4年ぶりの来店で床屋の店主を驚かす
きっかけはコロナ禍だった。
今となっては記憶の彼方という感があるが、ステイホームが叫ばれ始めた頃、散髪もできれば控えてほしいという要請というか、空気というか、ともかくそんな感じの世間の流れに乗って、髪を伸ばし始めたのだった。
伸ばし始めた、というとさも能動的にことに及んだように聞こえるけれど、私にとっての散髪はもともと年に数回発生する、出費を伴う面倒なイベントだったため、大義名分を得てようようとサボり始めたといったほうが適切だ。髪は勝手に伸びるから、切るのをサボれば、それすなわち伸ばし始めたことになるのである。
4年ぶりに訪れた床屋では、店主の
「ああ!」
という驚きの叫び声とともに迎えられた。ちょっと床屋では聞くことのない声量である。
彼にしてみれば、とっくの昔に転居なり他店に鞍替えするなりして逃げられたと思っていた客が現れたわけで、驚くのも無理はない。しかも会わなかった期間分の髪をしっかり頭にぶら下げて!
髪の長さが肩甲骨を越えたあたりからずっと、次に切るときはヘアドネーションしようと考えていたから、ゴムで小分けに束ねてうなじのあたりで揃えて切ってもらった。小分けにしたとはいえ髪の束はかなり切り応えがあるらしく、ハサミを入れるたびにザリリリリッ!と豪快な音を立てた。
切った髪は、長いところで50cm以上あった。ヘアドネに必要な髪の長さは最低31cmだから、余裕で条件をクリアしていることになる。トレーに並べられた黒い素麺のようなそれを見ながら、ここまで伸びるのにかかった4年間のことを思って少ししんみりした。
切った毛でつけ髭を作りたい
切ったらすぐに送ってしまうつもりだったのだが、手もとに置いて眺めているうちに少し惜しくなった。育てるのに4年かかっているのだ。しかも、さっきまで我が身の一部だったのだ!そして今後はたぶんもっとこまめに切ることになるはずだ(散髪に踏み切ったのは長すぎる髪の鬱陶しさについに耐えかねてのことだった)。
せっかくだからこれでなにかしたい。そこで、我ながら唐突すぎて恐縮なのだが、つけ髭を作ることを思いついた。これなら大した量は使わないから、ヘアドネにまわす分が大きく減ってしまうこともないだろう。
髭の形にもいろいろある。無精髭に毛の生えた、ならぬ無精髭がちょっと伸びたようなのから、「あなたのまわりには重力がないの?」と聞きたくなるようなのまで。
どういうのが自分に似合うのかはわからないけれど、今回はカイゼル髭(左上の絵)を作ってみよう。
毛束というものは思った以上に扱いが難しい。すぐにばらけるし、いろいろなところにまとわりつくし、手に付着した接着剤に絡まるとなかなか取れないのだ。
毛を扱う人で有名なのといえば芥川龍之介の『羅生門』に出てくる毛抜き婆だが、薄暗い場所で毛を抜いて束ねて......みたいな作業をするのはそうとうストレスフルだったに違いない。婆も生きるのに必死だったのだ。
毛は一応接着されているが、このままでは少し動かすたびに枯れ木から木の葉が落ちるようにぼろぼろと脱落してしまう。髭の形も不格好だ。
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