ラジオ塔=電波を出す塔ではなく、街頭ラジオ
以前、岡山の街歩きの会に参加させてもらった時のことだ。「ラジオ塔」を研究されている方にお会いした。
ラジオ塔…って何?ラジオの電波を出す塔の事?と思ったが違った。
「街頭ラジオ」の事だそうだ。
街頭テレビなら知っているが、街頭ラジオ?…そしてその痕跡はまだ日本各地に残っているらしい。全然知らないぞ。知らない事を知るのは楽しいので、ラジオ塔についてお話をうかがう事にした。
待ち合わせしたのは、岡山県岡山市の中心部から15分ほど歩いたところにある上伊福西公園だ。
…この日は真夏が戻ってきたかのように暑い。暑さのせいか周辺に人影はない。
それは置いといて、この公園はラジオ塔がいまだ残っている場所のひとつだという。
ラジオ塔とは
これがラジオ塔らしい。なんか…思ってたんと違う。
ご覧の通り「塔」というより「どでかい灯篭」と表現するほうが近い。
隣のブランコと比較すると大きさがわかると思う。
なるほど。僕はこうしてラジオ塔を目当てに来たので注意が向いたが、灯篭っぽいので「なんだただの灯篭か」となってほとんどの人は気にしないだろう。「くせもの!」→「にゃー」→「なんだ猫か」と同様のメソッドである。
「そもそもラジオ塔という塔にラジオを置くという形は街頭ラジオの一種です。」
やわらかな語り口でそう話してくれたのは一幡公平(いちまんこうへい)さんだ。お名前がめちゃくちゃ珍しい。
一幡さんは日本各地を訪れラジオ塔の研究をされていて、その成果はラジオ塔の同人誌や学会などで発表している。いわばラジオ塔のマニアだ。
そもそも一幡さんがラジオ塔を調べ始めたのは、ラジオ塔という存在があると知った翌日、この公園の前を通りかかり、これもラジオ塔なのではないかと気づいて調べ始めた事がきっかけだそうだ。
野球狂時代とラジオ塔の誕生
今日はよろしくお願いします。
これは昭和初め頃の写真でこの頃、野球狂時代と呼ばれるほどものすごく野球が人気でした。関西では主に甲子園大会や、関東では六大学野球ですね。
プロ野球は出来る前か出来たばかりくらいですかね…今と違って甲子園や六大学野球のほうが人気だったのか。
もちろん球場には人が殺到していましたが、球場から離れた場所では電話で試合の状況が伝えられ、この様に係の人が試合状況を反映しています。
僕にはこれが面白いものに思えません。それでも物凄い人が集まっている。ちょっとありえないですね。
日本放送協会(NHK)がそういう野球人気を鑑みて昭和5年に大阪の天王寺公園に「塔の上にラジオを置く」街頭ラジオを作ったのがラジオ塔の始まりです。
つまりラジオ塔の始まりは野球とつながりがあるようです。
戦争に突入すると役割が変容するラジオ塔
このように当初は娯楽を目的として作られ始めたラジオ塔だが、日本が戦争へ向かいはじめると、国民へ情報を発信する重要性が増し、ラジオ塔もどんどん増加していく。
一幡さんによると全国で少なくとも465か所ものラジオ塔が建てられたのだとか。
そしてこの上伊福西公園のラジオ塔も、建造年は不明ながら戦争が拡大した昭和17年(1942年)頃のものらしい。
全国のラジオ塔を見て回ると全てデザインが違うんです。
本来は音を出すためだけの物であるにもかかわらず、戦争で厳しい状況でも凝ったデザインにしたのは戦争とのかかわりも非常に強いと思います。
当時はラジオを用いて戦意高揚させようとしていたので、もっともらしい事が発せられるラジオ塔が適当なものであってはならない、そういう思いがあったんじゃないかと。
この様にラジオ塔と国旗掲揚台はセットになっている事が多いらしい。これも戦争中におけるラジオとラジオ塔の役割を示しているのだとか。
資料がなく自分で作った同人誌
こうした研究成果はラジオ塔の同人誌という形で発表している。
もともとラジオ塔を調べ始めたときに、まとまった資料はありませんでしたし、もちろん専門書もありません。ラジオ塔の本が欲しいなと思って自分で作ろうかと。
アニメで見つけたラジオ塔
このラジオ塔も灯篭っぽい。これもただの灯篭だと思われているんじゃないか。
僕の中で確信を持ったのはこの国旗掲揚台です。
そうです。
ここから余談ですが、この国旗掲揚台は5色に塗り分けられていますが、なぜだか分かりますか?
昭和15年(1940年)の東京オリンピックが中止になるやつだ!うぉー、おもしろい!
現存する戦前のラジオ塔
このように一幡さんは全国のラジオ塔を訪れて現存するか調査して回っている。
一幡さんが現存を確認した戦前のラジオ塔はこの42か所だそう。
でも北海道や東北にはないですね、撤去されたという事ですか?
台湾以外にも、樺太や最近調べた資料だとミャンマーやインドネシアにもラジオ塔があったみたいです。
ラジオ店の店頭で流す街頭ラジオもあって、東京はそういうのが多かったか、家庭への普及率などの影響で必要なかったのかも知れません。
東京都千代田区の佐久間公園にもラジオ塔は残っていましたが、2011年ごろに撤去されています。
九州も長崎以外は見つかっていません。
見直されつつあるラジオ塔
このようにかつては各地で活躍したラジオ塔だが、やがて時代がラジオからテレビへと移り変わると、ラジオ塔の存在も徐々に忘れられていった。
冒頭の岡山市の上伊福西公園のラジオ塔も長らく放置されていたが、地元の町内会の方々の手によって復活を遂げている。
この近所に住むご主人がたまたまその記事を見て、町内の方々が「これはラジオ塔だったのか」と知る事になりました。
ラジオ塔の復活を推し進めた方によると「こんなお宝があったのなら活用していこう」と。
こうして一幡さんの活動がきっかけとなり、解説の看板もついて、このラジオ塔でのラジオ体操が行われたりもしているらしい。
身近な構造物でもただ通り過ぎるだけでなく歴史を調べてみると、思わぬところで別の歴史とリンクしたり、地域にとって重要な財産になることもあるのだ。
もしかするとあなたの近所にもラジオ塔があるかもしれない!…ということで、一幡さんがこれまでに現存を確認した戦前のラジオ塔の写真を全部掲載しておく。
まとめ枠が長くなってしまうがラジオ塔の魅力を全力で語る一幡さんを見ていて、それぞれのラジオ塔の魅力を僕が紹介しても伝えきれるか分からないし、ちょっとおこがましいなと思ったからだ。
気になった方は同人誌を買おう。