牛にひかれなくても善光寺
うずまきパンを食べながら善光寺へと向かった。
善光寺は何年か前にも来たことがあったのだけれど、あの時は混む前にと思い早朝にジョギングついでにさっと見ただけだったのだ。
善光寺は間違いなく長野で最もメジャーな観光地の一つだろう。でもやっぱり今は人がほとんどいなかった。
逆にいえばこんなに人のいない善光寺に参拝できるのも今しかないだろう。いろいろ背景を考えるとそうも言っていられないとは思うけれど、今日のところはラッキーということにしてゆっくりと参拝させてもらった。
観光客がいないとたいへんなのはお土産屋さんである。微力ながら目につくところ一軒一軒に立ち寄ってお土産を買って帰った。
みんな明るいが、たいへんなのは外の状況からもわかる。
東山魁夷館
僕は普段も旅先に美術館があるとできるだけ行くようにしているんだけど、たいていは混み合っていて目当ての作品の前では立ち止まることもできなかったりするのだ。
東山魁夷といえば日本画の巨匠だろう。もし空いているのならばそれはぜひ見ておきたい。
館内は撮影禁止なので、こればっかりは行ってもらうしかないのだけれど、本当にすばらしかった。展示作品の内容も数も圧倒的である。そしてやっぱり人が少ないのでじっくり見てまわれる。
美術書なんかで見たことのある絵はもちろんのこと、僕が一番よかったなと思ったのは、館内の最初に展示されていた東山魁夷本人の自画像である。これは15才の時に親に初めて買ってもらった絵具で描いたものらしい。それが衝撃の上手さと立体感なのだ。
東山魁夷は絵具を塗り重ねることでいずれは消えてしまう鉛筆の線を、とにかく綿密に描いていたという。その「塗り隠れてしまう線」が実はあとから効いてくるのだとか。これなにかの教訓みたいだなと思ったけど、うまい例えが思いつかなかったのでそのまま書いた。
感動してまぶしい外に出ると、車通りの少なくなった坂道では若者がトレーニングをしていた。
明治亭のソースかつ丼
次は城山公園の駐車場で会った現場仕事中のおじさんに教えてもらった情報である。長野駅の駅ビルにある明治亭のソースかつ丼。
おすすめされたソースかつ丼の第一印象は「すごいの来たな」だった。
これ、ふたいらないだろうと思ったのだけれど、「ふたは取り皿としてお使いください」とのことだった。
これが食べ始めるとなるほどなのだ。
キャベツの層をしばらく掘らないとご飯が出てこないので、ふたを取り皿に、というのは理にかなっている。これがないとカツと一緒にご飯を食べるのなんて夢のまた夢だ。
ソースかつ丼はかつがサクサクで見た目よりずっとあっさりしている。その下に山のように盛られたキャベツも頼もしい。
しばらく食べ進めると味のないキャベツの層が現れる。なるほど、ここで後付けのソースを使えということだな。
明治亭のソースかつ丼は福井のソースかつ丼よりもソースが甘くて、カラシを付けて食べるとちょうどご飯に合う。それもパーフェクトに合う。
長野と言えば川中島
最後の一つは誰におすすめされたわけではないんだけれど、子どもの頃に見ていた大河ドラマ「武田信玄」の影響もあり、僕にとって長野といえば川中島の戦いなのだ。
ドラマは主に親が見ていて、その時間帯に別の番組が見たかった僕は当時あまり納得していなかったような気がするのだけれど、それでも見始めたら徐々に面白くなっていったのを覚えている。
そういう意味で、ここは僕の親のおすすめの場所といえるだろう。
いろんなところに「地元」を作ろう
今回の旅、町に本当に人が少なかった。
新型肺炎の影響で海外からの観光客が少なくなったとこで「今なら京都が空いている」なんて話を聞いていたのだけれど、きっとこれ、どこの地方都市も同じような状態なんだろう。
日常が戻ってきたらぜひふらっと旅に出てみてもらいたい。そこにはまったく知らない景色があるし、目的もなく歩くだけで気分がガラッと変わることがある。
そしてできるだけ現地で地元の人たちと話してみてほしい。仲良くなるとそこが自分の地元みたいに思えてくるのだ。
いろんなところに地元があると楽しいですよ。