そして庚申が信仰になる
つまり庚申は数の数え方の話なのだが、これが信仰と結びついていったという。庚申の日に集まって、庚申を祀る庚申講というものをする。本尊は猿田彦や青面金剛だ。
吉村:平安時代初期から、この日に徹夜をすると長生きするという道教由来の信仰がありました。

東京大学デジタルアーカイブポータル 東洋文化研究所図書室所蔵古典籍(国文研デジタル化分)
吉村:中世になると、日蓮宗などの僧侶が『庚申縁起』といった経典をつくるようになりました。月待、日待といった似たような行事があったこともあり、庚申信仰として庶民に広まっていきます。
いったん信仰になると、いろいろなルールができたという。
吉村:お肉を食べちゃいけないとか、男女が一緒に寝てはいけないとかですね。
会場:お酒を飲むのは本当はダメだけど、こっそり飲んでたと聞いたことがありますが、OKですか?
吉村:お酒がダメということはないはずですね。
会場:よかった。じゃあ今日もおおっぴらに飲んで大丈夫ですね。
吉村:庚申信仰は現在でも続いている地域があります。これは鶴見の掲示板で見た「庚申様の日」のお知らせです。
なんと!まだ続いているところがあるんですね。すると庚申待もやってたりするのかな。
Youtubeに「綱島の民俗⑨庚申講」という動画が上がっており、会場で再生してみんなで見た。
綱島では、庚申待を行う家を持ち回りで決めて、庚申の日には各家の代表者がそこに集まったという。
印象深い言葉をいくつか箇条書きで紹介する。
・庚申の日にできた子は大泥棒になると言われ、子どもを作らないように夜のあいだ男だけが集まった。
・御神酒、精進料理、餅などを備え、般若心経などを唱えてから雑談する
・かつては夜通し行ったが、最近では夜を明かすことはほとんどなくなった
庚申塔というものが建てられるようになる
庚申講の集まりが続くと、七庚申の年や、60年に一回ある庚申の年の集まりを記念して特別なイベントをやったり石塔(庚申塔)を立てることが流行した、とのこと。吉村さんが実際に聞いた事例について教えてくれた。
吉村:長野県の栄村、秋山郷っていうところなんですけど、そこでは庚申塔の下に酒を埋めて、60年後に取り出してみんなで飲むんだよって言ってました。本当に飲めるのかな?
会場:長野なら雪深いですから、ありうるかもですね(笑)
会場:(資料の写真を見て)これって鳩森八幡のですか?足袋が奉納されてるんですよね。
吉村:その通り、よくご存知で。千駄ヶ谷の将棋会館の近くの庚申塚ですね。
会場:庚申塔って、60年に一回とかの位置付けだったんですね。でも江戸っ子的に、60年待ってらんないとかで短くなって3年とかになったんですかね?(注:話の前提として、期間がだんだん短くなっていったらしいです)
吉村:ちょっとそこは・・。江戸っ子がまってらんないかはわかりません。ただ庚申として一番大きいイベントはやっぱり庚申の年(60年に一回)なので。さすがになにかイベントやりたいと思うんでしょうね。でも実際には七庚申(約12年に一回)とか、3年とか、宿(庚申講のイベントの会場になる家を宿と呼ぶそうです)が一周まわったとかでもやったんじゃないかと思います。まちまちでしょうね。

吉村:こんなふうにして日本中に流行って、全国に庚申塔が建てられていきます。これは板橋と練馬のもので、字が書いてあるものもあれば(右側:庚申塔と書いてある)、仏教では青面金剛(しょうめんこんごう)という神様になったりする。神道だと猿田彦。
会場1:猿田彦珈琲って庚申講と関係あるんですかね?
会場2:猿田彦珈琲は猿田彦神社にあやかってるらしいです。猿田彦と庚申の関係はたぶん申(さる)にちなんだものだと思います。
こんな感じで参加者どうしでやりとりがあるのも面白い。
吉村:これは小平のやつですね。神社の横に庚申塔というふうになっています。では楽しい庚申の夜を。
会場:すごい!(拍手)
というわけで吉村さんの庚申の話はいったん終わり。しかしすぐさまカジュアルな質疑応答が続くのだった。
会場:猿田彦は(申と猿の)シャレかなと思うんですが、青面金剛はどっから出てきたんですかね?
吉村:青面金剛は私も分からないですね・・。
会場:ああいう碑とかって、区画整理とかでごちゃっとまとめてあったりしますけど、もともとはいろんなところに置いてあったんですかね?
吉村:そういうケースも特に都内は多いでしょうね。村の中でも辻に立てたりとかはやってて、それが区画整理で寄せられたりとか。