竹ぼうきは短くなる
神社で仕事をしているので竹ぼうきが身近な仕事道具としてある。月に50時間近く握っているし、ほうきの振り過ぎで腕の筋肉が発達してきたくらいだ。格闘漫画の修行みたいな話である。
竹ぼうきにはけっこう個体差がある。同じ種類のものでも穂の付き方や柄の太さ重さが違ったりするのだ。また、使い続けていると自分の掃き癖にあわせて穂先が整ってきて「成長」するところもおもしろい。
僕はこだわりがあるほうなので、職場では自費で買ったプライベート箒を主に使っている。これで業務効率と気分がまったく変わってくる。
されど物の命に限りあり。竹ぼうきは使っていると穂先が折れてどんどん短くなっていくのだ。
はじめはシャッシャと優しく地面を撫でるように掃除ができていたのに、柔らかい部分が折れてなくなった後は開墾でもしてんのかと思うくらい粗暴な掃きあとになるのである。
使ってない穂の部分をくりだす
今回、竹ぼうきを分解して楽しむことはもちろんだが、工夫して組み直すことで穂の部分をもっと有効に使えるようにしたいのだ。
柄は小指の先くらいまであるので、穂をもうちょっと棒先にズラして取り付ければ可動域が復活するはずなのだ。それがやりたい。なんでって、柄の握り心地を気に入っているから新品に替えたくないのである。この箒は僕にとってサトシのケンタロスくらい大事なもんだと思ってほしい。
まずはほうきをバラす
ほうきの分解である。以前当サイトの記事で笛にしたり鉄砲にしたりするために加工したことはあるが、穂をバラしたことはないのでわくわくする。
ゴールデンウィークの中日、くもり空の下ひとりでほうきを分解せんとする。喧騒の一部になるより幾分か有意義な過ごし方だと思う。そう思い込む。風が強い。
楽しい。分解は僕が思い通りにできる数少ないことのうちのひとつである。
いつになったら生活がままなるのか。このまえ郵便受けに手紙が入っていて、開いてみたら「家賃がここ数年ずっと一月遅れで振り込まれています。契約通りに入金してください。」というような内容だった。なんなら早めに振り込んでいる意識だったのでショックだった。どおりで大家さんがよそよそしいわけだ。
ままなりたいよな。
やってみて思ったが、そりゃそうだろうという構造である。基本的には枝が柄に針金でくくりつけてあるだけだ。
いい調子である。竹ぼうきは電子機器とちがってなにをどう間違えても爆発しないのがいい。爆発しないのが美徳。そういえば、爆弾が通う学校では不発弾は劣等生扱いなのでしょうか。
作業を続けること数十分。ついに大いなる偉業は成し遂げられた。
ついにほうきをバラせた。分解はこの征服感がたまらない。生殺与奪の権を握って優位に立つ高揚感。権力。指先一つでどうとでもできるという愉悦。世が世なら貴族の遊びになっていてもおかしくはない。
バラした枝の座り心地はよかった。