減りゆく?「岬ゆきのバス」
本文にも書いたとおり、この調査をするのは8年ぶり二回目である。
その当時と比べると、民間のバス事業者が撤退し、自治体が運営するコミュニティバスに転換された岬がいくつかあった。岬ゆきのバスも、今後どんどん減っていく一方かもしれない。
みんなも行こう、岬。ただ真夏の岬は太陽に焼かれるので、少し涼しくなってからがオススメである。
岬へと向かって走るバス、それが「岬ゆきのバス」。
街から離れ、だんだんと岬へ近づいていく高揚感に満たされながら、車窓いっぱいに広がる青い海を眺める。至福の時間である。
そんな愛すべき「岬ゆきのバス」の魅力について語りたい。
『岬めぐり』(山本コウタローとウィークエンド)という曲がある。恋にやぶれた若者が、いつか二人で行こうと約束した岬を一人で巡るという哀愁ただよう歌である。
私はこの曲が大好きで、特に「バスで岬をめぐる」という心情に強いシンパシーを感じる。バスで! 岬を! 巡るのだ。それってつまり、こういうことである。
人によってグッとくるポイントは違うだろうけど、私にとっての「バス+岬」の良さって、これである。不安からの解放。はるばる来たぞという達成感。日常ではなかなか味わえない、この感覚がたまらなく好きなのだ。
ここまでは序章である。私は別にバスで岬を巡る話がしたいわけではなくて、伝えたいのは「岬ゆきのバス」についてだ。
この納沙布岬ゆきのように、終点が岬であり、岬を目指して走るバスを「岬ゆきのバス」と呼んでいる。これまでにいろんな岬を巡ってきたが、「終点が岬である」という縛りから生まれる旅情は強烈なのだ。
どういうことなのか。
それを説明するため、先日「万葉の岬」(兵庫県)へと向かう岬ゆきのバスに乗った話をしたい。
路線バス網は、全国各地に張り巡らされている。ということは、「岬ゆきのバス」もさぞたくさんあるのだろう……と思いきや、実はたったの15路線しかない(筆者調べ、詳細は後述)。
そのうちの一ヶ所が、兵庫県相生市にある「万葉の岬」なのである。
駅のホームから見えるのは、198円弁当で有名なラ・ムーである。近所にないので思わず はしゃいでしまったが、特に本編とは関係ない。
「岬ゆきのバス」の旅は、駅前でバスを待つ瞬間から始まる。マイカーと違って時刻表に縛られるため、少し早めに行って待機する必要がある。心配性の私なんかは、この時点でほどよい旅の緊張感に包まれる。
バスは定刻に出発したあとも、一直線に岬へと向かってはくれない。まずは市街地を回り、いくつものバス停を経由する。たまに人を乗せたり降ろしたりしながら、マイペースに街を走り抜けていく。
路線バスは、基本的に「地域の足」である。そのため乗客のほとんどは、岬とは無関係に利用している地元の方々だ。特に今回のような観光で使うには不便すぎるバスの場合は、その傾向が顕著である。ひとりだけ旅気分に浸っている自分が、ひどく浮いた存在となることも珍しくない。
つまりバスはまだ、誰かの「日常」の中を走っている。
旅の目的は人それぞれであるが、私は「日常では味わえない感情、つまり非日常を味わいたい」というのが大きい。
岬を巡るとはすなわち、効率を捨て、わざわざ先っぽを目指す遠回りをすることによって非日常を味わう行為である。
でもどうだ。市街地を走るバスの車内は、誰かの日常に支配されている。
時間が経つにつれ、バスは市街地から遠ざかり岬へと近づいていく。もちろん地元の方は岬に用がないので、手前で降りていってしまう。ほどなくして、乗客は私ひとりとなった。
途中から、急に場面転換したのが分かっただろうか。
乗車時点では、日常を運んでいた岬ゆきのバス。それがルートを進むにつれ、徐々に非日常へと変貌していく。
行き先は、なんといっても「岬」なのだ。そんなバスに終点まで乗り通すのは、意思を持って岬へと向かう旅人だけである。
この日常から非日常へのゆるやかな変化によって、自然と気持ちが高ぶってくる。おまけに、それを盛り上げるかのように車窓の風景も一変するのだ。なんておあつらえ向きな!
つまり岬ゆきのバスとは、日常と非日常とを結ぶある種のアトラクションである。たとえばこれが観光バスだと、最初から最後まで非日常である。また岬を経由するバス(終点が岬ではない)となると、岬に到達した時点でまだ日常を引きずっている。私が純粋な岬ゆきのバスを求める理由はそこにある。
さて、このようなバスは全国にいくつかある。趣味でいろんな岬を巡っていくなかで、当初は偶然こういう性質のバスを発見して喜んでいたのだけれど、やはり全貌をつかんでおきたい。とはいえ、「岬ゆきのバス」という概念を提唱している人は他にいないし、データも存在しない。そこで独自の調査を行うことにした。
ここからは、全国の「岬ゆきのバス」を調査する話である。
岬ゆきのバスの探し方
無数にあるバス路線から、岬ゆきのバスを探し出すのは簡単ではなかった。(ちなみに約8年前に一度 調査済みであったが、今回この記事を書くにあたって一から調べ直した)
全国のバス停を「岬」で検索すればいいのでは? と思うかもしれない。でもそれだと、「岬を経由するバス」が大量に含まれてしまうのだ。
一見すると「岬ゆきのバス」と勘違いしてしまうが、このようなバスは「岬を経由するバス」である。趣が異なることから、岬ゆきのバスにはカウントできない。
やっかいなのは、岬の呼び方だ。「~岬」だけでなく、「~崎」「~埼」「~碕」「~鼻」など、岬を表す言葉はいっぱいある。どんな呼称パターンがあるのか全貌がつかめなかったので、結局のところ検索には頼れない、という結論になった。
「これはもう、海岸線のバス停を目視で確認していくしかないな……」
覚悟を決めて、地道に調査するしかないのである。
調査には、国土交通省が公開している「国土数値情報」というデータベースを利用した。そこに「バス停留所」「バスルート」というデータがあって、日本の全バス路線(ただし2010年頃)のルートが収録されているのだ。なんてありがたいの……。
この作業をひたすら進めること約5時間。休日を半分費やすことによって、日本の海岸線すべてを見終えることができた。その結果として、「岬ゆきのバス」の可能性がある全国94路線の抽出を終えた。
確認を進めるなかで、「岬ゆきのバスだと思ったけど、そうじゃない」というパターンが分かってきた。せっかくなので、いくつか事例を紹介したい。
あくまで終点の「岬」へと向かう、一途な思いが必要なのだ。バス会社としては、人の住んでいる場所を結びたいというのはもっともである。でもその誘惑に負けず、観光客のために岬までバスを走らせる。その意気込みを買いたいと思うのである。
例えば「龍飛崎灯台」「石廊崎オーシャンパーク」「波戸岬国民宿舎」などなど。たしかに岬へ向かっているのは間違いないのだが、お目当てが岬から微妙にずれているため、岬ゆきのバスからは除外した。苦渋の決断である。
そんなこんなで吟味を重ねた結果、残ったのが全15路線というわけである。
ついに発表、岬ゆきのバスが走る岬がこれだ!
一番悩んだのが、先に例を出した「終点が集落」問題である。悩みすぎて無限に時間を吸い取られ始めたので、最後は自分が自信を持って「これは岬ゆきのバスだ!」と言える路線だけを残すことにした。
このうち筆者が乗車済みのバスは、万葉の岬のほかには、納沙布岬、神威岬、御崎岬、日御碕の計5ヶ所であった。残るはあと10ヶ所。また全国を巡る目的(大義名分?)ができた。これから徐々に巡りを進めていくつもりだ。
岬ゆきのバスは、これまでの説明でも分かる通り「概念」に近い。自ら定義した概念にしたがって行動する、いわば概念旅行である。でも現地で目にできる美しい風景は本物だ。
岬を巡ろう。そして非日常を味わおう。
本文にも書いたとおり、この調査をするのは8年ぶり二回目である。
その当時と比べると、民間のバス事業者が撤退し、自治体が運営するコミュニティバスに転換された岬がいくつかあった。岬ゆきのバスも、今後どんどん減っていく一方かもしれない。
みんなも行こう、岬。ただ真夏の岬は太陽に焼かれるので、少し涼しくなってからがオススメである。
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