東京は広いし面白い
2回にわたって今の東京を歩いた。正直まだまだ行きたいところや行ったけど紙面の関係で書かなかったものがいくつもある。
改めて観光すると東京ってほんとに広いし面白いですよね。
次のおすすめスポットは直接紹介してもらうことになっていた。
待ち合わせまで1時間くらい余裕があったので、国分寺駅の近くにある殿ヶ谷戸庭園に寄ってみた。
遠くの方で雷の音がしているけれど、セミが大合唱しているし空も明るいのでまだ大丈夫だろう。
入場料の150円を払って庭園に入るとマスク越しにもわかるくらい土と水の匂いがする。僕の他には外国人のお客さんが2名いるだけだった。
ぐるりと歩いて高台にある東屋に着くと、蚊取り線香が置かれていて休憩する人たちがそれぞれの時間を過ごしていた。僕も座って本を取り出す。
入園料150円である。カフェに行って期間限定のフラペチーノをSNSにポストするのもいい、でも手入れのされた庭で本を読むのも正解のひとつだと思う。その後の一日の雰囲気ががらりと変わる。
蚊取り線香の香りと一緒に気持ちよく待ち合わせ場所に向かう。指定されたのは銭湯「小平浴場」。
東京の銭湯が好きで足しげく通っているという友人に、今一番行っておくべき銭湯はどこか聞いたところここを教えられたのだ。
うっそうとした玉川上水の脇を歩いて住宅街に入ると、遠くにぽつんと煙突が見えてくる。
近くまで来るとかすかにお風呂エコーのかかった話声が聞こえてきた。その横を学校帰りの子どもたちが駆けていく。
ちょっと言葉を選びたいのだけれど、ずいぶんと気合の入った建物である。
ここ「小平浴場」を勧めてくれたのは東京の銭湯に詳しい写真家の森さん。
都内の銭湯事情に詳しい森さんをして「説明が難しいけどなにしろすごいから行った方がいい」と言わしめる小平浴場だが、来てみると言いたいことがよくわかった。
正直いって古い。だけど中に入ると、この銭湯が愛着を持って持続されている感じが伝わってくるのだ。
脱衣所から先はカメラの持ち込み禁止の張り紙がしてあったので、ここから先はぜひ行ってもらって体験してもらいたい。
浴場の壁には巨大な富士山の絵が描かれていた。青空、白い富士山、松。これ以上に日本らしい風景があるだろうか。
ぴかぴかに磨かれたプラスチックの椅子に座ってケロリン桶で体を洗い、ちょっと深めの浴槽につま先から入って膝立ちで浸かる。熱い!見上げると富士山。
同じく富士山の絵を見上げながら銭湯好きの森さんが言う。「これは中島さんの絵だな。このあたりは丸山さんかと思っていたんだけど」。
銭湯の壁に富士山を描く職人さんは都内に2人いるという。それが中島さんと丸山さんである。富士山の形からしてこの絵は中島さんが描いたものに見えるんだけど、国分寺という場所柄丸山さんでもよかったのでは、と。理由は僕にはわからない、きっと互いの領域みたいなものがあるのだろう。
冷たい水でさっと汗を流して体を拭き、脱衣所に置かれたビニール革張りの椅子に座る。汗がひかないけどさらっとしているので気にならない。番台のおかあさんは「そろそろ髪を染めなきゃねー」なんて向こう岸の女風呂の友だちと大きな声で話していた。
「あの壁の富士山は中島さんですか、丸山さんですか」
森さんが番台のおかあさんに聞く。
「あれは中島さん。テレビが来て撮影したときにね、目地からなにからぜんぶきれいにしてくれたの」
森さんの推測どおり中島さんだった。
小平浴場を経営するご夫妻はあの富士山の描かれた壁の裏に住んでいるのだという。
「建物がとにかく特徴的ですよね。よく見ると屋根がアーチになっていたりして。」
「もう70年以上やってるからね、古くて廃業寸前ですよ。建物は宮大工が入って建ててくれたからいいもの使ってるんだって、テレビとかで取材されるとよく言われるんだけど、ほらもう古いからさ、今は取材なんかはみんな断っちゃってるの。」
おかあさんの美意識がこの銭湯をうまく維持しているのだ。
「でも水はいいでしょう。それだけは自慢」
そう!さっきも思ったが、水が冷たくて気持ちいいのだ。なんでだろう、何が違うんだ。
「地下水を引いてるから。毎年水質調査しても、ここの水はいいですねーなんて言われるのよ」
なるほどそれで。それから小平浴場はガスではなくて昔ながらの薪をくべるタイプのお湯なのだという。おとうさんがトラックで集めてきた廃材を解体して、毎日燃やしているのだ。それは聞くだけで汗が出る。
来られる範囲に住んでいる人は一度小平浴場の気持ちいいお湯に浸かってみてほしい。そして話好きのおかあさんが番台に座っていたらいろんな話を聞いてほしい。ほんと来てよかったと思うから。
銭湯好きの森さんいわく、この近くにもう一軒「孫の湯」というこれまた最高の銭湯があったのだという。
過去形なのは残念ながら閉店してしまったから。でもなにしろ建物が素晴らしかったらしく、せっかくだから跡地だけでも見に行こうということになった。
僕は学生の頃に風呂のないアパートに住んでいたので毎日銭湯に通っていた。いま嘘をついた、お金がなかったので2日に1度くらい通っていた。帰り道、ずっと汗がひかない感じを思い出しながら歩く。
「あれ?」
森さんの足が止まった。
森さんいわく、孫の湯はつい最近まで営業していたらしいのだが、それが今や跡形もなく、でかいマンションが建とうとしていた。破壊と再生。
森さんが目に見えるほど落ち込んでいると、犬の散歩で通りかかったご近所の方が声をかけてくれた。
「孫の湯に来たの?ここだよ、もう壊しちゃったけど」
「親父さんが早くになくなってね、奥さんだけでがんばって続けてたんですよ、85歳くらいまで。三丁目の夕日って映画あったでしょう、あれの撮影にも使われたりしてたんだけどさ、あそこ商売っ気がないから、それを宣伝に使ったりしなかったんだ。」
近所の人がこんなに惜しむ孫の湯である、ぜひ僕も営業中に行っておきたかった。
森さんがあまりにも落ち込んでいたので帰りに中華料理を食べて帰った。
森さん「変わっていくねえ。原宿駅なんかも見た?あれ壊して新しく同じの建て直すらしくて、それって意味あんの?って思うよね。」
森さん、それは僕も思っていました。
僕は中学校の修学旅行が東京で、グループにわかれて原宿の竹下通りを歩いたのを覚えている。路上のお店で東京とも竹下通りともまったく関係のないバドワイザーのTシャツを買った。あの時も僕たちは、たぶんこの旧駅舎から出てきたはずなのだ。
それがこれから取り壊される。孫の湯がなくなったことを悲しんでいた森さんの気持ちがちょっとわかる。
東京には古くからの建物がまだまだたくさん残っていて、こんなに発展した中でもそれが維持されているのは本当にすごいことだと思う。
でもそれがいつなくなるのかはわからない。秋葉原駅近くの遺構とか銭湯とか原宿駅とか、見たいものは今見ておくべきなのだ。
今しか見られない景色って、言ってしまえばどこの地元のいつだってそうなんだけれど、いつまででもそこにあると油断していると、思いもよらないタイミングで見られなくなっちゃうこともあるのだ。
そう考えるとやりたいことがたくさんあるぞ。
2回にわたって今の東京を歩いた。正直まだまだ行きたいところや行ったけど紙面の関係で書かなかったものがいくつもある。
改めて観光すると東京ってほんとに広いし面白いですよね。
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