秋葉原の遺構
次もまた高架下なんだけれど、今度はちょっと趣が違う。
それは秋葉原駅の近くにある。
中央線の神田と御茶ノ水との間には、かつて「万世橋駅」という駅があったという。東京駅を設計したのと同じ人物(辰野金吾という人)が設計した万世橋駅は、当時はかなり立派なレンガ造りの建物だったらしい。
万世橋駅が開業して2年後に東京駅が開業し、それまで万世橋駅が始点だった中央線が東京駅まで伸びた。その後、万世橋駅は関東大震災で被災して燃えてしまう。
くわしく調べるとこのあたりの話はいくらでも出てくるのだけれど、現地に行って実際に万世橋駅の遺構を目の当たりにすると、そういう歴史が今のこの世界にちゃんと根を張って続いていることが感じられて面白い。
かつて万世橋駅のあったあたりの高架下は、いまではおしゃれショップの並ぶ空間となっている。
古いものはそのままの形で残していくべき、という人もいるだろう。しかし古いものを古いまま放置するのはいささか愛に欠ける。古さを良さとしてアピールするのであれば、愛をもってメンテナンスする必要があるのだ。
いま愛とか言ってしまいちょっと後悔しているけれど、つまりこういう使い方はいいよね、ということである。
昌平橋駅の遺構
万世橋駅の遺構からあと数百メートル御茶ノ水の方へ歩くと、今度は「昌平橋駅」の遺構がある。
新しくできた万世橋駅にその機能をゆずり、役目を終えた昌平橋駅は関東大震災でも戦争でも焼失することがなかった。
おかげで100年以上前の雰囲気をところどころに残している。今は飲み屋とかレストランなんかが入っているけれど。
秋葉原駅の高架下
ところで僕を含め多くの人にとって、秋葉原の高架下といえば迷路のような電子部品売り場がひしめき合う街ではなかったか。
もちろん今でも電子部品を販売する路地は存在するが、最近はずいぶんあか抜けたお店が建ち並ぶようになった。先にも書いたが、秋葉原はかつてのような「おたくの街」ではなく、今はずっとおしゃれに流行の発信地になっているのだ。
秋葉原駅周辺のように、いま東京の高架下は次々とおしゃれに生まれ変わっている。
新橋の高架下
東京の高架下と言われてまず思いつくのが新橋の飲み屋街ではないか。あの雰囲気のいい高架下は昨今の飲み会自粛の流れの中でどうなっているのだろう。
全体に落ち込んだ雰囲気の中、高架下は率先して賑わいを取り戻そうとしていた。
僕だってお店を始めるなら高層ビルの最上階よりも高架下を選びたい。天井がアーチになっていて上を電車が走ってるってだけでわくわくするだろう。これぞ東京ならではの景色といえる。
新橋駅高架下の飲み屋街も元気に営業中だった。ただ、前みたいに千鳥足のおっさんが肩を組み合って歩いている、みたいな会社員たちの楽園的雰囲気はない。
いちど遠のいた客足がふたたび帰ってくるのはなかなか時間がかかるのだろう。それに気づいて、みんなが頑張っていい方向に戻しつつあるようにも見えた。
次は都内の銭湯へ。ちょっとすごい銭湯が登場します。