「カメさんキャンプ」の思い出
子供時代の、ぼんやりとしていながらも、とても楽しい思い出がある。それが「カメさんキャンプ」だ。
あれはたぶん、僕が小学校3年くらいのころから2、3年連続してだったと思うんだけど、カメさんキャンプと呼ばれるキャンプ体験に参加した。
埼玉県日高市にある「高麗(こま)」という自然豊かな町が舞台で、高麗駅は、僕の家のあった大泉学園駅と同じ、西武池袋線の沿線にある。埼玉、秩父方面へ下ること1時間ほどの距離だ。
その高麗駅から、はっきりとは覚えていないけれど、子供の足で歩けるくらいの距離に「カメさん」というおじさん、いやお兄さんか? 当時、僕らと同じくらいの兄弟の子供がいたから、3〜40代くらいだったのだろう。とにかくその、カメさん一家が暮らしていた。
カメさんの名前の由来は覚えてないけど、亀田さんとか、亀山さんみたいな、苗字からついたあだ名ではないかと想像される。
その同じ敷地に、ひとつだったかふたつだったか、小さなロッジが建っていて、そこに子供たちだけで1、2泊するのがカメさんキャンプの内容だ。僕は、クラスメイト数名と参加した。どういう経緯だったかはわからないんだけど、きっと誰かの親が、沿線でそういうことをやっている施設があると知り、誘いあったのではないかと思う。
見つからなくてもいいから
今、カメさんキャンプのことをネットでいくら検索しても、なにも情報は見つからない。僕の年齢から考え、行ったのが30年以上も昔であることは間違いないから、とっくにやめてしまったか、それとも名前を変えて続いているのか、なにひとつわからない。
そもそもカメさんは無事でいるのか? あの家に今も住んでいるのか? どうしても突き止めたい! ……というわけでもないんだけど、記憶を頼りに高麗の町を散策しながら、その幻影を追い求めてみたいと思ったわけだ。
過度な期待はしていない。けれども、駅から歩いた道や、遊んだ川の風景は、おぼろげながら覚えている。それを頼りに、あのころと同じ夏の日に、高麗の町を気ままに散策してみるのもいいじゃないか。
これは、そんな1日の記録。
高麗駅に到着
よく晴れた夏のある日、僕は、西武池袋線に乗りこんだ。埼玉県に入ってしばらくすると、車窓から見える山々がどんどん近づいてくる。
飯能駅で一度乗り換えがある。ここで車両が対面式座席のものになり、さらに旅情が増す。
子供時代にははるか遠く感じた高麗駅だったが、約1時間ほど電車に揺られているだけで、あっさり到着。
再開発でまるっきり風景が変わってしまっているというようなこともなく、むしろ、見える範囲すみずみまで、昔のままに思える。この景色、見たなー! と、記憶がぐんぐん蘇ってくるきっかけをもらえるような。
この塔がなんであるかなど子供時代の僕は考えず、来るたびに「なんか不気味だな……」と思っているだけだった。が、駅にはもちろんその由来が書かれた看板もあり、どうやら高麗は、かつて朝鮮半島にあった「高句麗(こうくり)」という国と縁が深いのだそう。
今回の本題とはずれるので詳細は省くが、地名の由来などを知ることができて良かった。
駅前の広場にはまた、どうやら閉店してしまったみやげ屋、兼休憩処もあった。
営業していれば、軽いつまみで一杯やれたりする店かな? と興味津々の店だが、子供時代の僕がそんなことを考えるはずもなく、一切記憶にはない。
記憶を頼りに徘徊開始
カメさんキャンプの思い出の話に戻ろう。
カメさんはいろいろな遊びを僕らに教えてくれた。
・川遊びをしたこと。その舞台は2カ所で、水流を調整するコンクリ設備(?)が天然のプールのようになっている場所と、もっと自然豊かで、岩の上からジャンプして飛びこむ遊びができる場所。ちなみに僕は、びびって飛びこめなかった気がする。
・ドラム缶風呂に入ったこと。
・夕食に自分たちでカレーを作ったこと。
・ロッジが秘密基地のようで楽しく、僕はその2階で寝たこと。
・カメさんの息子さんで、僕らと年齢の近い坊主頭の兄弟ふたりとも一緒になって遊んだこと。
それからもうひとつ、強烈に覚えていることがある。
・当時、犬たちが主役のTVアニメ「銀牙 流れ星銀」というのがゴールデンタイムに放送中で、僕らはみんなそれが好きだった。そこで、キャンプ中ではあるけれど、その放送の時間中だけ、特別に母屋に入れてもらい、それをみんなで見たこと。
さっきの休憩処と同様、良さげな飲食店の存在なども、子供の僕の視界には入っていなかった。今日の昼はここで食べてみようか? それとも他にも良さそうな店はあるかな? と、大人ならではのわくわく感が加わった街歩きが楽しい。
ここまでの空気を味わえただけでもう、今日、高麗へやって来たかいがあると思いはじめている。今年も、夏らしい思い出なんてほとんどなかったもんな……。
自然豊かな巾着田周辺を散策
そんなふうにしばらく歩くこと15分ほど。強烈に記憶にある風景と出会った。
この本屋、ものすごく覚えてる! 確かこのあたりからそろそろ、川ゾーンに突入していくんだった気がする。と思って、
先述の「水流を調整するコンクリ設備(?)が天然のプールのようになっている場所」は、間違いなくここだ! コンクリで囲われて複雑に入り組んだ水流がまるでプールみたいで、ものすごく楽しかったんだよな。
そして、取材日はまだ夏休み中だったから、楽しそうに遊ぶ親子連れで大にぎわいだ。その雰囲気が当時と変わっていなことが、なんだか嬉しい。
確か当時は、この川をじゃぶじゃぶ渡ってキャンプ地に帰っていったような記憶がある。が、さすがに服のままでは無理そうなので、素直に橋を渡って、さらに進んでみる。
すると、秋に咲く曼珠沙華の群生が名物の「巾着田」に到着。
その名のとおり、川が湾曲して作られたきんちゃくのような地形になっている一帯。それゆえにバリエーション豊かな風景が広がっていて、反面、記憶をたどりづらくもある。
まぁ、とりあえず進んでみるしかない。
この「オルゴン堂」という店、もう営業してないようだけど、何屋だったんだろうか? と思ったら、壁にうっすら「天然酵母パン」という文字の痕跡が見える。パン屋かぁ。やってたら買って、おやつにしたかったな。
民族資料館もあった。
「まるさんかくコーヒー」へ
実は、高麗にひとつだけ、存在を知っていた店がある。それは「まるさんかくコーヒー」というカフェ。
なぜ知っていたかというと、お店を営むご夫婦が、ありがたくも僕の活動を応援してくださっているそうで、以前わざわざ、イベントに遊びに来てもらったこともあったから。ただ、僕はまだ行ったことがなかったので、高麗に行くならぜひ寄ってみたいと、唯一思っていた店なのだ。
で、見てもらいたいのがこちらのツイート。
出発直前に偶然見た、店主さんが投稿したこの写真。まさに、僕が子供時代に遊んだ「岩の上からジャンプして飛びこむ遊びができる場所」な気がする! 続いて、さっきの資料館の2階の窓から見下ろした風景がこちら。
たぶんだけど、思い出の場所にだいぶ近づいているっぽい!
とはいえ、まるさんかくコーヒーは今いる場所からかなり近いらしい。川へ向かう前に、一度寄ってみることにしよう。
急展開!?
まずはひと休みさせてもらおうとアイスコーヒーを注文し、初めてきちんとご挨拶ができたおふたりと世間話をさせてもらう。おふたりの優しい人がらのおかげで、ものすごく楽しい時間だ。
まるさんかくコーヒーがオープンしたのは2016年。おふたりは、その数年前に高麗が気に入って移住してきたそうで、もしも高麗のご出身ならば、カメさんキャンプのことを知っている可能性もあるかな? と思っていたけど、それはなさそうだ。
で、その後もしばらくは何気ない話をさせてもらっていたんだけど、かおりんさんの「そういえば、今日は高麗までなにをしに来られたんですか?」という質問で流れが変わる。
「ええと、散歩というか、デイリーポータルZというサイトの取材というか、昔このあたりでやっていたはずのカメさんキャンプというのに参加したことがあって……その面影を探すだけというか……」 「カメさんキャンプ……カメさん……あれ? それって池亀さんのことじゃないですか!?」
その瞬間、鳥肌がたった。
「池亀さんという名字、聞いた記憶があります! それ、カメさんですよ! ご存知なんですか?」
そうだった。亀田さんとか亀山さんとか、頭に亀がつく苗字ばかりを想像してしまって思い出せないでいたけど、カメさんの本名は「池亀」さんだった。響きを聞いて思い出した。
なんでもカメさんは、今でも高麗在住で元気にしており、主に農業を営みつつ、コロナ前は、イベント出店やこども食堂などの活動もされていたんだとか。おふたりが高麗に移住してきてしばらくし、お子さんが通っていた保育園の子供たちのために、カメさんが所有していた空いている建物を無償で提供していたことをきっかけに知り合い、以来、いろいろな面でとてもお世話になっているのだそう。
「今はもうキャンプはやめてしまったけど、昔そういうことをしていたと聞いたことがあります。私もめっちゃ鳥肌がたちました!」と笑いながら、かおりんさんが教えてくれた。
うお〜、カメさん! 元気にしてたんですね! しかも相変わらずのいい人っぷりで! なんだかもう、そのことが知れただけで泣いてしまいそう……。それにしても、まさか1日でこんなドンピシャな情報にたどり着けるとは……。
まさかまさかの……
話はまだ続く。なんとこの日のまるさんかくコーヒーのランチメニューのひとつ「ガパオライス」に、偶然にもカメさんが育てているのを分けてもらった「バジル」が使われているのだそう。
え? じゃあそれを注文すれば、カメさんが作ったバジルが食べられる!? そんなのもう、今日のお昼はガパオ一択でしょう!
基本的に地物野菜を使って作るという料理たち。一見普通のサラダのようだけど、ひとつひとつていねいに味つけがされた野菜のお惣菜のプレートも、濃厚な味わいかつ野菜の旨味が力強いガパオライスも、めっちゃくちゃうまい!
そして驚いたのが、カメさんのバジル! 以前に自宅で育てたこともあるし、生のものをスーパーで買うこともあるけれど、そういう、僕が今まで食べてきたバジルの何倍も、何十倍も香りが濃いのだ。まさに、あのパワフルだったカメさんの笑顔が思い浮かぶような……。
と、ランチを堪能していると、「私、ちょっとカメさんの家に電話してみますね!」と、かおりんさん。
「いやいや、恐縮すぎるし、まさかこんな展開になると思ってなかったし、今日は大丈夫ですよ」と言わせてもらうヒマもなく、スマホを手にとり、およそ15分後、まさかまさかの……
そ、そうだった! カメさんと兄弟の印象が強かったけど、カメさんのお宅には優しいお母さんもいたじゃないか! 顔をはっきりと覚えていたわけではないけれど、まさにこんな雰囲気の。というか、この人がそうなんだけど!
もちろん、僕はたくさんいる子供たちのなかのひとりで、しかも風貌もすっかり変わってしまっている。奥様的に「あの時の!」とはならないけれど、当時の子供たちの元気な姿はよく覚えていらっしゃるそう。
というわけで、
判明するカメさんキャンプの全容!
この日、カメさんは早朝からの畑仕事で疲れ果て、今はお昼寝中ということで残念ながらお会いできなかった。けれども、僕のような者が突然来ていると知り、奥様の利恵子さんがわざわざかけつけてくださった。なんとありがたいことだろう……。
そこからはもう、当たり前だけど、カメさんキャンプにまつわるあれこれが判明しまくる。以下、あわてて聞けた範囲で。
・カメさんの本名は、池亀良一さん。
・カメさんキャンプは、それまで中学、高校の教師をしていたカメさんが、子供たちに自然のなかで遊ぶ楽しみを体験させてあげたいという想いから仕事をやめ、「自由学舎」という活動を始めて、その一環で1984年に始めた。その場所で3年間やった後、同じ高麗の、車で15分ほどの場所(現在のご自宅)に引っ越し、そこでさらに3年間、合計6年間開催された。
・当時住んでいた家(つまり僕がカメさんキャンプに行った場所)は、まるさんかくコーヒーからすぐの場所で、1983年から住みはじめた。
・その建物はまだ残っており、なんとさっきの「オルゴン堂」という店がそれ! カメさん一家が引っ越したあと、若い方が借りて店舗として使い、その後閉店して現在にいたる。
・ひと夏に体験に訪れるグループはそんなに多くなく、僕と同様「ある小学校のクラスメイトたち」という単位が、数組だった。
・カメさんの次男が僕と同い年で、その子が小学校1年の時が、開催1年目だった。そして、僕の通っていた「練馬区立大泉小学校」のグループは、その初回から3回通ったので、つまり僕は、小学校1〜3年まで通っていたらしい。
・ではなぜ大泉小のグループが通ったかというと、僕の小学校1、2年時代の担任の黒田先生とカメさんが知り合いで、そのつながりからだとか。
わー! 黒田先生! 僕の人生初の小学校の担任の先生の名前がこんなところで! とても優しい女性の先生で、その後八丈島に移り住み、しばらく年賀状のやりとりだけは続いたんだけど、比較的若くして亡くなってしまったんだよな。黒田先生のことを思い出したの、何年ぶりだろう……。
・夕食は、初日がカレー、2日目がバーベキューだった。そして、最終日の昼には流しそうめんが行われ、おやつに飢えた子供たちは、一緒に流す缶詰のみかんに大興奮していた。
わはは。いかにも昭和の子供だなぁ……。
・ドラム缶風呂に入るのは川遊びのあとで、夜は母屋の五右衛門風呂に交代で入った。
ご、ご、ご、五右衛門風呂! そういえば入った記憶があるぞ! 底に板が敷いてあって、まわりが鉄製で。急に映像が浮かんできた!
・大泉小の子供たちは、大泉学園駅までは親に連れられ、そこからは子供たちだけで電車に乗り、高麗駅で待っているカメさん一家と一緒にキャンプ場まで移動した。
なるほど、どうやって子供たちだけで遠出をしていたんだっけ? と疑問だったけど、その謎が解けた。
・大泉小の子供たちは、流しそうめんが終わって解散となり、高麗駅に向かう帰り道、「駅に着いたらマクドナルドに寄るんだ〜!」と嬉しそうに語っており、利恵子さんは「けっきょくそういうものが好きなのね〜」と笑っていたそうだ。
あああー! そうそう! 当時って、誕生日会とか、なにかのイベントのあととか、特別なことがあるとたいていマックだった。親に引率されて、昔のマックにはよくあった、ちょっとしたパーティーができる個室で。そこで食べる普通のハンバーガーの美味しさといったらなかった。
そのあともご家族の近況など、嬉しいお話をたくさん聞かせてもらった。
思い出の河原へ
さて、僕ももはや胸いっぱいだ。そろそろ帰ることにしよう。ただしもちろん、今も残っているというカメさんの旧居と、あの河原をこの目で見てから。
するとなんと、「どちらも歩いてすぐですから!」と、モウさんが案内してくださることになった。
つまり、僕が「流れ星銀」を見たり、五右衛門風呂に入ったあの家!
階段を降りると、
こんなに近かったんだな〜。あらためて、いい場所にあったんだな、カメさんキャンプ。
そしてそして、
写真には写っていないけど、今もこの左にある岩から川へとダイブして遊ぶ子供たちがたくさんいた。しかし大人になった今見ても、ちょっと自分には無理かも……。
ありがとう、高麗!
と、すっかり解像度の上がった思い出のなかの高麗を堪能し、モウさんにご挨拶して帰路へ。
これは行きの時と逆側の風景なんだけど、今はっきりと思い出した。楽しかったキャンプが終わってしまった切なさと、マクドナルドへの期待が入り混じった気持ちで、電車が来るまでこの風景を、ぼーっと見つめていたことを……。
なんだか無性にセンチメンタルになってしまうな……。と、思いきや、突然モードが変わります!
そう、うっかりしたことに、今日はまだ酒を飲んでいないじゃないか! と思っていたら、飯能の駅で特急券を買えば、2019年にデビューしてまだ乗ったことのなかった「特急ラビュー」に乗れるらしい。といっても、所沢までのほんの30分ほどなんだけど……
あぁ、あらためて、いい1日だったな。ありがとう、今日会ったみなさん。また来ます!
ちなみにこの日、重ね重ねありがたいことに、まるさんかくコーヒーのおふたりのご好意で、なんとカメさんが作ったバジルのおすそ分けまでいただいてしまった。そこで翌日の昼、
そこにトマトソースを加えてパスタと絡め、
バジルたっぷりのトマトソースパスタを作って食べたんだけど、やっぱりすごいな! バジルの香り!
今回は残念ながらカメさんにお会いすることはできなかったけど、奇跡のような出会いがあり、本当に、お会いしたみなさんに対する感謝の気持ちでいっぱいだ。
聞けばカメさんはお酒も大好きだそう。カメさん、また高麗へ行くので、よかったらいつか乾杯させてください〜!