東京と縁の深い甲府だけれど
東京から甲府へは2時間程度。
中央線や中央道、古くは甲州街道でつながっている。
江戸幕府の直轄領だったこともあり、東京とは縁の深い街だ。
駅前だけ見ると、セレオがあって、ヨドバシがあって、新宿さぼてんやヴィドフランスなど見知ったチェーンが入っていて…自分の住む西東京の街のひとつと言われても違和感がない。
そんな甲府だけど、太宰治が甲府を評した有名な言葉を聞いて、イメージが本当にガラッと一変したのだ。
言葉の力ってすごい。すごいな太宰治
1939年頃、太宰治は井伏鱒二(引きこもりのサンショウウオの話を書いた文豪)を頼って甲府に住んでいたことがあるらしい。
太宰治というと往年のロックスター的な破滅型イメージがあるけど、甲府時代はあの『走れメロス』を書くすこし前。
自殺未遂と薬物中毒からの再起をはかろうとして甲府で結婚。心機一転、家庭を守る決意でなんとか復活しようとしていた時代だ。
そんな甲府を舞台にした小説、『新樹の言葉』の中に、太宰治の有名な甲府評がある。
『よく人は、甲府を、「擂鉢(すりばち)の底」と評しているが、当たっていない。甲府は、もっとハイカラである。シルクハットをさかさまにして、その帽子の底に、小さい小さい旗を立てた、それが甲府だと思えば、間違いない。きれいに文化の、しみとおっているまちである。』
後世にいたるまで、街のイメージ形成に大きな影響を与え続ける言葉。
これを読んで、温泉で汗を流して濃ゆい鳥もつ煮食べよっかな~くらいに考えていた甲府のイメージが、パッと変わったのだ。
文化のしみとおった、ハイカラな甲府というものが、一気に立ち上がってきたのである。
ハイカラな街といえば、神戸や横浜なんかが有名だけど、甲府も負けていなかったそうだ。
明治10年に甲府を訪れたイギリス外交官のアーネスト・サトウが、当時の街並みを「この町の西洋建築を模倣した建築物の数は、町の規模からすれば私が知る限りで日本一だ」と評したこともあるらしい。
そんな甲府のハイカラ文化の名残を、探してみたい。
至るところにのこる、ハイカラな匂い…①駅徒歩5分のワイナリー、1917年創業のサドヤ
ということで、前置きが長くなってしまったが、甲府の伝統あるハイカラっぷりを食べ物で感じてみたい。
北口を出てすぐのところにある、大正時代に創業したサドヤワイナリー。
さきほど西東京っぽいと言ってた自分が恥ずかしくなる、ストレートにハイカラな空間だ。
甲府をハイカラにしたもののひとつが、ワイン産業。
日本のワインは甲府からはじまったそうで、明治10年には甲府城跡に「山梨県立葡萄酒醸造所」が完成し、明治11年のパリ万博で甲州ワインは名誉賞状を受賞したというほど。
地下にはワイナリーがあって見学もできるそうだ。
至るところにのこる、ハイカラな匂い…②1921年創業、丸十パンの「レモンパン」
こちらのお店も大正時代に創業。酵母をつかった山梨で最初のパン屋らしい。
今も同じ場所で、街のパン屋として営業しているのがすごい。朝早くから店内はいっぱいだった。
食べてみると、サクッとしたクッキー生地の中は、本当にシンプルな白いパン。
ほんのり甘く、ほんのりレモンの風味があるような…。
それこそ、太宰治の時代に、ちょうどよい甘さだったんだろうな、という素朴さだ。
食べるほどに、自分の味覚が洗われていくような、大げさにいえばそんなシンプルさだった。
至るところにのこる、ハイカラな匂い…③1929年創業、甲府にはじめてケーキと珈琲を紹介した早川ベーカリー
甲府駅の東側に甲府城があり、そのすぐ南側が明治時代にハイカラな街として名を馳せた桜町通りだ。
今もびっくりするほど老舗ばっかり。
早川ベーカリーは街のケーキ屋然としてここにあるのだけど、しっかり戦前創業である。
ケーキの値段は500円ほどで、やっぱり街のケーキ屋然としているのだけど、その上には皇室御用達の御菓子があったりする。
すごいぞ、甲府。
栗一粒を洋酒漬けしたアーモンド生地で包んだお菓子だ。上品かつジューシーで、シンプルなのに食べたことのないバランス。
ああ、こういう美味しさがあったんだと、嬉しくなる味。
今はやっていないみたいだけど、昔は2階がレストランになっていたみたいで、初めて入ったのになんだかすごく懐かしくなる店内でした。
至るところにのこる、ハイカラな匂い…④六曜館!徽典館!談露館!かっこいい名前たち
この喫茶店、レトロ好きの間では有名なお店なのだけど、日祝休みで観光客よりも地元の人向けなところがまた嬉しい(入れなかったけど)。
そして、甲府にはかっこよく古い漢字ネームのお店が多いのだ。
ちなみに、甲府をハイカラにしたもうひとつの産業が宝石産業。
江戸時代に水晶を加工がはじまり、明治時代にはジュエリーの一大生産地となったそう。