ドローンも良いけどグーグルマップもかつての地形がよく分かる
グーグルマップ(地形表示)にかつての海岸線をザックリとプロットしてみた。
かつて海だったところはとにかく高低差がないので一目瞭然。島だったところは今なお、「早島」「連島」「玉島」などと「島」の付く地名が残っている。道路も実は昔の海岸線に沿っていたっぽかったり、眺めるだけで楽しい。
しかし、思い付きで作り始めたら思った以上に大変だった。
「今はもう存在しない島」
なんとワクワクする響きだろうか。江戸時代の初め頃まで瀬戸内海には「児島」という島があった。
大きさは東京23区の1/3ほどで瀬戸内海の島嶼では淡路島に次いで2番目に大きな島だった。
しかし現在「児島」という島は存在していない…と言ってもアトランティス大陸の伝説ように沈んだ訳ではない。本州に取り込まれる形で陸続きとなり島としての輪郭を失ったのだ。
そんな幻の島「児島」を求めて、最終的にドローンも飛ばして痕跡を探った。
日本列島の形は絶えず変化を遂げている。
その最たるものの一つは岡山県の南側であろう。あまり知られていないが海岸線が現在とは大きく異なる。
独立した島が多数存在し児島という巨大な島も横たわっていた。
そして児島と本州との間には「吉備の穴海」という海原も広がり、現代人がイメージするのとは全く違う日本列島の輪郭がそこにあった。
しかもナウマン象が闊歩していたような大昔の話ではなく、ほんの400年ほど前の話である。
干拓よって江戸初期に児島と本州は陸続きとなり、吉備の穴海も現在では姿を消し今に至る。
こうしてみると岡山県の南側はほとんど干拓地だし、400年前には倉敷駅に至っては海の中だ。
まずはかつて児島の隣にあった島から見てみよう。
現在は田んぼと住宅が広がっているが、かつてはこの周囲もまた吉備の穴海であり、足高山は海に浮かぶ島だった。
「笹沖」という地名もまた海だったころの名残だろう。
かつてここが島だった事に想いを馳せながら足高山を登る。
しかし不思議なもので、ただ山に登っているだけだが本当に島に上陸したかのような気になってくる。
樹々が生い茂って遮られているが、周りには確かに海が広がっているかの様だ。気のせいかもしれないし、うまく説明できないが、本当に島っぽい雰囲気がまだ残っている気がするのだ。
公園ではジョギングやウォーキングにいそしむ人たちがたくさんいる。
しかしこの中で足高山を「島」として感じているのは多分僕だけじゃないだろうか。そう思うと謎の優越感がある。
では本題の足高山から児島と海の様子を見てみよう。
視界に収まり切らないほど大きなかつての「児島」が姿を表す。遠くはかすんでしまう程の大きさだ。
400年前に一面、海だったとは信じられないが、なんとなく平坦で名残を見い出すことができる。建設機械もなかった頃、人の力で干拓され海が陸に変わったのだ。
400年前っていうとすごく前の様な気がするが、1年の400倍だ。1年なんてすぐだから1年の400倍もそんなに前じゃないはずだ。
つづいては先ほどの場所から車で15分、倉敷市藤戸(ふじと)にやってきた。
ここは源氏と平家が戦った藤戸合戦の舞台でもある。
近くには平家側の城があったが、海を隔てた源氏側には船がなくを攻めあぐねていた。
そこで源氏側の武将の佐々木盛綱は地元の漁師から浅瀬を聞きだし、その言葉通り馬で海を渡り平氏の城を攻め込み手柄を立てた。
しかし現代ではその戦場跡は完全な陸地となっており、家もたくさん建っている。海は遥か先だ。
以前から藤戸合戦の話は聞いたことはあったが、こんな内陸で海を渡る船がなかったという話を聞かされても、おとぎ話のようで現実とリンクせずなかなか実感が湧かなかった。
こうして地図と照らし合わせると、確かにここがかつて海峡だったことが分かる。藤戸合戦の話もよりリアリティのある話として理解できた。
こうしてかつての海岸線と照らし合わせながら歩くと色々な発見があって楽しい。
続いてかつての児島の海岸線をぐるっと回って名残を探していこうと思う。
息巻いて出かけて来たが、かつて海だったはずの場所には街が広がっており、人々の営みがある。海らしさは微塵もない。
あえて海の名残と言えばこの高低差がほとんどない道路だろうか。この辺りは基本的に坂道というものがない。
小高い所があるとすればそれはかつての島だったところだ。
現在の海岸線とかつて島だった頃の海岸線がほぼ一致している所に来た。
こうしてみると「海に浮かぶ島」とさきほどの足高山のように「田んぼのなかにある山」は、やはり雰囲気がとてもよく似ている。足高山もかつてはこんな感じの島だったのだろう。
僕は「海と陸」をまったく別のものと考えていたが、もしかするとそんなに違いはないのかも知れない。ただ海水が到達しているかの違いで、干拓すれば陸地になるのだ。
そのまま更に海岸線沿いを進むと瀬戸大橋が見えてきた。児島は現在では瀬戸大橋の岡山県側の付け根だ。
瀬戸大橋も児島が本州にドッキングしたからこそ本州と四国を結ぶことができているのだよね。
瀬戸大橋を過ぎるとアパレル関係の会社が目立ち始めてきた。
児島は「国産ジーンズ発祥の地」としてのPRが功を奏し知名度を上げつつあるが、他にも岡山県は学生服の生産量が日本一でもある。
海を干拓した土地は塩分を含むため作物があまり育たないが、綿花なら塩分を含む土地でも育てやすかったことから栽培が盛んになり、現在もアパレル関連の会社は多い。
ここから先は海沿いを進むだけになってしまうので、山からドローンを飛ばして島の名残を探す事にしよう。
周りに人や家が多いところでドローンを飛ばすのは法律で規制されているし何より危ない。それに山の上の方が景色を見渡せるはずだ。
あと実はここまで通ってきた倉敷市はドローンに関する条例が厳しくて飛ばせないのだ。
山頂にある広場にやってきた。
人間の目線の位置だと少し樹々が邪魔だがドローンを上空に飛ばせばかなり遠くまで見渡せるだろう。
このドローンは半年くらい前に買って、いつか記事で使おうと目論んでいた。空中に物体が静止するさまはトリックアートみたいな不思議な光景。
なお、操作は拍子抜けするくらい簡単だ。
ジョイスティックを傾ければその通りに動き、ジョイステックから手を離せば空中にピタッと止まって、結構強いなと思うような風でも微動だにしない。まるで3次元的に動くマウスカーソルだ。
それに何かに衝突しそうになると自動的に止まる「自動ブレーキ」みたいなものまでついている。
子供の頃、背が伸びて「今まで手が届かなかったものに手が届くようになった」事がきっとあるはずだ。ドローンはそれに近い根源的な喜びである。物凄く高い所に手が届くようになる感覚だ。
そしてドローンで撮影してみた映像がこちら。
上空からドローンの送ってくる映像を見るとかつて海だった干拓地はさながら海に浮かんでいるかのよう。
「うわ、本当に海だ!」と思わず声を上げてしまうほどだ。
僕が知らず知らずに踏みしめていた干拓地は、上空から見ると予想以上に今なお「海っぽさ」が残っていたのだ。こんなにも海っぽかったのか。
干拓地の一帯がかつて海だった事はいわば知識として知っている状態だったが、それをこの目で確認することができてしまった。これは生きた学問だ。
興奮冷めやらぬうちに、さきほど映像でみた児島湖周辺に降りてきた。
児島湖は現在は淡水湖となっているが「吉備の穴海」の最後の名残だ。本来はこんな感じの海がどこまでも広がっていたのだろう。
さきほどの倉敷市の干拓地よりも田んぼの比率が高く、ものすごく先まで見通せるので土地の広さが分かりやすい。
ここ岡山とは思えないような、北海道とか外国だと言われても信じてしまいそうな広大な土地が人の力で、建設機械もろくに無い時代に広げられたのだ。
しかも今や元が海だったんてほとんどの人が気にせず生活していると思う。人の力ってすごい。
先ほどの空撮だと見えにくかった吉備の穴海と児島の境界線を探っていこうと思う。
あまりよく見えないので再びドローンで空撮を試みる。
かつて海だったところは田んぼの境界線が真っ直ぐだ。
ちなみに映像じゃなくて写真なのはすでにドローンのバッテリーが残り僅かとなってしまったからだ。
そして写真の奥、山のすそには「八浜駅」という駅がある。「八浜」という地名ではあるが、もちろん現在は浜なんて無いので地名は児島が島だった頃の名残かもしれない。
この様に弧を描くような湾曲した海岸線と「八浜」という地名はここにはかつて美しい砂浜が広がっていたのだろうと想像させる。
それにしても地形は変わっても地名は脈々と受け継がれていて、かつての島の姿を現代の僕たちにこうして教えてくれるというのは何ともありがたい事だ。
”今は存在しない島”の輪郭を調べていくと、島をめぐる人々の営みと、それらが積み重ねられた歴史が浮き彫りになり、至る所で”今でも存在している島”だった。
そうこうしているうちにドローンのバッテリーが完全に底をついたので、ここらでドローンさせてもらいますわ!
グーグルマップ(地形表示)にかつての海岸線をザックリとプロットしてみた。
かつて海だったところはとにかく高低差がないので一目瞭然。島だったところは今なお、「早島」「連島」「玉島」などと「島」の付く地名が残っている。道路も実は昔の海岸線に沿っていたっぽかったり、眺めるだけで楽しい。
しかし、思い付きで作り始めたら思った以上に大変だった。
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