毒づくりのすきな人々
さて、さっそく毒づくりの門を再びくぐってみたい。といっても難しいことは全くなく、幼稚園児の頭になってみて毒っぽいものを持ってくる。そしてすりつぶして混ぜる、それだけである。
僕の中ではメジャーな遊びだったのだが、企画会議で「こんな遊びがあったんですよ」と言うと、周囲の反応はそんなにでもなかった。というか、ぼくだけしかやってなかった。
メジャーかマイナーか。この違いは記事のテンションにも関わるのだが、一応マイナーな遊びだということにしておく。
たしか外でやる遊びだったので、とりあえず外に出てみた。
さあ、毒を作ろう!と意気込むことに道徳的葛藤を感じないわけでもない。宮沢賢治の「毒もみのすきな署長さん(参照)」を思い出すが、善悪の彼岸にいる子どもというのは、そういうことなのでしょうな。
食べられないものは毒
そうまでしてやる毒づくりとは一体なんなのか。というわけでいきなりだが、幼稚園児だったころを思い出して毒を作ってみよう。
まず持ってきたのはこちらの毒っぽいもの。
「食べられません」の文字が、毒っぽさを演出している。味付け海苔の袋の中に入っていた乾燥剤である。実のところただの石灰。今だったらそんなに毒ではないとわかる。
だが英語で書かれた注意書き、やったらダメなことが並んだイラスト、どう見ても毒な感じがする。しかも開けてみると白い顆粒が。白い毒なんて即死に決まっている。
それを持参したブロックを土台にして顆粒をごりごりとすりつぶして粉にする。
続いて持ってきたのは、同じく乾燥剤のシリカゲル。一番最初に覚えたカタカナのケミカルっぽいモノの名前がシリカゲルだった気がする。
これも食べたらお腹痛くなるかもしれないが、毒って言うほどでもないかな、というくらいのモノである。でも幼稚園児からしたら、食べたらいけない=毒である。
石灰乾燥剤と同じようにすりつぶして入れようと思ったが、粒が硬くて全くと言っていいほど変化がなかったのでそのまま瓶に放り込んだ。手間がかけられない素材はあまり面白くない。
徐々に出来上がりつつある毒。その正体は2種類の乾燥剤を混ぜただけということを思い出すと、なんということはないのだが。
そこにちょっと毒らしい毒を投入してみたいと思う。じゃがいもの芽だ。
じゃがいもの芽に含まれる毒素、ソラニン。その名称はともかく、幼稚園児のときですらその存在を知らされている程のむきだしの毒である。
じゃがいもの芽は毒。毒は食べたら死ぬ。故にじゃがいもの芽は食べたら死ぬ。これが幼稚園児のリアリティだったように思う。
すりつぶしたじゃがいもの芽も瓶に入れる。ブロックの穴に吸収されて元々少なかった芽がほとんどなくなってしまったが…。
こうして混ぜ合わさった毒っぽいものであるが、まだそれぞれが融合しきっておらず毒になりきっていない(という設定になっている)。
そこでマンガン電池を水に浸した、「マンガン水」を作る。
マンガン電池がどのような役目を果たすか、箇条書きの形で説明しよう。
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というわけだ。(どういうわけだ。)
ここにきて明らかになったのは、僕が科学の徒として毒の精製に励んでいたのではなく、どちらかというと魔術の力を借りて毒を作っていた、ということである。
僕の中で科学と魔術が未分であった、パラダイムシフト以前の話である。
マンガン電池水を毒素材に注ぎこむと突如として「パチパチ!」という音が止めどなく聞こえてきた。やばい、本当に毒ができてしまったのか!!