出迎えてくれる猫がかわいい
出先から帰ると飼い猫が玄関先で待ってくれていることがある。
いつから待っているのかは分からないが、わたしの姿を見つけると一所懸命にニャーニャーと鳴くのだ。
ただ、可愛いなと思ってドアを開けるやいなや、脱走して玄関先に生えている雑草にむしゃぶりつくことがある。出迎えじゃなくて草が目的なのかもしれない。
そうかと思えば、草には目もくれずに甘えてくるときもある。可愛いものだ。
本気を出せば簡単に家から逃げ出せるのに、玄関にとどまってくれているのは猫なりの忠誠の証だろう。言葉でのやり取りこそできないが、そういったことで繋がりを確認できるのだ。
繋がりを強固にするため、猫と同じように玄関に立ってみることにした。
玄関で飼い主を待つペットの気持ちを分かろう
飼い猫と同じように玄関口に立つ。
その目的はふたつある。飼い主を待つ猫の気持ちを知ることと、人間が飼い主を待つ姿は可愛いのかどうかの確認だ。
あとから写真を見て、ペットだ!と思った。
人間が玄関先で飼い主を待つと檻に入れられたペットに見えることが分かった。でも可愛くはない。試合に勝って勝負に負けた形である。
ところで、網戸の向こう側のペットはどんな風景を見ているか。
そこから見えるのはなんてことのない景色だったが、自由に出られないと思うと外界への憧れが湧いてきた。家の中がいつもより窮屈に感じる。飼い猫の気持ちが少し分かった気がする。
しかも、わたしに飼い主はいないのだ。いったい誰を待てばいいのだろう。掲示板で募集しようかな。
求:人間の上位存在
出:当方、飼われることもやぶさかではございません
よし、満足した。
やりたいことは終わったが、どこにも着地できなかったので次の一手を考えよう。
車から顔を出す犬もかわいい
停まっている車の窓から顔を出す犬がいるだろう。ほら、窓枠にあごを乗せたりして。ついでにアレもやっておこうじゃないか。
ドアフレームに頭の体重を預けるのが気持ちよさそうで、かねてより犬が羨ましかったのだ。
写真をずっと見ていると自分が犬に見えてきた。
少なくとも人間ではないだろう。こんな姿勢で首を窓の外に出す人間はいないから。
運転もできないのに運転席に座っている犬は、かわいい。
それはそれとして、この姿勢は首が痛い。
あご乗せは楽な姿勢とばかり思っていたが、首とアゴがすこぶる痛い。無理な姿勢でしんどいのと窓枠がゴツゴツしているのとで、人間がやってもぜんぜん気持ちよくないのだ。
もしかしたら、人間と犬はちがう生き物なのかもしれない。
徹底検証!人間のあご乗せは本当に痛いのか
しかし、人間がやる「あご乗せ」は本当に痛いのだろうか。
たまたま試した車のドアフレームが特別に痛かっただけかもしれない。ほかの場所でも検証しておく必要があるだろう。
わたしのライターとしての矜持が半端なことをゆるさないのだ。
アスファルトにあごを置くと痛い。
擬木の柵もあごを置くと痛い。犬の糞とかも気になる。
思うに、外にあるものはアゴを置くようにできていないのだ。
そういうわけで家の中のテーブルで試してみたが、やっぱり痛かった。なんだか屈辱的ですらある。
結論、人間があご乗せをすると痛い。

