少し前にこちらの投稿がバズりまして、改めて今回は良さをまとめておこうとおもいます!
エコバッグは店で買う物ではないと思っていた
と、目のエコバッグの前に、エコバッグというものそのものについていったん語らせてもらってもいいでしょうか。
そもそも私はエコバッグというものは新品をちゃんと買って得るものではないと思っていた。
生きてるだけで増えないですか? エコバッグって。
ノベルティとしてもらったり、紙袋代わりにしれっとやってきたり、ありがたくも友達がくれたりする。
私は地域の集まりや教会、学校等々が実施するバザーが大好きで、バザーに行けば必ず「おっ!」と思うエコバッグが100円とか50円という安さで売られておりそこで仕入れることも多い。
ただ最近そうやって首尾よく手にしたエコバッグが一斉にへたりはじめた。
結構そういう人はいると思うのだけど、私は「エコバッグがメインバッグ」の人間だ。
皮製やなんかのちゃんとしたかばんは重たいから、仕事以外のおでかけは基本エコバッグでどこへでも飛び出していく。
そんなわけで、使いに使われてじわじわと手持ちのエコバッグが全体的に痛みはじめ、最近いよいよ、洗ってもどうにもならないものは泣く泣く処分することにした。
すると、あれ? 出かけるのに持っていけるエコバッグが、ずいぶん少なくなってしまったのだった。
コンランショップ(!)で出会いました
それでこのところずっと、出かけるついでにエコバッグを探していた。
街に出ればアパレルのお店や雑貨店で探す。エコバッグというのは本当にどこにでも売られていて感心した。
のだけど、あんがい好みのものは見つからない。ぶ厚すぎたり、小さすぎたり大きすぎたり、ハンドルの長さが合わなかったりして。そんなある日、ふっと目の前にあらわれたのがこの青いエコバッグだったのだ。
サイズとか素材とか持ち手の形とか、これまで考えていた条件を全部ぶっとばし、デザインがかわいすぎる! という強い理由で購入をすぐ決めた。
出会ったのはなんと高級家具店であるコンランショップである。場所は新宿伊勢丹。物見遊山的にやってきただけの私の眼前に目玉のエコバッグはぶらさがっていた。
お値段3300円。(高っ!)瞬間、心が叫んだが、それに余りある欲しさがあった。
エコバッグといえば生成りの薄手の木綿が基本であり、私が探していたのもそうだったけど、真っ青なエコバッグはこれまで持ったことがなかったし、なにしろ目が大きくていい。
黙って笑顔で買って、かつてなく高級なエコバッグが我が家にやってきたのだった。
すごく一緒にいる
で、このエコバッグなのだけど、使ってみたらかわいいだけじゃなかった。ものすごく一緒にいてくれるのだ。
ひらたく伸ばして置いただけだと、「目のエコバッグだなあ」と、買ったときと変わらない感想なのだけど、ひとたびものを入れておいておくと、あきらかな存在が発生する。
いる。
移動中に鏡に映る自分を見ると、エコバッグが帯同しているのに気づく。
電車で膝に乗せれば共にに移動している存在がある。
劇場でも一緒にお芝居を観た。おもしろかったね。
持っていると、なんだかずっと心強い。
エコバッグ入れにも存在の可能性を感じる
ちなみにこのエコバッグ、ケースがついてきて、そっちも目が描いてある。
そう、親子なのだ。
同属の関係性を見せられることにより、生存がいよいよ確認されて胸があつい。
こんなん、一緒にがんばって生きていこうね、という気にしかなり得ない。
もとより、人はひとりではない。私たちは、たとえたった今ひとりぼっちでも、結局はひとのあいだで生きている。
目のエコバッグは、あらかじめひとが孤独でないさまを我々に語りかけているのだ。
……。
というのは、気持ち猛々しく話をむちゃに壮大にしすぎましたが、なにしろ、そばにいる心強さというものそのものを感じるバッグなのでした。