ケーブルハットを見に行こう!
ケーブルハット。
そんな聞き慣れない言葉を教えてくれたのはラジオ塔の記事でも解説してくださった一幡公平(いちまんこうへい)さんだ。
一幡さんは仕事で岡山県内のほぼ全域をあちこち歩いている。その道中でケーブルハットというものを見つけたそうだ。ケーブルハットって何?そんな疑問を抱きつつ、実際に見せてもらうことにした。
一幡さんとは近くのショッピングセンターで合流し、僕の運転で向かう。途中、道がとても狭い場所があるというので少し心配だ。
一幡さん、今日はよろしくお願いします!改めてケーブルハットとは何か教えていただけますか?
よろしくお願いします。ケーブルハットとは昭和初期に長距離電話の途中に設置されていた施設です。当時の方式ではケーブルの信号がどんどん弱くなったので、途中で信号を増幅させる施設を設けていました。その一つがケーブルハットです。えー、そこ右です。
はい(右折)。なるほど。そんなものがこの近くにあるんですね。正直、全く聞いたことがなかったです。
道は山のほうへと向かっていき、気づけば周囲に家はほとんどなくなる。畑が広がるのみだ。
地元の人以外はあまり来ることはなさそうな場所ですね。ここまで調べているのは一幡さんならではというか…。こういう道でも全部歩くんですか?
なお、一幡さんの仕事は非公開だが、岡山県内をあちこち歩く仕事だ。
歩きますね。僕も山道とかはあまり歩かないですよ。でも家とかがある路地なら岡山県内はほぼ歩きます。
岡山県内といっても広いですから、路地をほぼ歩かれるとは。だからいろいろ知っているんですね。
また、一幡さんは歩いて見つけた風景や建物を同人誌にまとめて発行もしていて、それきっかけで最近では岡山のローカル番組(地方で夕方にやっているテレビ番組)やラジオ、新聞などにもひっぱりだこだ。
いやいや、まあ、他の人よりは見つけると思います。その右のへんに停められると思います。
あ、はい。分りました。(停車)思ったより道が狭くなくてよかった。
車の外は曇っていてそれほど暑くないが、もわーんとした湿度が全身にまとわりついてくる。虫の鳴き声が360度から途切れることがない。
田舎にはありふれた場所で、そのような遺構がありそうな感じではない。
一幡さんが見つけた「ケーブルハット」とは
藪の中に埋もれるように建つ倉庫みたいな建物がケーブルハットだ。
あ、これがケーブルハット。これが何かという前提知識がなければただの倉庫にしか見えませんね。
郵便の「〒」はもともと逓信省のマーク
この郵便(〒)マークは昭和初期に作られたにしては綺麗すぎませんか。でもなぜ郵便のマークが?
〒はレンガを組み合わせて作っているみたいですね。実は、〒マークはもともと逓信(ていしん)省のマークでした。逓信省は昭和24年まで存在した官庁です。郵便だけでなく電話も管轄していました。
そういえば、郵便のマーク「〒」は、もともとカタカナの「テ」が元になっているというのは聞いたことがあります。逓信のテですね(あとで調べるとこれは諸説あるようです)。
ケーブルハット内部には何も残っていない
詳しい話をすると、昭和初期に使われていた装荷ケーブルという通信方式の長距離電話では、ケーブルの途中に装荷コイルというものを設け、電流が弱まることを防いでいました。その装荷コイルを入れていたのがケーブルハットです。
なるほど。ところで中には何か当時のものが残っているんでしょうか?
そこの壁に金具みたいなものが付いているじゃないですか。金具は装荷コイルを取り付けるやつだったかもしれません。
うーむ。地元の人に聞けば、もしかしたら分かるかもしれませんが、周囲に人はいませんからね。
この鉄の扉も古そうですが、当時のものですかね。戦時中の金属供出でも取られることはなく。
おそらく。あと、この扉は鋲(リベット)で留めてあるんですが…
中の金具はボルトで留められています。だから中の方が新しいはずなんですよ。当時のものではなく後からつけたものかもしれません。
テレビでも取り上げられたケーブルハット
ケーブルハットはすごくマイナーというか、あまり取り上げられていませんよね?僕も一幡さんに教えていただくまで知りませんでしたし…。
そうですね。でも最近、北海道の小樽のケーブルハットがテレビ番組で取り上げられたのはTwitterで見ました。
一幡さんのタブレットに入っている資料から。一幡さんのタブレットには色々な資料が多数入っている。
これは「何だコレ!?ミステリー」。みたことあります。でも(電話ではなく)電報を送るため?
電話だと思います。これ↓は国立国会図書館のウェブで見られる逓信省の資料なんですけど、ここにケーブルハットが書いてあります。
こちらも一幡さんのタブレットに入っている資料から。
装荷線輪装置用人孔築造困難の個所に新築せる装荷線輪装置用「ケーブルハツト」
「線輪」はコイル、「人孔」はマンホールのことです。
なるほど、つまり通常はマンホールを作って装荷コイルを入れていたという事ですね。マンホールが困難な場所にケーブルハットを作った。
そうですね。この↑資料のケーブルハットもここのケーブルハットと似ていますね。雰囲気は全然違いますけど屋根が丸い。そしてこれ↓は広島にあるやつです。
ちょっと違うんですよ。これ(〒)が白くて。統一規格じゃないんですよね。
岡山県内だけではなく広島へもケーブルハットを見に行ったんですね。一幡さんの仕事は岡山県内を歩くことで、これは趣味として行かれた?
そうですそうです。調べたら出てきたんで、まあ近いから行っとこうって感じですね。
ケーブルは地下を通っていた
ここでケーブルの信号を増幅していたとして、ケーブルはどこを通っていたんでしょうか?
地下を通っていたはずなんですよ。ケーブルハットは地下ケーブルの途中に設けられた施設なので。
そうか。そういえば「マンホールを築造困難なところに作った」とさきほどの資料にありましたね。
装荷ケーブルは東海道〜山陽沿いを通った
あと意外だったのは、このケーブルハットは結構奥まったところにありますよね。いわゆる往来ではなくて。
そうですね。でもまあ、あそこに変電所みたいなものが見えると思うんですが…
あれが山陽新幹線で、その奥に山陽自動車道。大きく離れてないところを通してますよ。
空中にケーブルを通す「装荷コイル用櫓」は東海道に多い
よかったらこちらも見てください。ネットでわかる情報を簡単にまとめただけなんですが。
これ見つかってネットに上がっているやつだけなんで、他にもあるはずですが、ケーブルハットと櫓で東京から福岡までの線は見えますね。
ほう。やはり東海道〜山陽を通っていますね。ところでこの「櫓」というのはなんでしょうか?
装荷コイル用櫓です。ケーブルは地下を通す場合と、電線のように空中に架ける場合の2種類あり、空中に架ける場合はこのような↓装荷コイル用櫓を作ってコイルを設置していました。
これは当時の写真で、乗っているのが装荷コイルです。
ケーブルハットは地下で、空中は装荷コイル用櫓なのですね。ケーブルハットでは装荷コイルを建物内にいれていたようですが、野ざらしでも良いんですね。
みたいですね。装荷コイル用櫓はかなり有名です。滋賀、三重、愛知、静岡に多数現存していて、愛知県豊川市のものは国登録文化財にもなっています。これ↓は滋賀県にある装荷コイル用櫓です。
滋賀県へも行ったんですね。さすがです。でもこんなの田んぼにあったら邪魔だろうと思いますけど。
そうですよね。でもうまく避けて耕してますよ。これね、ここ(支柱)に線みたいなのが入っているじゃないですか。拡大するとこんな感じ↓
凝ってますよね、これ。単に装荷コイルを置いてあっただけの施設で、人が来る場所でも無いのにこんなのをつけるなんて本当に凝ってますね。
コイルは1.8kmごとに設置しなければならない
ところで、装荷コイルはどれくらいの数が必要だったんでしょうか?
装荷ケーブルは
1.8kmごとに装荷コイルを設置する必要がありました。
1.8…。結構短いんですね。1.8kmごとにケーブルハットやマンホール、装荷コイル用櫓を作って日本を横断するとなると相当な数が必要になりますね。当時ものすごく力を入れて整備したんだろうな。
そうだと思います。あと、これ↓は逓信省の資料なんですけど。ここに「装荷用ケーブルハット」って書いてありますね。全国の合計が135。岡山の合計が8。
本当だ。へー。東京都とか京都府や大阪府など、ケーブルハットがない都道府県も多いですね。
分からないですよ。この頃には新しい無装荷ケーブルっていうのができていたので。この資料の時はすでに廃止された可能性もあります。資料としては「少なくともこれだけはありました」というだけで。
徐々に発見の難易度が上がるケーブルハット
あとこちらは岡山県内にもう一ヶ所、発見したケーブルハットです。
はい。偶然見つけました。これは7年前の状態で、現在は植物でほとんど見えなくなりました。
ということは徐々に発見の難易度があがっているということですね。今後、もしかしたら壊される場合もあるかもしれませんし。
ケーブルを傷つけない様に注意書きの標識
これ余談なんですけど、「ケーブルを傷つけない様に」と注意書きが書かれた逓信省の
標識も岡山県内には残っています。
(写真を見ながら)えー?これが残っているってすごい事じゃないですか。岡山市北区撫川は時々通りますけど見た事ないな。あそこにもケーブルが通っていたのか。
さすがに何が書いてあるかは断片的にしか分からないですね。
実は、これと同じやつが広島県にあって、こっちはもっと字がよく読めます。
ほんとうだ。めちゃくちゃ状態が良い。ほとんど完全に読めます。でもこの看板を撮りにわざわざ?
一幡さんは写真も資料もなんでも持っているので記事を書く身としてはめちゃくちゃ助かります(笑)標識の内容を以下に意訳しておきます。
注意
本長距離電話「ケーブル」線路を損傷したる者は電信法により処罰せらるべきにつき、左の各項に注意せられたし
一、電柱その他支持物に登り毀損し、または動物を繋ぐ等の事をなさざること
一、線路の付近にて発砲、投石、竹木の伐採、焚火その他危険なる行為をなさざること
逓信省
東京と満州を繋ぐ「日満ケーブル」でも使われた?
昭和14年(1939年)に東京の中野から満洲国の奉天まで「日満ケーブル」という長距離電話が開通しました。すごく長い距離に電話線を通したことで当時「日本はすごい国になった」と世界的に話題だったみたいです。
これは日満ケーブルのルート図です。この頃には「装荷ケーブル」より新しい「無装荷ケーブル」という技術もできていました。無装荷ケーブルには装荷コイルは不要で、ケーブルハットや装荷コイル用櫓も不要になりました。
へー。先ほど見せていただいた装荷ケーブルの地図では東海道にたくさん櫓がありましたが、新しい無装荷ケーブルになると甲府を通るルートに変わったようですね。
おっしゃるとおり。東京〜大阪のルートは装荷ケーブルとは異なります。資料によると大阪〜小郡(現・山口市)(↑の青線)は、既存の施設を使って開通させているらしいのです。だから明確なことは僕にも分からないのですが、ケーブル自体はたぶんこの場所を通っているはずです。
ではここを東京から満洲への電話が通ったかもしれませんね。ロマンがあるなあ。
そうですね。実は無装荷ケーブルは日本人が作った技術で、装荷ケーブルに比べて音声がクリアになって延滞も減り、コストも下がったりと当時はかなり画期的だったようです。
無装荷ケーブルの誕生で一気に日本がリードしたんですね。1.8kmおきに装荷コイルが必要な装荷ケーブルでは海を通すのは難しそうですから、無装荷ケーブルあっての日満連絡ケーブルだったのかも。いやあ面白いお話でした。長い時間ありがとうございました。
ということで、今や世界中の人たちと一瞬で通信できてしまう世の中ではあるが、もちろんそんな便利なテクノロジーも一朝一夕に成し遂げられたものでは無い。
人里離れた山すそに残されたケーブルハットは、そんな技術革新の歴史を垣間見せてくれたのだった。
岡山県岡山市に残る逓信遺構
一幡さんが岡山県岡山市中区古京町で謎の逓信遺構を見つけたらしい。しかし、これがなんのためのものか分からないそうだ。もしご存知のかたがいたら情報提供お願いします。