石がくっつけられるならくっつけた方がいいんじゃないか
工作に親しまないものだから、接着剤といえば割れたカップとか、はがれた靴底をひっつけるもの、という発想しかない。
今回ほとんど偶然入手したのは『クリアゴリラグルー』という接着剤だ。ゴリラと名のつくグッズを集めてレビューした際に当サイト編集部にやってきた。
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多用途をうたう商品だけに、パッケージには金属、木材、陶器、プラスチック、ガラスと使用可能なものがずらっと並べて書いてある。
その中に「石材」とあったのだ。
石か。
なるほど、建築に石が使われることは多々あろうから、その修復だとか、石を使った工作や手芸など創作活動など、必要性はいくらでも考えつく。
それでもなんだか、手中におさめた「石をくっつけることができる」という急な可能性はどこか意外で、きらめいて感じられた。
石を接着できるなら、したほうがいいんじゃないか? と思った。
めぐる思いは脳を介さず、無意識的に先に口から「石をくっつけて、だるまみたいにしたいんですけど」とついて出た。
石をだるまにすることへの理解
思いもよらなかったのは周囲の反応だ。
驚くこともなく、ほとんど食い気味に「いいですよ」と言ってくれたのはウェブマスターの林さんだった。
瞬間の会話を抜くとこうだ。
古賀:
石をくっつけて、だるまみたいにしたいんですけど。
林:
いいですよ。
こんなに意思疎通に齟齬が無い組織がかつてあったろうか。
林さんは重ねてこうも言った「石だるま、ですね」。
それだ。
胸の内で長く眠った獅子が目をさました。
私は、ずっとずっと、石だるまが作りたかったんだ。
石を拾う
翌日の東京はどうもさえない天気で、雨が降ったりやんだりだった。晴れ間が出れば残暑の日差しは太い矢印で降り注いでおもいきり肌を刺す。
大気はぱんぱんに水気をふくんでずっしり重く蒸れ、歩くというよりも泳ぐようだ。
私は泳げないから歩き方も下手になる。多摩川へ行く。
河川敷の石は公共物として、個人が数個採取するくらいであれば問題ないとかつて河川事務所で聞いたことがある。
これはという石ころを8つ拾って、品川へ向けて走る新幹線をぼんやり見て、それでもう帰った。
帰ってきれいに洗うともう愛着がわいてきた。石だるまにする、これが石だ。
石は濡れている
とにかく不器用で工作はやればやるだけ失敗してきた人生だ。万年工作初心者の特徴として、とくに塗装と接着で失敗する、というのがある。
塗れたと思ったらずるんと剥げ落ちて、くっついたと思ったらくっついてるのは親指と人差し指の腹だったりする、みたいな経験をこれまで幾度となくしてきた。
塗装も接着も、理屈が身近ではないから、素人として理解が及びにくいんだと思う。不安しかないが、なにしろ説明書きを熟読しよう。
使用方法として、材料を湿らせて接着剤を塗り固定することで接着するという。
ただし、木材や石材など湿気を含む素材は湿らせなくてもそのままでいいとある。
石があらかじめ湿気っているという意識は持ったことがなかった。石は石でしかないと思っていた。
湿らせる行程がなければ、あとは接着剤を塗って固定するだけで、糊みたいな使い方でいいらしい。それでもまだ不安なのだけど、やるしかない。
2時間固定する、24時間で完全硬化
ここでいよいよ、石と石、だるまにするペアを熟考して決定する。
あんがい悩まず決められた。
あとは両者がくっつくように接着剤を塗って固定すればいい。
2時間固定して、その後24時間で完全に硬化するとパッケージにはある。
接着剤は一般的な水のりよりもほんの少しだけ粘度があるテクスチャで、石に染み込まずにもったり表面張力を発揮した。
この上から、乗せるようにだるまにおける顔となる石を置いていく。
固定は「締め具や重しなど」と説明書きにはあったが、そもそも通常重しとして使う石なんだから、自力でいいだろうと考えた。
そのまま静かに部屋のすみに置く。2時間。思った以上にもうがちがちだ。うわ、くっついた。
ぬりすぎた接着剤が垂れたようになってしまったが、私くらい工作不器用の者にとってこれくらいはまったく大した失敗ではない。
石だるま、できてしまった。
まだ見ぬ夢を実現した今日
2時間後の時点ですでにがちがちに固まっていた石だるまたちは、24時間後にはいよいよ強靭にくっつきあって、垂れた接着剤も固まってもうすべすべしている。
使用できるものとして「石材」をうたう接着剤で、石だるまは、できることがわかった。
ほんとうに、ほんとうにうれしい。
あれからだるまは家のあちこちに大切に飾ってながめては納得している。
自分のなかに、石をだるまにしたいという気持ちがあったことには驚いた。深層で願いながら気づいていないことが、人には案外あるのかもしれない。それこそが夢と呼ぶものそのものだ。
叶えたいと夢というのは大げさなものではなく、でも気づけていないところにある。
石をくっつけてだるまにしたいくらいのこと、どんどん気づいて実現させたい。