特集 2023年11月28日

あぶらとり紙のロゴになる

誰目線だ?

ここまでやって撮れた画像を確認していたらある疑問が生まれた。

自分目線でよーじやになるにはすごく近づかないといけない(左)が、他者目線なら自然な距離になる(右)
では、もともとのロゴは誰目線なんだ?

背筋に何かが走った感触があった。

検索しても「京都の女性が鏡に映りこんでいるところ*」という説明だけで誰から見た様子かは分からない。

*そうだ 京都、行こう。 京コスメの老舗「よーじや」祇園店が本店にリニューアル! 歴史・魅力に迫るhttps://souda-kyoto.jp/blog/01042.html​​(参照2023-11-27)より

できる範囲で考えてみよう。 

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自分目線だった場合

ロゴが「京都の女性」から見た、自分が映った手鏡だった場合、このように見ていたことになる。

すごく近い

普段化粧をしないので、こういう距離感があり得るものなのかが分からない。妻に写真を見せて聞いてみた。

「よっぽど目が悪くないとこうはならない」

ということだった。そうだよな、そんな気がする。

説1 よーじやのロゴの人はすごく目が悪かったのかもしれない。普段はメガネやコンタクトの可能性もある
メガネ。雰囲気変わりますね

編集部の林さんは別の説を挙げてくれた。

「あぶらとり紙使うとここまで寄ってみたくなるんじゃない?」

なるほど、使ってみよう
Tゾーンやあごに優しく当てるそうだ

個人差がありそうだが、僕は使った紙の方をよく見て、そこまで鏡に近寄って顔は見なかった。そもそも自分の顔って、あまり近寄って見たいものではない。

美意識がすごく高かったら鏡に近寄って、細かい部分をチェックするのかもしれない。

説2 よーじやのロゴの人は、顔の、すごく細かい部分をチェックしているのかもしれない
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他人目線だった場合

これを撮ったカメラの目線の場合
背中のすぐ後ろのところに誰かがいることになる

この場合、その「他人」が誰かによっていくらでもストーリーができてしまう。ホラーにもハートフルにもなる。

こういう時は、この人の表情をもう一度よく見よう

僕には、誰かと目を合わせて微笑んでいるように見えた。鏡の中の自分ではなく、鏡に映った誰かを見ているのだ。ロゴを見て、目が合ったような気がしてドキッとするのはそのせいである。

相手が誰で、なぜ微笑んでいるのかは、もういいだろう。各々が感じたことがきっと正解である。

説3 よーじやのロゴの人は親しい誰かと目が合って微笑んでいるのかもしれない
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「俺もなる」というアプローチ

想像できたのはこの3つ。

説1 よーじやのロゴの人はすごく目が悪かったのかもしれない。普段はメガネやコンタクトの可能性もある

説2 よーじやのロゴの人は、顔の、すごく細かい部分をチェックしているのかもしれない

説3 よーじやのロゴの人は親しい誰かと目が合って微笑んでいるのかもしれない

僕は3つ目の説だといいなと思っている。見れば見るほどそういう表情に思えてきたので。 

そして僕はよーじやのロゴを見る目がすっかり変わってしまった。「俺もなる」という素っ頓狂なアプローチだったが、馴染みのあるものについて深く考えるきっかけになった。


結局使わなかった

結局これ使わなかったな

用意した小道具って半分ぐらいしか使わない。そういうことがよくある。

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