涙の雨季と乾季
娘は夕方になると必ず泣くのでその時が涙を採取するチャンスである。子どもが生まれてから初めて知ったのだが「黄昏(たそがれ)泣き」というらしい。
朝でもなく、昼でも夜でもない。哀愁を感じさせる時間「黄昏」に泣くというのが非常に風流である。この黄昏泣きのせいで(おかげで)涙の収穫には困らなかった。
ただ誤算があった。黄昏泣きは成長とともに終わるのである。生後半年を越えたくらいで夕方になっても泣かなくなってしまった。そうなの!?
もちろん1日あればどこかでは泣くのだがあやせばすぐに泣き止む。黄昏泣きのようにどうやっても泣き止まないという状況がないので涙を採取するチャンスがない。いや泣かないのはとても嬉しいことなのだが、この活動の上では非常に困る。
この頃から採取スピードが一気に落ちていくこととなる。
そうしてほとんど涙を獲れない日々がしばらく続くのだが、そこで悟った。もうこれは10mlは無理だと。10mlというのはキリがいいと思っただけで、その量の涙を集めることにさほど意味があるわけではない。
ここは次に進むために当初の目標は捨てて「100日間涙を集める」というゴールを再設定することにした。研究はトライ&エラーの連続である。
そうして100日間せっせと集め続けた娘の涙がこちら。
容器の重さをのぞいて重量を計ると4.3g、つまり4.3ml。これは涙143粒分にあたる。世の中にこうやって容器に入れられて保管されているまとまった量の涙があるのだろうか。研究機関にはあるのかもしれないが、ともかくFFのエリクサーよりも希少な液体と言えるだろう。
さてこれをどうやって氷泪石に加工するか。本当なら結晶として残したいところだが涙に溶け込んでいる塩分などの成分を結晶化するには量が圧倒的に足りないだろう。
何より結晶だとあのキラキラ&プルプルした”涙感”が損なわれてしまう。涙のクリアで透き通った潤い感を残したまま「氷泪石化」出来ないだろうか、と加工方法を考えた。
では制作に移りたい。
突然やってきた絶望の瞬間
氷泪石の制作を実行に移す前、この貴重な涙を無駄にしないよう普通の水を材料に氷泪石の試作を何度も重ねていた。涙は100日間かけて集めた原料なのだ。慎重にもなる。氷泪石の制作方法にメドがつき、いよいよ今日、実行に移そう! ……と思った矢先の出来事だった。僕の身に悪夢のような事件が起こった。
集めた娘の涙は綺麗だがそうは言っても、もともとは血液。栄養分も豊富なはずで細菌が繁殖しているとまずいので、まずは下処理として熱湯で殺菌消毒を行うことにした。この「まずは」がマズかった。高温で消毒処置をした涙はこうなった。
夢であってほしい。
目の前の出来事が信じられない。なぜこうなってしまったのか。涙を美しい氷泪石として残すにはクリアであることが絶対に必要である。クリアでなければ氷泪石を作る意味がないのだ。100日間の努力が…。
異変は涙を消毒するため湯にかけて数秒後に起こった。
この時点では「涙に含まれていた不純物が熱で凝固したのかな」と思っていた。しかしさらに5秒後、取り返しのつかない事態になっていることが見てとれた。
液の上部を漂っていた白いフワフワはまるで生きて動いているかのように液の下部にもシュッと体を広げ、あっという間に全体を覆った。まるでアメーバが全体を侵食するかのように。「あっ、あっ、」とパニクっている間に目の前で約150粒分の娘の涙は白くなった。
え???? 涙って加熱したら白くなんの?そんな情報、ネットのどこにもなかったし誰も教えてくれなかった。想像するに、卵の白身が目玉焼きにすることで透明から白くなるように、熱することで涙内のタンパク質が変性し白濁した?
調べてみると涙液中にはやはりタンパク質が含まれているらしい。うん、多分そうだな。でもこれからどうしたらいいの?ひとまず高鳴る心臓の鼓動を抑えつつ、一旦冷蔵庫に入れて一晩待ってみることにした。まあ落ち着け落ち着け、置いておけば白濁が沈殿してまた透明になったりするんでしょ?
ならなかった。底に少しだけ白いものが塊で沈んでいるようだが全体は白いままだ。
ここから一度凍らせてから解凍してみたり、さらに数日冷蔵庫に保管してみたりしたことで沈殿量は増えたが最終的にはこれ以上沈殿は進まないであろう、という状態に落ち着いた。
どう考えても再びあのクリアに澄んでいた涙に戻ることはなさそうだ。
こうなったらやることは1つ。もう一度涙を集めるしかない。再び同じ量を集めるのはさすがに厳しいが、氷泪石作りに必要最低限の量の涙をもう一度集めていくことにした。研究というのはトライ&エラーの連続である。