お出汁と既得権益の香りがする
不平等というものに敏感なこんにちの日本社会だが、この”疑惑”についてはまだ世間の認知が高まっていないらしい。まずは今一度、公然とえこひいきを受けるニシン蕎麦の姿をご認識いただきたい。
さすがにここまでは店主も言わないだろうけど、厨房の片隅で、もみ手でニシンに忖度する店主の姿を思い浮かべてしまう。なんなのだろう、この不自然な気配りは。
そもそも具材というのは本来、蕎麦を彩るためのものなのに、これでは完全に主従逆転ではないか。そして数ある具材の中で、こんな扱いを受けているのはニシンだけなのである。これをえこひいきと言わず何という。
店主のほうも、せめてこっそりとひいきしておけばいいものを、堂々と開き直っちゃっているんだから始末が悪い。
もちろんすべての蕎麦屋がニシン蕎麦をえこひいきしているというわけではない。シンプルに切り身が蕎麦に乗っかっているだけという店もあるにはある。しかしながら、おれ調べではそうした”平等主義 リベラル派”の蕎麦屋は4割程度。いまだニシンのことを特別扱いする蕎麦屋が多数派なのだ。
長年気にかかっていたこの問題。思い切って一度、京都の蕎麦屋でストレートに問い質してみたことがある。ずばり、この布団のような蕎麦は何なのですか。
「さあ…よく知りませんけど」
蕎麦を運んできた恰幅の良いおかあさん(赤いチェックの前掛けだった)は決まり悪そうにそうつぶやいて、さっさと厨房の奥に引っ込んでしまった。怪しい。きわめて怪しい。ぷんぷんと匂っている。不正、癒着、既得権益の匂いである。
ほかの具材だって布団があったほうがいい
ここで一つお断りを入れておきたい。「ニシンを蕎麦ツユとなじませるために、このように蕎麦の布団をかけているのだよ」という解説が一般的であることは承知している。うんうん。わかるよ。ニシンの脂と甘辛の味付けが、蕎麦ツユに溶け込むとホッと息をつくようなうまさだ。おれ、けっこう好きなんだよね、この濃いめの味が。
しかしそれはそれ。ニシン擁護派のこの説をもって、おれはひいき容認とはならない。なぜならほかの具材だって蕎麦ツユとなじんでいるほうがおいしいに決まっているから。
ともあれ、これで擁護派が拠りどころとしている推論はもろくも崩れた。追い詰められた蕎麦屋のおやじがハッと息をのむ音が聞こえてくるようである。もはやこれまでと観念したおかみの顔も浮かんでくるようである。疑惑の核心まであと一歩。あくまでおれは追及の手を緩めないぜ。
あはれ、ニシンの来し方
ここまでくれば、蕎麦屋とニシンの不適切な関係が明るみになるのも時間の問題だが、おれはベテラン刑事のごときしつこさで外堀を埋めにかかる。今度はお店側ではなく、ニシンのほうにやましい事情がないか身辺調査を行うのだ。参考文献としてこちらの本を用意した。
曰く。ニシンと人類の付き合いは長い。北欧・スカンジナビア半島では5000年も昔からニシンが食べられてきた痕跡が見つかっている。特に欧州ではいまも昔もたいへん身近な魚であり、英語ではニシン=herringsが慣用句に使われているほどだ。
ニシンは”群れる”魚である。ときには億単位の大群で泳ぐこの生存戦略は、海中の捕食者に対しては効果を上げたが、漁具を擁する人間の前では裏目に出た。大群が近海に押し寄せたときに網を張れば、いとも簡単に漁獲できてしまうというのだという。結果、昔から市場に”すし詰め”で出回ることになり、ようするに大衆魚。もっと言えば”下魚”の立場に身をやつしてきたのだ。
しかしニシンは偉かった。自身の置かれた境遇に、腐らなかった。シュールストレミング(世界一くさい発酵食品)に加工されることはあるけど、それとは違った意味で、腐らなかった。西洋で冷遇されたニシンは、回遊の果てに活躍の場を見つける。はるか極東の大都市・京都において。
日本では17世紀末ころから松前藩が北海道への進出を強め、ニシン漁が盛んになる。近江商人が仕切る北前船が本州に大量のニシンをもたらし、これが盆地で海のない京都において、貴重なタンパク源として大いに受け入れられた。以後ニシンは、格式高い京料理の世界で、重要食材の地位を固めていく。
そして1882年。満を持して、ニシンはついに主役に大抜擢される。京都の蕎麦屋「松葉」によるニシン蕎麦の考案である。ここにニシン出世物語はクライマックスを迎える。はたして発案当時から蕎麦の布団はかかっていたのか。それは定かではない。しかしニシン蕎麦が地域に広まっていく過程では、当時の蕎麦屋たちの頭の中にニシン=実力者の図式は浮かんでいたことだろう。勝者には月桂樹の冠を。ニシンには蕎麦の布団を。この盛り付けはつまり、そういうことだったのだ。
ねぎらい、敬意、激励の思いを込めて
いつの間にかニシンを応援する側に回ってしまうような、鮮やかなニシンの立志伝。不正追及の気勢はすっかり削がれてしまった。おれはいったい何と戦っていたのだろう。
しかし物語は、ここですんなりハッピーエンドとはならない。隆盛を誇った北海道のニシン漁は無計画な乱獲によって、昭和30年ころを最後に衰退していく。現在の北海道のニシン漁獲量はピークの1/100。いまではアラスカやロシアからの輸入が主となり、日本ではもはや高級感すら伴った非日常的な食品になってしまった。
話を整理しよう。蕎麦屋の店主はすべてを知っていたのだ。ニシンの長きにわたる不遇の時代も、ひとときの輝きも。そんな蕎麦屋がニシン蕎麦の布団に込めた、今日的な意味合いとはなにか。
まず長年の人類社会への貢献に対するねぎらいの気持ちは間違いなく込められているだろう。それからニシンの過去の栄華とすでに失われた誇りに対しての敬意は外せない。そして再び食卓の主役として返り咲く日を期す激励の思い。
つまりニシンは、ただ一束の蕎麦にくるまっていたのではなく、蕎麦屋の優しさに包まれていたのだ。誰だ、記事前半で「不正・癒着・既得権益」とか言ってたヤツは。
もっと優しいニシン蕎麦を
おれは、間違っていた。疑いの目をもって物事を判断してかかろうというのは恥ずべき態度であった。ニシン業界、および蕎麦業界には平謝りである。
しかし恐れながら。もし言い訳が許されるのであれば。これほどのドラマを背負って今なおメニューに君臨するニシン蕎麦に対して、蕎麦の掛布団というのは地味すぎないだろうか。それでじゅうぶん、ニシンは報われているのだろうか。もっとこう、パーっと派手にいってもいいのではないだろうか。
そこでおれは「もっと優しいニシン蕎麦」を考案してみた。ラグジュアリーでゴージャスに。おれが丼の上にリッツ・カールトン並みのホスピタリティを再現してみせようと思う。
最高のおもてなしを追求するあまり、あれもこれもとついつい買い込んでしまった。ニシン本体もあわせて材料費2000円を超える一杯に。基本戦略は、レイヤーをかさねて重層的なくつろぎ空間を演出しようというもの。まずはこちら。
文字通り、寝具の土台になるのは、やはりマットレス。厚さ2センチの高級はんぺんをご用意させてもらった。沈み込みを抑えてしっかりと体を支えつつも、フカフカの寝心地をもたらす。めざしたのはシモンズ並みの心地よさ。たぶんおれ、シモンズで寝たことないけど。
ホスピタリティの極意は、相手の立場に立つことである。もてなしはただ豪勢であればいいというものではなく、義理堅い性格のニシンの気持ちを慮ることが大切だ。
さらに念には念を入れて。ニシンは意外と潔癖症かもしれないので、新品の清潔なシーツ、京湯葉をしいておく。
おっと。おれとしたことが。睡眠環境を大きく左右する、マクラのことを忘れていた。
もち巾着の低反発クッションで圧力が分散され、頭に負担を掛けずにしっかり支えてくれるはず。え?ニシンの頭は加工時に切り落とされている?まあ。その。細かいことは気にしなくても結構ですよ。
いよいよ最後の仕上げに掛布団。長さ30cmはある巨大なお揚げを乗せる。
はい、完成。「ニシン蕎麦・極み」と名付けましょう。
水産資源の大切さを次代に伝える「ニシン蕎麦・極み」
いっとき沈み込んだ北海道のにしん漁獲高は、人工的に孵化させた幼体を放流するなどの地道な方策が実り、少しずつ回復傾向にあるらしい。
しかし人類は愚かなので、また同じことを繰り返さないとも限らない。そこでどうですか、「ニシン蕎麦・極み」。痛ましい過去を風化させないために、ニシン蕎麦はこれでもかと豪華にしてやるのです。そうすれば記憶も引き継がれるし、ニシンの消費量も抑えられそうだし、いいこと尽くめじゃないですか。ちなみにおれの好きなもの全部乗せ(油揚げ、湯葉、餅巾着)って感じでめちゃくちゃうまいです。ヒンナヒンナ。
でもまた雑に肥料とかにされちゃうんだろうな。難儀だなニシンは。