こういうことを言いたい
何気ない一言が頭から離れないことがある。
編集部の林さんが、このサイト内の写真を「あぶらとり紙」と例えた時にそれが起こった。
(記事はこちら 自然豊かな村で歯ブラシを買い求める生活、林さんのコメント付きのものはこちら 記事のここを読んでくれ!注釈付き記事~デイリーポータルZをはげます会限定エリアから)
「こういうこと言いたい!」と思うが、すぐに言えるものでもない。代わりにあぶらとり紙になろうと思った。
道具をそろえる
偶然のあぶらり紙も素晴らしいが、精度に重きを置いて狙ってやったあぶらとり紙もきっと良いだろう。
あぶらとり紙は妻が職場にあったものを持ってきてくれた。お土産でもらったそうだ。
探せばある。よーじやは暮らしに浸透していた。
お手本は見つかった。次は自分の分だ。
手鏡らしい手鏡。しかし売り場で自分の顔を映してみると、顔全体がしっかり入ってよーじやのロゴっぽくならない。
顔の輪郭が見切れるくらいの大きさにするには、顔すれすれまで鏡を近づけないといけない。これでできるのか?
不安のままやろう
とりあえずやってみよう。
「ロゴになりたい」と言ったが「ロゴになった様子を見て欲しい」とも思っている。しかし自分から見た鏡と、その様子を撮るカメラから見た鏡では、映っている物が違う。
つまり、僕から見てよーじやのロゴになっていても、その様子を撮影することができない。
一生懸命に口をすぼませているが、こんなことをしていてもしょうがない。カメラから見てよーじやになる配置を考えてみる。
鏡の中のスマホ、の中の鏡、の中の自分、がよーじやになるように手鏡を調整する。ヤバい儀式みたいでドキドキする。
恐る恐る、自分がドアップになるまで鏡を近づけていく。
カメラ視点からだと、そこまで顔を近づけなくても鏡が顔でいっぱいになる。うまく写真に残せて嬉しい。