味の記憶
後日、純露(紅茶味)とジャムを食べ比べしてみた。
純露(紅茶味)は、べっこう飴に薄っすらと紅茶の風味を加えたもの。加熱した砂糖特有の香ばしさを強く感じる。安心感のある、昔懐かしい味だ。
一方ジャムは、もう、複雑。いろんな味がする。花の香り、レモンの爽やかさ、ハチミツのようなコク、さりげない紅茶の風味。レイヤーの数が多い。
違うな。結構。
…しかし、それは改めて照らし合わせた結果に過ぎず、あの時ひらめいた「これ純露みたい」という感想を否定する理由にはならない。
喉を通り過ぎた味は全て思い出だ。
あの日はたまたま全員に『純露の味』という共通の思い出があった。それが、その時に口内に滞在していた味と重なったような気がして、少し盛り上がった。
2つの味が似ているかはさておき、各々の持つ思い出と今共有している体験が触れ合ったあの瞬間、わたしの胸はじんわりと暖かくなり、晴れやかな気持ちになったのだった。
ーと、考えることで、元を取った気になりたい。
だって、確かに美味しかったけど、値段分の味は知覚できなかった。これはジャム自体のクオリティではなく、わたしの舌の問題だと思う。だからこそ、なんとか気持ちの部分でカバーしたい。
ああ、どこまでも浅ましい魂胆。心の余裕がない。こうしてその場しのぎで表層ばかりを取り繕うたびに、マリアージュフレールは遥か彼方へ離れていく。
要するに、わたしから言えることは、「純露は美味しい。マリアージュフレールのジャムも美味しい。」それだけである。
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