結局使わなかった
用意した小道具って半分ぐらいしか使わない。そういうことがよくある。
ここまでやって撮れた画像を確認していたらある疑問が生まれた。
背筋に何かが走った感触があった。
検索しても「京都の女性が鏡に映りこんでいるところ*」という説明だけで誰から見た様子かは分からない。
*そうだ 京都、行こう。 京コスメの老舗「よーじや」祇園店が本店にリニューアル! 歴史・魅力に迫るhttps://souda-kyoto.jp/blog/01042.html(参照2023-11-27)より
できる範囲で考えてみよう。
ロゴが「京都の女性」から見た、自分が映った手鏡だった場合、このように見ていたことになる。
普段化粧をしないので、こういう距離感があり得るものなのかが分からない。妻に写真を見せて聞いてみた。
「よっぽど目が悪くないとこうはならない」
ということだった。そうだよな、そんな気がする。
編集部の林さんは別の説を挙げてくれた。
「あぶらとり紙使うとここまで寄ってみたくなるんじゃない?」
個人差がありそうだが、僕は使った紙の方をよく見て、そこまで鏡に近寄って顔は見なかった。そもそも自分の顔って、あまり近寄って見たいものではない。
美意識がすごく高かったら鏡に近寄って、細かい部分をチェックするのかもしれない。
この場合、その「他人」が誰かによっていくらでもストーリーができてしまう。ホラーにもハートフルにもなる。
僕には、誰かと目を合わせて微笑んでいるように見えた。鏡の中の自分ではなく、鏡に映った誰かを見ているのだ。ロゴを見て、目が合ったような気がしてドキッとするのはそのせいである。
相手が誰で、なぜ微笑んでいるのかは、もういいだろう。各々が感じたことがきっと正解である。
想像できたのはこの3つ。
説1 よーじやのロゴの人はすごく目が悪かったのかもしれない。普段はメガネやコンタクトの可能性もある
説2 よーじやのロゴの人は、顔の、すごく細かい部分をチェックしているのかもしれない
説3 よーじやのロゴの人は親しい誰かと目が合って微笑んでいるのかもしれない
僕は3つ目の説だといいなと思っている。見れば見るほどそういう表情に思えてきたので。
そして僕はよーじやのロゴを見る目がすっかり変わってしまった。「俺もなる」という素っ頓狂なアプローチだったが、馴染みのあるものについて深く考えるきっかけになった。
用意した小道具って半分ぐらいしか使わない。そういうことがよくある。
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