街にそびえる雑居ビルという未知の山を見上げると段差という道しるべがあるのは文明的でありがたい。下りではこうはいかない。山で迷ったら降りてはいけないとはよくいったものだ(違う)
物言うといえば
2000年代初頭、村上ファンドを率いる村上世彰氏は上場企業の株式を取得するだけでなく、経営に厳しく提言を行い企業価値の向上を求め、この姿勢は「物言う株主」として注目を集めた。
しかし、もっと物言うものが、身近にあるんじゃないかと私は思った。それが階段の段差のところ(蹴上げという)である。駅の出口や街中の雑居ビルで、行く先に何が待ち構えているのかと不安を持って見上げる我々に価値ある情報を提供してくれる。
階段という特殊な環境が生み出す独特のリズム感やカオスさを伴って見る我々を安堵させたり、かえって不安に貶めたり、様々な感情を巻き起こす。そんな魅惑の広告付き階段を集めてみた。
駅の階段は物を言う
多くの人が交錯する駅の階段では混乱を避けるために段差が「のぼり」「くだり」を分けて通るように言ってくる。
おかげでおびたたしい数の人が上り下りする際も激突などせずに、たまに悪人を追いかけるジャッキー・チェンが逆行していく程度で通行できるのだが、以前、足場の取材で訪れた東所沢駅の仕分け具合がすごかった。
大阪の地下鉄動物園駅では我々を脅かす犯罪行為への対策がかわいい動物達とかわりばんこに発信されていた。
ビルの階段がいい
商店街の雑居ビルで広告階段はぞんぶんに存在感を発揮している。ほの暗い階段の先に待ち構えているサムシングを明らかにするのは段差だ。段差ーインザダークだ。
リズミカルにテナントや商品名を繰り返す。インターネットのバナー広告だったらこんなにずらっと並んでいたらうっとおしくてロイヤリティ低下は必至だが階段はむしろもっと連なれ!とすら思う。
ここにフロア案内が加わるとまたいいヴァイヴスが生まれる。
そうかと思いきやツンデレみの強いやつもあった。デレは特にないか。
メニューが見えて便利
飲食店関係は推しのメニューと金額をがっつり打ち出してくる。
コミュ力勝負だ不動産
不動産関係ではメッセージがだいぶ情緒的になってくる。
不動産店というのはなかなか差別化が難しいので来訪者との接点である階段で親しみを演出し、おお、そんじゃカプチーノでも飲んだるかぐらいのマインドを抱かせる必要があるのだろう。
情緒合戦の激化は表現をさらに先鋭化させる。
もちろん他業種で情緒的なのもあるが不動産ほどくだけていない。
入り乱れてこそ雑居ビル
ざまざまなテナントが入り乱れて競演している階段こそ雑居ビルの醍醐味である。
手書きにスカスカの味わい
手書きで果敢にアピールしてくる階段も趣深い。
ばばーんと段差いっぱいに主張せず、余白をいかしたレイアウトが逆に存在感を際立たせているのもある。素朴だが力強い吸引力を放っている。
スカスカじゃんと言いながらも結局、凝視したり傍らまで確認しにいっているのだからまんまと術中に堕ちている事になる。
しかしスカスカをスカスカのまま良しとせず、徐々に版図の拡大を目論んでいるアクティブな階段広告も存在しており、偶然その様子を記録する事ができた。
1年おきにこの階段を記録していたのは本当に偶然で「お、なんかいい感じだねえ」と写真に収めて整理していたら同じ場所の写真が出てきたのだ。まったく記憶になかったがおそらく1年前も偶然通りかかった時に「お、なんかいいねえ」と思ったのだろう。
自分の成長しなさが喜ばしい限りだ。