ペン先の角度は79度
マジックインキの製造販売を行っているのは、大阪市に本社を置く寺西化学工業株式会社。
創業は大正5年(1916年)、100年越の歴史を持つ老舗企業である。
今回の取材、きっかけとなったのはこのツイートを見かけたことだったんです。
記事執筆時点で7万リツイート!これだけバズるということは、世代を超えて使われてきたってことですよね……。
……と思ったらそれもそのはず、マジックインキの発売は昭和28年(1953年)。今年で70周年なのである。親子三世代でお世話になっていると言っていい。
「?」のマークも「マジックインキ」の文字も、書体は若干変わったけどデザイン自体はまったく変わっていないそう。70年ものあいだ、ここに「?」って書いてあるわけだ。
変わっていないのはそれだけではない。
中林さん 見た目も大きさも、発売当時からほとんど変わっていないですね。ペン先の角度もそのままですから。実はこの角度、79度で決まっているんですよ。創業者が書きやすい角度を追求した結果、79度に至ったと聞いています。
中林さん 持ち方もあるんです。普通、鉛筆やペンは斜めに持ちますけど、マジックインキは手のひらで包み込むように持つ。こうやってホールドすると、安定して書けるんですね。
言われてみれば、マジックインキのペン先って太くて平たいし、本体も太くて短い。一般的なマーカーと全然違うのだ。そもそも、どうしてこんな独特の形なんですか……?
中林さん もともと、マジックインキは工場や物流などの「現場」で使うことを想定して作られたんです。現場の方は軍手とかグローブをしてますから、手で包み込んで持ったほうが安定するんですね。
学校のイメージが強いマジックインキだけど、実は「プロユース仕様」なのだ。
その証拠に、インキのポテンシャルもすごい。
中林さん 金属にも木材にもガラスにも精密機械にも書けますし、耐水性があるので水の中でも書けます。氷にも書けるので、「さっぽろ雪まつり」でも雪像の下書きに使われたりしているみたいですね。
実際に水の中で書いている様子をどうぞ。
こすっても消えない、雨に濡れても滲まない、ペン先が強くてつぶれない、わかりやすいよう太く書ける。
マジックインキは、そんな現場の要望全部入りなのだった。模造紙に壁新聞を書くのにここまでのスペックはいらないだろう。これは確かにプロユースですね……。
さて、発売当初からほぼそのままのマジックインキだけど、変わっているところもある。そのひとつが「キャップ」。
中林さん キャップ部分は、より開閉がしやすいように何度かバージョンアップしています。ただ、昔から使われている職人さんからは「なんやこれは」という声もいただきましたね。固いキャップを歯でくわえて、グッって開けていたみたいで。
現場でマジックインキを手に取り、歯でキャップを開け、そのまま口にくわえた状態で書き、終わったらくわえていたキャップを戻す……。
プロユースだと聞くと、そんな一連の動作も浮かぶのだった。
壊れたペンを手がかりに新商品開発
マジックインキは日本初の油性マーカーであり、その歴史は戦後まもない1951年までさかのぼる。
中林さん 当時の寺西化学工業の主力製品は、筆記用インキや水彩絵具といった水性インキのものでした。筆記用具は、万年筆や筆墨、鉛筆が主流だった時代です。
ある日、寺西化学工業の初代社長は、見本市でまったく新しいペンと出会う。それは株式会社内田洋行の社長が、視察先のアメリカから持ち帰ってきた「スピードライ社」のペンだった。
何にでも書けてすぐ乾くと、アメリカでヒットしているペンらしい。そんなのすごい。ぜひうちでも作りたい。さっそく内田洋行の社長に研究開発を申し出たのだけど……。
中林さん 持ち帰ったペンは、容器もキャップもバラバラに壊れていて、ペン先もカラカラ。どんな仕組みの筆記具なのか分からない状態でした。ですので、ペンの残骸とわずかな情報から、開発をスタートさせたんです。
もうほとんど考古学である。失われた文明を取り戻す感じすらある。
調査の結果、なんとなく仕組みは分かったものの、インキも容器もキャップも全部いちから作り直さないといけなかった。戦後間もないので、材料も限られている。
油性の溶剤に溶ける染料をなんとか探り当て、ペン先のフェルトは帽子屋に頼んで山高帽のフェルトをわけてもらい、プラスチックは希少なので容器はガラス瓶にした。
こうして日本初の油性マーカーが完成。「どんなものにも書ける魔法のインキ」ということで「マジックインキ」と名付けられ、華々しく発売……。
……されたのだけど、最初はまったく売れなかった。
中林さん 今の価格に直すと、1本2000円くらいだったみたいですね。現場向けのBtoBビジネスとはいえ、あまりに売れなくて、宣伝販売員も「もうやりたくない」と嫌がったと聞いています。
「キャップを閉める」を広めたのもマジックインキ
苦難のスタートとなったマジックインキ。ただでさえツラいのに、そこに購入者からのクレームがガンガン届いたらしい。なにがあったんですか。
中林さん 「ペン先が乾いて書けなくなった」という声が殺到したんです。当時の日本には「使い終わったらキャップを閉める」という習慣がなかったんですよ
油性インキは揮発性が高い。キャップを閉めないと、水性インキより早くペン先がカラカラに乾いてしまう。
でもみんな、そんなこと全然知らない。油性インキ初体験だから。
日本初の油性マーカー「マジックインキ」は、日本で初めて「キャップを閉める」という常識を作った筆記具でもあったのだ。
その後、マジックインキはテレビの選挙特番やクイズ番組で使われるようになった。出演者がキャップを閉める様子が流れて、お茶の間も「閉めるものなんだ」と理解が広がったそう。
ついでに、テレビで使われたことで宣伝効果もあったという。実際に使ってみせるのが何よりのCMだったでしょうね。
中林さん その辺りから、じわじわと口コミで広がっていったみたいですね。物流業界が右肩上がりに伸びてきて、梱包が木箱からダンボールに変わったのも後押しになりました。
加えて、著名な画家や漫画家が使ってくれたのも大きかった。これもある意味「プロユース」である。
発売から4年経った1957年には、当時売れっ子漫画家だった長崎抜天(ばってん)さんが、日比谷公会堂でのパフォーマンスでマジックインキを使用。舞台の端から端までインキをつぎ足すことなく漫画を描き上げ、「あのペンはなんなんだ!?」と話題になったという。
こうしてマジックインキの名前はどんどん轟き、ちょっと値下げしてさらに広がり、学校にも使われるようになった。あとはご存じの通りである。