことはない。
昭和13年(1938年)5月21日未明にこの貝尾と坂本の両集落で、津山三十人殺し、または津山事件と呼ばれる大量殺人事件が起こる。
その事件は、金田一耕助シリーズの八つ墓村のモデルになり、プレイステーション用のホラーゲーム「SIREN」でもこの事件をモチーフにした描写がある。
今となっては何もないのどかな風景が広がるだけで、ただ場所を確認することしかできない。ここにも180kmを目的としなければあえてくることはないだろう。
ここまでで少し距離を無駄にしてしまい、約90kmになったので方向転換しつつ寄り道しながら戻ることにした。
続いて向かった先は津山市のお隣の鏡野町。テレビCMでお馴染みの山田養蜂場のある町だ。
そして田んぼのなかにちょっと変わった直営店がある。
特徴的なのは外観で、トイレの上に巨大なハチの造形物が所狭しと並べられている。ちょっとすごい光景だ。
近くでみると、中央には更に巨大な蜂の造形物が置かれていることがわかる。
黄色と黒の蜂のオブジェからはDNAに刻まれているかのような本能的な危険を感じる。
しかもこんなに大きくなっていると、見ているだけで首のあたりがゾワゾワするような感覚がある。
蜂の足元に説明がある。
直営店の店内には蜂蜜を使った化粧品やスイーツなどが売られていて、結構な人でにぎわっていた。山田養蜂場のスイーツはどれも美味しくてハズレがない。
そして、大きなものつながりということで、車で15分ほど移動する。
道の駅に巨大プラモデルもある。
のどかな田んぼや畑の中に立つ姿は、カッコ良くもあり異質でもあった。
そろそろ残りの距離が少なくなっていくと、なんとか効率的に回ろうと考えるようになっていた。岡山県内だけで180kmは長いようだが、むしろちょっと物足りないくらいだ。
オーバーしてしまわないように最短で帰路についた。
どうなることかと思っていた距離を目的とした旅は、同じ距離でも大阪までいくのとは感じ方が全く違っていた。あえて行かない様な「食わず嫌い」の場所にも行くこともできるのだ。
たまには目的のない距離を目的とした旅はいかがだろうか。
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