モンスターをたどりながら歌舞伎町の歴史に想いを馳せた
歌舞伎町を歩きながら気づいた「モンスター」の多さを辿っていくと、不意に歌舞伎町の歴史に想いを馳せてしまった。
さらに驚くべきは、そのようなモンスターの記憶が現在のコンビニまで影響を及ぼしている可能性があることだ。土地の歴史は、思いのほか強いのかもしれない。
愛と欲望の街、歌舞伎町。
そんな街にモンスターが多いことを発見したので、報告します。
歌舞伎町は東京・新宿にある歓楽街だ。居酒屋や風俗店、娯楽施設などがぎっしりと軒を並べるその姿は、東洋一の歓楽街とも呼ばれている。
そんな歌舞伎町をあらためて歩いてみると、あることに気が付いた
モンスターがたくさんいるのだ。つまり、人間ならざるものである。
歌舞伎町の入り口もそうだ。
歌舞伎町の入り口で人々を待ちかまえるドンキホーテ歌舞伎町店には、ドンキのマスコットキャラクター・ドンペンが鎮座している。巨大なペンギンはモンスターとして、欲望に渦巻く街へ私たちをいざなう。
歌舞伎町をすすんでも、モンスターは不意に現れる。
歌舞伎町のモンスターは私たちを待っている。
歌舞伎町でモンスターといえば、なんといってもゴジラだ。
2015年にこのビルができたとき、歌舞伎町の雰囲気がすごく明るくなったような気がした。私は当時、高校生だったので、歌舞伎町にほとんど縁はなかった。しかし、TOHOシネマズができたことによって、高校生でも、あるいはファミリーでも歌舞伎町のど真ん中に足をはこぶようになったのだ。
そのとき、私たちを迎えてくれたのがゴジラだった。
この地にファミリーも使える施設がオープンすることは、不釣り合いに思えるかもしれない。しかし、TOHOシネマズの土地の来歴をみると、決してそんなことはない。
ここで、歌舞伎町の往来のなか、手元にあった本を開いてみる。
なにやら、歌舞伎町の歴史はまだ浅い。その名称は戦後に生まれたという。この辺りの土地は戦争で焼け野原になった。
その後、戦災の復興計画として、歌舞伎小屋をはじめとする娯楽施設を建てる計画がもちあがったのだ。といってもこの段階では、あくまでも家族向けの娯楽施設の誘致が目指されており、現在の歓楽街の雰囲気はまだない。
この計画は結局頓挫し、最終的にはコマ劇場だけが立てられることとなった。「歌舞伎」は町の名前にのみ、その名をとどめている。
そして、コマ劇場が閉館したその跡地に、ゴジラというモンスターはやってきたのだ。
だから、TOHOシネマズが家族向けの施設になっていることは、ある意味で戦後の家族向け娯楽施設の誘致が時を超えて実現したとも考えられる。
ゴジラは東京の街を燃やし尽くして焦土にした。歌舞伎町もまた、空襲で焼け野原になった土地に生まれたわけだが、そんな土地の上にまたもや土地を燃やし尽くすゴジラが鎮座するのは、なんとも言い難い歴史を感じさせる。
さらに、ゴジラのすぐ裏手にはゴリラが。
そういえば、このゴリラが面している花道通りという通りは、なぜかグニャグニャしている。
実は、この通り、元々「蟹川」という川だったという。今度は「カニ」である。ここにも人間ならざるものの姿が。
歌舞伎町とモンスターの関係の深さがわかってきた。
しかし、私は歌舞伎町を歩きながら、もう一つのモンスターに遭遇する。
エナジードリンクのモンスターである。細長く、色鮮やかな缶をコンビニなどで見たことがある人も多いだろう。歌舞伎町の道にやけに転がっていた。
それだけではない。TOHOシネマズ新宿の前にあるファミリーマートのモンスターがすごいことになっていた。それがこちらである。
普通のコンビニとは思えない量だ。ざっと数えると、65列ほど売っており、しかもかなり売れている(見えている本数を列として数えている)。
私の近所のファミマで数えてみると、6~7列ほどだったからその差がわかると思う。
実は、このファミマだけではない。その近所のファミマにもモンスターが非常に多い。
こんなところにも、モンスターがひそんでいた。
そうなると気になってくるのは、歌舞伎町の他のファミマである。実は、歌舞伎町には10件以上のファミマがある。
さきほど、モンスターが多いといったのは、このうち、ファミリーマート新宿東宝ビル前店と歌舞伎町さくら通り店である。
面白いのは、歌舞伎町のモンスター代表格・ゴジラとその二店舗の距離が近いことである。もしや、ゴジラというモンスターから波動を受けるようにして、そのモンスターの量が多くなっているのか?という妄想をしたくなる。
そこで、急遽、他のファミマも調べてみることにした。
もしも、ゴジラに影響を受けてファミマのモンスターが増えているのだとしたら、やはりゴジラに近い他のファミマでもモンスターが多く売られているのではないか。
そんな仮説のもと、次に調べたのはファミリーマート 新宿歌舞伎町一番街店である。ゴジラから数十mである。ここなら、きっとモンスターが多いはずだ。
しかし。
さらに、ゴジラから同心円上にあるファミリーマート歌舞伎町広場前店。
ここならば、モンスターも多いのではないか。
しかし、またもや普通の量(12列)。おかしい。これでは、モンスター=ゴジラ説が成り立たなくなってしまう。
結局、気になって歌舞伎町のファミマを全部調べてみた。
その結果が以下の通り。
ここからわかるのは、モンスターが多い店舗上位3店舗が近くにあることだ。
この3店舗の位置をみるとゴジラから遠い店舗もあるので、どうやら、モンスターの多さにゴジラは関係ないようなのである。
しかし、気になることがある。
Googleマップでモンスターの多い3店舗を見てみると。ちょうどその三店舗の中央にポツンと何もない区画があるのだ。
ちょうど三角形の中心にあるところをみると、なにかここに秘密がありそうな気もする。実際に行ってみよう。
その場所にあったのがこちら。
ビルの中に現れる突然の空き地。ただならぬ雰囲気がただよう。ここはなにか。
ここは、歌舞伎町公園といって、中には弁財天をまつるお堂が存在する。
弁財天といえば水の神様であり、蛇とも関連が深い神様でもあるが、どうしてこんなところに弁財天があるのか。実は、ここに、歌舞伎町の秘密をにぎる原初のモンスターの秘密が隠れている。
そもそも、歌舞伎町一丁目を中心とする場所には、かつて大きな池が広がっていたという。肥前(長崎)藩主・大村家の領地が広がり、「大村の森」と呼ばれていた。
その大村の森を買入れたのが、元尾張屋銀行頭取・峰島喜代だった。喜代は明治を代表する大女実業家で、歌舞伎町の礎を作ったとしても知られている。
喜代が買い入れたこの土地の地均し(じならし)をしようと、業者に頼んで工事を始めたところ、突然大量の蛇が現れたという。当時の工事責任者は驚き、蛇を空樽に詰めて地中に埋めた。
すると、工事責任者の夢に蛇が出てくるようになり、蛇の祟りだとして工事関係者が恐れ始める。そうして、蛇を祀る祠を建てることを喜代に進言したのだ。
これを聞いた喜代は驚く。喜代はへび年だったのだ。
そんな事情もあって、喜代はすぐに祠を建てることを認める。そうして、上野弁財天の分祠として勧請を受け、祠が建てられた。その場所は、もちろん、蛇が生き埋めにされた上である。
そして、その祠が現在も残り続けているのだ。
つまり、歌舞伎町公園には、かつて、この周辺に存在した大量の蛇たちの記憶が埋め込まれているのである。
そうであるならば、コンビニのモンスター濃度を高めているのは、もしかすると、この歌舞伎町にかつて生息した蛇たちなのかもしれないのである。
歌舞伎町の歴史は、現在のコンビニの陳列棚にまで影響を与えているに違いない。
私たちは知らず知らずのうちに、歴史に影響を受けている。
歌舞伎町を歩きながら気づいた「モンスター」の多さを辿っていくと、不意に歌舞伎町の歴史に想いを馳せてしまった。
さらに驚くべきは、そのようなモンスターの記憶が現在のコンビニまで影響を及ぼしている可能性があることだ。土地の歴史は、思いのほか強いのかもしれない。
▽デイリーポータルZトップへ | ||
▲デイリーポータルZトップへ | バックナンバーいちらんへ |