田舎のまちのいいところ
二日目に伺った柿泊町公民館でご馳走になった、ご婦人たち手作りのおでん。これを、準備の合間にタバコとお酒でくつろぐ大人たちや腹ごしらえにやってきた子どもたちとで食べるわけなのだが、サイコーに美味い以外のコメントが見つからなかった。世の中がどう移り変わっていくのかわからないけれど、わたしはまたこのおでんを食べたいし、モットモたちに会いに行きたい。
「モットモ」という、長崎の民俗行事がある。
西村まさゆきさんの記事『ワラ着てて怖すぎる!山形の鬼は大人も泣かす』に続く、家々を回り厄を払う来訪神信仰のひとつだ。
子ども心にトラウマを刻みつける特異なビジュアルから、“長崎版なまはげ”や“長崎の奇祭”とも呼ばれている。
この記事は、2020年2月に行われた「モットモ」に家族で参加させてもらい、その体験を綴ったレポートである。
「モットモ」は、長崎市にある手熊(てぐま)町と柿泊(かきどまり)町という、隣り合う2つの小さな町で行われている。開催はそれぞれ2月2日と3日の節分シーズンだ。
長崎の北西にあるふたつのポイントがそれぞれ手熊町と柿泊町
・「鬼は外~」と豆をまいて鬼を追い出す“年男(としおとこ)”
・「福は内~」と福を呼び込む“福娘(ふくむすめ)”
・「モットモォー!」と大きな雄叫びををあげ、ドンドンと床を踏み鳴らす“モットモ爺(もっともじい)”
この3人1組が日暮れとともに家々を訪れ、子どもたちをこれでもかー、えいこれでもかーと泣かせにかかるのだ。
もちろん、なまはげ的な役割を担う存在が“モットモ爺”となる。おもしろいことに、手熊町と柿泊町でまったくビジュアルが違うのだ。
そういえばなまはげも、地区によって衣装など若干の違いがある。それは長崎も例外ではなかったようだ。
来訪神といえば、九州にも甑島のトシドンや悪石島のボゼ(鹿児島)、見島のカセドリ(佐賀)などいるが、まさかこんな身近なところで行われているとは知らなかった。嬉しくてテンションが上がる。せっかくなら、上記2種類のモットモ爺に家族ともどもたっぷりと怖がらせてもらおうじゃないか!
張り切って、手熊町と柿泊町の自治会長さんに体験取材のアポを取った。
───こんにちは、しがない物書きです。完全によそ者ですが、大丈夫ですかね?
「ちゃんと真面目に書いてくれるならオッケー!」
だいたいこんなやりとりで快諾していただきホッとした。
当日は、地元テレビ局や新聞社と同行する形になるという。そりゃまた賑やかになるなぁとおもった。
ここ数年で、すっかり地元メディアやごっついカメラを持ったおじいちゃんたちに大人気の行事になったようである。
そんなわけで、日帰り2DAYSで手熊町と柿泊町の「モットモ」を体験させてもらうことに。
まずは2月2日にモットモが行われる手熊町へ向かった。
佐世保市から車で1時間ほどかけて長崎市へ向かった。
いきなり余談だが、同じ県であるにもかかわらず、佐世保市と長崎市のディスタンスは遠い。移動時間と料金をちょっと頑張るだけで福岡へ行けてしまうのだ。そのせいか、佐世保の若者たちは長崎市よりもそっちへ遊びに行きがちである。要はコスパの良さに惹かれるのだ(わたしがそうだった)。
と、そんな地方の事情はこの辺にして話を戻そう。
手熊町と柿泊町はのどかな山あいのまちである。
「モットモ」のメイン会場となる手熊町公民館は、木造の民家のような建物だった。日暮れとともに、子どもたちがパタパタと灯りのもとへ集まってくる。
わたしが「お邪魔します」と中へ入ると、子どもたちが「あ!赤ちゃんかわいいー!」とこちらに駆け寄ってきた。恐怖の夜のはじまりとは思えぬ、ほんわかとした雰囲気だ。
小学生のころ、住んでいた町のこういう小さな公民館で絵の習いごとをしていた。友達と、白い絵の具を食べたりしていたことなどを思い出した。
みなさんが準備をしている様子をうかがいつつ、手熊町自治会長の上田さんにお話を聞かせてもらった。
───賑やかですね。なんかこう、神事というか、ご年配の方々が粛々と準備するものかと思ってましたが。
「そうですね。20~50代の若いもん30人(モットモ保存会のメンバー)ぐらいでやってますから。賑やかですよ。けども少子化で、年々担い手が減っていますけどね。それは、どこも一緒かもしれませんが」
───やはりそうですか。準備期間はけっこうかかったりするんですか?
「いやー、衣装とかは、しまってたところから引っ張り出して、当日ワッと集まってやりますよ。ご存知でしょうけど、3人1組で回るから。誰がどの役をやるかっていうのもその場で決めるんですよ」
───え、その場で決めるんですか!前もって「君がやりなさい」的な、白羽の矢が立つようなことは?
「いやいや、なんもかんも当日ですよ。でも、選ぶのに一応基準みたいなもんはあります。たとえば、“年男”は男だし、“福娘”は女装が多いし、“モットモ爺”は行事を何回も経験した人だったりね」
───なるほど。まさにいま、黒板に書いていますね。
チーム分けをしているのは、30〜40代のベテラン勢だろうか。担当を決めテキパキと指示を出し、すぐさま着替えにとりかかっていった。かなり手慣れている。
───「モットモ」の歴史は長いですよね。
「そうですね、大正時代から100年ほど続いています。しかし、明確な資料がまったく残っていないんですよ。私らだって、こういう行事を通して親世代から教えてもらっただけですから。子どもの頃は親父がモットモ爺やってたもんで、散々脅かされましたよ」
───父親が元・モットモ爺。なんだかヒーローみたいですてきですね。しかし、家族だったら怖くないのでは?
「いやいや、親父だとわかってても怖いもんですよ。ゲンコツよりも効果があるんじゃないかな。おかげで悪いことできんかった、ハハハ」
───厄払い以外にも、教訓、しつけ…まちの子どもたちの通過儀礼のようにも感じますね。ちなみに、「モットモ」の名前の由来はなんでしょう。
「モットモ爺が『モットモー!』と叫びますよね。あれは、年男と福娘の『鬼は外ー、福は内ー』という呼びかけに対して、『そりゃもっともだー!』と、強く肯定する意味なのではないかと思ってます。これもハッキリとしてないんですけどね」
えぇー、そんな応援隊みたいな感じなのか。てっきり「悪い子はいねがー」的な意味かと思っていただけに驚いた。
わたしもそんな風に、モットモ爺に激しく背中を後押ししてもらいたいものだ。めちゃくちゃ頑張れそう。
───ところで、モットモの衣装やメイクには決まりがあるんですか?
「衣装は、昔の農民の服や農具をまとってるよ。農民に神様が舞い降りてきたってイメージかな」
「メイクは、顔をベタっと塗るやり方はずっと変わっていないはず。塗り方はそれぞれ自由にやってもらってるけど」
メイク道具は、現在はドーランを使用しているようだ。昔は泥だったりしたのだろうかた聞いてみたけど、いまいち定かではなかった。
───テレビで映像を拝見したんですが、モットモ爺は「モットモー!」と言いながらドンドンと床を踏み鳴らすんですよね。こういった一連の動作も、昔から変わらないものなんでしょうか。
「そうですね。足でドンドンと強く床を踏み鳴らすことで、悪霊を鎮めるんです。相撲で四股を踏むのと同じ意味合いですよ。そういや、私の小さい頃はもっと(パフォーマンスが)淡々としていた気がしますね。テレビに映るようになって、どんどん派手になっているのかもしれんです」
───どんどん派手に。でも、子どもを怖がらせるには、進化が必要ですよね。うん。
準備が整ったようだ。
メディアに向けて、ぐるりとパフォーマンスを披露するモットモたち。ありがとうございます!
これから彼らは、1時間半ほどかけて家々を回るそうだ。かつては日付が変わる前まで行っていたそうだが、人口減少のため時間短縮されたらしい。
時計を見ると19時。外はすっかり暗い。撮影を試みたが、自前のカメラがまったく歯が立たずガッカリする。
モットモ体験は、回る家々にモットモ爺ご一行と共にあがらせてもらい、タイミングが合えば怖がらせてもらうという超体当たりな形となった。
長崎市のまちは、坂道に家々が密集しているうえ道も細くて狭い。
そんな道を、年男、福娘、モットモ爺、自治会メンバーに続き、新聞記者、女子アナにカメラマン、ごっついカメラを持ったおじいちゃんたち、わたしたち家族がぞろぞろと歩くさまは、まるで百鬼夜行のようだった。
モットモたちが訪れるのは、喪中以外の家々だ。
まず1軒目。到着するなり、住人への挨拶もそこそこに家にあがる。そこに子どもの姿はなかったが、それでもモットモたちはそれぞれ全力で豆をまき、福を呼び、雄叫びを上げ床を踏み鳴らす。
ここぞとばかりに、わたしの子どもも怖がらせてもらうことにした。
見どころは、ラグに足を滑らせるもわが子を泣かせきったモットモ爺のプロ根性。そして、わたしがごっついカメラを持ったおじいちゃんたちの機敏な動きに後れを取りまくるところだ
はやくもわたしは満足した。
そのあと何軒か回り、子どもたちの恐怖を次々とカメラにおさめた。
ぜひとも最後まで同行したかったが、とても体力がもたずリタイアしてしまった。トホホ。
ほんのり灯った家々の明かりや電灯をたよりに、坂道を下って車へ向かう。途中、家々の匂い、食卓の匂い、いろんな匂いが鼻をかすめていった。
ふと、さっきまで同行していた新聞記者のひとが路上でノートパソコンを開いているのが目に入り、軽く会釈をした。もう原稿を書き始めているのだろうか。
背中の向こうから、床が踏み鳴らされる音とモットモ爺の雄叫び、そして元気な子どもたちの泣き叫ぶ声が響き渡っていた。
翌日3日にやってきたのは柿泊町。先日訪れた手熊町のお隣にある。
モットモの歴史や流れに関しては手熊町と同じなので割愛する。
モットモ爺のコスチュームについて、柿泊町自治会長の尾上さんにお話を伺った。
───こちらはマスクなんですね!
「はい、初めは手熊町のように顔を塗っていたようですが、40年ほど前からマスクになりました。とにかく、いかに子どもを怖がらせるかが大事ですね。ガスマスクを被ったりしてあれこれ試した時期もありましたが、今はみんなの好きにさせてます」
なるほどどおりで、パーティーやハロウィンで見るようなマスクがどっさりと。とにかく怖ければなんでもいいようだ。
ちなみに、柿泊町のスタンダードなモットモ爺がこちら。
衣装は、特に統一感は要求されていない。代々継がれてきたものを、各自がその場の気分で好きに着用するスタイルだ。また、柿泊町のモットモ爺は足ではなく、手にしている杖で床を打ち鳴らす。
見た目に関しては手熊町に比べ、より自由度の高い恐怖を演出できるようだ。
ちなみに、柿泊町の年男は袴姿であるということと、福娘は若い女性が扮することが多い(少年の場合もある)ということを一応記しておきたい。
さきほどの柿泊青年団の岩永さんに、「モットモ」のこれからについて伺った。
───このまちも、若い世代がどんどん減っていると伺いました。
「そうですね、これにはどこの地方も苦労していると思います。しかし、こんなに怖い行事なのに、どんなに遠くに住んでいても、『モットモ』の日にはみんな帰ってくるんですよね。みんなをグイグイ引っ張ってくれる、還る場所となってくれてます。厄払いとか、子どもたちのしつけだとか、そんな要素ももちろんありますが、この行事の一番大切なところはそこなのかもしれません」と話す岩永さん。
そういえば、わたしは両町の長にこんな質問をした。
───「奇祭」「長崎のなまはげ」と呼ばれていることに関してどう思われますか?
すると、「別に構わない。存続させたい大切な行事だから、それで認知度があがるなら万々歳だ」といった主旨の答えがそれぞれ返ってきた。
「モットモ」に限った話ではないと思うが、人々をつなぐまちのコミュニティの役割を、この行事もまた担っているのだ。
ところで、手熊町と柿泊町はとっても仲が良い。ペーロン(長崎で行われる舟競争の競漕大会。ボートレースの元祖とも言われる)で腕を磨き合う間柄だそうだ。
───「モットモ」は、2つのまちに不可欠なコミュニティを担っているわけですね。
「そうです。なので、僕ら若い世代がもっともっと盛り上げていかないと、と思います」
家々の訪問がはじまった。ご婦人たちの「いってらっしゃい~」の声とともに送り出されるモットモ爺たち。
ここでは、モットモが来る前のタイミングであるご家庭にお邪魔した。
大きなテーブルには豪華なオードブルが所狭しと並べられている。この日のために帰省してきた親戚やご近所さんもいて、こないだのお正月をもう一度やっているかのような不思議な気分になる。
しかし、この日は恐怖の「モットモ」である。美味しいおせちを食べてお年玉をもらうのとはわけが違うため、子どもたちのなかには2~3日前から落ち着きをなくし、吐き気を催す子もいるらしい。すでに泣きそうな顔で、大人たちに必死にしがみついて離れない子もいた。
「私も、高校生にあがるまでモットモが怖かったんですよ」と話すママさんもいて、この行事の影響力の大きさに驚く。
しばらく談笑しているうちに、モットモたちが襲来。家は一気に阿鼻叫喚となった。
隠れても引きずり出すぜ!
はじめは、子どもたちが泣いているのを黙って見守ることに罪悪感があったが、元気な子どもの泣き声は活気をもたらしてくれる。結局さいごには「元気だな~、がんばれ」と心の中で応援してしまっていた。
途中、まさかの増員。
通常ならばモットモ爺は、1軒あたり2人がやって来るようスケジュールが組まれているのだが、こんな具合で結局4人もきた。「これ以上リアクションできるのか?」とこちらが心配になるほど子どもたちは泣き叫んでいたが、紙吹雪が盛大に舞い散りそうなほどの縁起のよさだった。
のちほど、自治会長の尾上さんから「あなたの子どもさん、いまはまだ小さいからなにがなんだか分からなかっただろうけど、来年はもっと怖がってくれるかもね。夏にみんなでペーロン大会もやるから、よかったら観においで」と言われ、なんだか迎え入れられた気がした。嬉しい。また行きます。
二日目に伺った柿泊町公民館でご馳走になった、ご婦人たち手作りのおでん。これを、準備の合間にタバコとお酒でくつろぐ大人たちや腹ごしらえにやってきた子どもたちとで食べるわけなのだが、サイコーに美味い以外のコメントが見つからなかった。世の中がどう移り変わっていくのかわからないけれど、わたしはまたこのおでんを食べたいし、モットモたちに会いに行きたい。
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