きびだんごはストーリーを食べている
「ストーリーを持つ」食べ物はそのもの以上に魅力的だ。
「苦労して作った○○」や「職人がこだわった○○」なんかは分かりやすい例だ。
そういう意味では、きびだんごが持つ「鬼退治にいかなければならない」や「家来になる」というストーリーはいつも人々を惹きつけている。
しかし、きびだんごについて調べれば調べるほど桃太郎じゃない本当のそのきびだんごが歩んできた歴史、ストーリーが見えてきた。
これは「ゲートウェイ・きびだんご」だ。
「お腰につけたきびだんご一つ私にくださいな」
このように興味本位できびだんごに手を出す人が後を絶たない。中には過酷な鬼退治に向かわされる例もあるという。
そうなる前に、きびだんごに対する正しい知識を身につけよう。
きびだんごは危険な鬼退治のきっかけになることから「ゲートウェイ・鬼退治」としても知られる。
しかも最近ではインターネットで簡単に手に入ってしまう。
このように心理的なハードルもかなり低くなりつつあるきびだんごの現状について調べてみた。
岡山といえばきびだんご、きびだんごと言えば岡山だ。岡山生まれの僕にとってはきびだんごは当たり前の存在なので、きびだんごについて何の感想も出てこない。
岡山で作られるきびだんごは丸いひと口サイズでやや透明感がありモチモチしている。ほんのりと上品な甘さがある。
一種の求肥だ。
求肥とは「雪見だいふく」の周りの餅みたいなやつだ。餅との違いとしては、餅が時間が経つと硬くなるのに対し、求肥は中の砂糖が水分を保つので固くならない。
さて、きびだんごの本場の岡山県では、意外にもきびだんごを買って食べる習慣はあまりない。とはいえ「カカオ農園で働く子供はチョコレートを食べられない」的な事情ではない。
岡山県民はきびだんごを「県外の人が買うお土産」だと認識しているからだ。
また岡山県民は手土産にきびだんごを選ぶこともあまりない。きびだんごを重要な商談や目上の人への手土産に持って行くなどは岡山県内ではもってのほかだ。
これはきびだんごに「家来にする」という意味があることも原因のひとつと考えられる。岡山県民への手土産は大手まんぢゅうや藤戸饅頭のほうがポピュラーなので覚えておこう。
そして、「きびだんごをあげたから家来ですよ(笑)」というのは古(いにしえ)よりきびだんごを渡す時の古典ジョークとして使われているが、岡山県民は全員、一万回くらい同じネタを聞かされている。
さて、そんな良く知られた岡山のきびだんご、岡山県民でさえも多くが勘違いしているが、実は桃太郎と直接の関係はない。
桃太郎のおとぎ話は室町時代ごろに成立されたと考えられている。桃太郎に出てくる「きびだんご」はイネ科の「黍(きび)」を使った団子で、岡山だけでなく全国で食べられていた素朴なお菓子だった。
一方、岡山のきびだんごは江戸時代の終わり、備前池田藩の筆頭家老であり茶人でもあった伊木三猿斎が、廣瀬屋の武田半蔵に依頼し、黍団子を茶席向けに改良したものが元になった…というのが通説になっている。材料の「黍」と岡山県周辺を指す地名の「吉備」の語呂合わせで「吉備団子」と命名されたらしい。
きびだんごを改良した廣瀬屋は後に「廣栄堂」と名前を変える。
明治になり岡山駅が開業すると、駅の立ち売りで吉備団子が売られるようになった。その際、吉備団子と桃太郎のきびだんごを関連付けて売ったことかきっかけで全国的に知られるようになった。
そして現在、廣栄堂の創業の地には2つの老舗が並び立っている。
廣栄堂はその後もきびだんごを作り続けていたが、昭和30年代前半になると上の写真の右側が「広栄堂」という名前で新しく会社を起こして独立(廣栄堂本店)。つづいて上の写真の左側も法人化するが、商法の関係で同じ「広栄堂」が登記できず広栄堂武田となった。
この2社は今でもきびだんごを手掛ける代表的なメーカーだ。
岡山では廣栄堂本店(先ほどの写真の右)の元祖きびだんごがおそらく最もポピュラーだと思う
パッケージはきんぎょがにげたなどで知られる絵本作家・五味太郎氏のデザインだ。
もう一つの老舗の広栄堂武田(写真の左)のきびだんご。
廣栄堂が岡山藩主から使用を許可された菱形のマーク(釘貫)は、広栄堂武田が商標を持っている。(江戸時代の釘は今の洋釘と違ってL字型の和釘なのでこのような四角い金具をあててテコの原理で抜いた)
廣栄堂本店のきびだんごのほうが甘味は強く、広栄堂武田のきびだんごのほうがわずかに大きい。
僕は両方とも好きだが、パッケージも含めて好みに合わせて買うと良いだろう。
そして現在、岡山には少なくとも10社以上のきびだんご製造業者がしのぎを削り、きびだんごは更なる進化をとげていた。
こちらは前述の廣栄堂本店(右)の黒糖風味のきびだんご。黒糖が練り込んであって黒糖の深みのある甘味が広がる。
こちらは広栄堂武田(左)の蒜山高原ミルクきびだんご。きびだんごにミルクの濃厚さが加わった。
そしてこちらはきびだんごの中にマスカット蜜が入った敷島堂のマスカットきびだんご。
きびだんごとマスカットという岡山の2大名物の掛け合わせで県外の人に喜ばれるので個人的によくお土産にする。
そして中にチョコレートが入っているきびだんご。きびだんご自体もチョコレート風味だ。
そして最後に見た目にも鮮やかなマスカット味、白桃味、伊予柑味が練り込まれたきびだんご。
他にもたくさんのバリエーションが確認できる。お土産にお勧めしたいのはもちろん、岡山の人も偏見を捨てて久しぶりに食べてみると結構おいしくてびっくりすると思う。
もちろんきびだんごが有名なのは岡山だけではない。北海道のきびだんごも良く知られている。
北海道物産展などでもしばしば売られているので見た事がある人も多いのではないだろうか。
北海道のきびだんごは、岡山の丸いきびだんごとは全く形状が異なり長方形で茶色い色、オブラートに包まれている。
「団子なのに丸くない」と不思議に思うかもしれない。
このきびだんごは大正12年(1923年)の9月。同年に発生した関東大震災の被災地復興の願いと北海道開拓の精神が込められ「起備団合」の名前で北海道栗山町の谷田製菓から発売され、その後現在のような平仮名表記に変わった。
オブラートが付いているおかげで手にはくっつかない。こちらのきびだんごは味は黒糖っぽい風味豊かな深みのある甘さで、食感はやや硬くキャラメルよりも硬いくらい。
北海道のきびだんごは腹もちが良く持ち運びしやすいので、携行食として旧日本軍にも納入されていた。
そしてこちらは同じく北海道のメーカーの天狗堂宝船の日本一きびだんご。
谷田製菓の日本一きびだんごは黒糖の味だったが、こちらはほのかな甘み。より餅っぽさがあり、柔らかくモチモチとしている。
また駄菓子の生産が盛んな愛知県名古屋市にもきびだんごがある。
駄菓子屋さんで見たこともあるかもしれない。
北海道のきびだんごが携行食として広まり、その後、駄菓子の製造が盛んな名古屋市でも作られるようになったようだ。
名古屋の共親製菓のきびだんごも北海道と同じ長方形で、オブラートに包まれているところも同じだ。
しかし大きさは小さく、板ガムをやや厚くしたくらい。
味も大きく違い、北海道の2社がモチモチとして粘りが強く、餅のようだったのに対しきな粉に近い。きな粉棒かはったい粉に近いかもしれない。少し粘りがあるもののすぐ噛み切れる。
甘さは抑え目で、硬さは谷田製菓と天狗堂宝船の中間でキャラメルくらいだ。
北海道と愛知の四角いきびだんごの大きさ比較を比較すると、北海道の谷田製菓が一番大きく、愛知の共親製菓が一番小さかった。
「ストーリーを持つ」食べ物はそのもの以上に魅力的だ。
「苦労して作った○○」や「職人がこだわった○○」なんかは分かりやすい例だ。
そういう意味では、きびだんごが持つ「鬼退治にいかなければならない」や「家来になる」というストーリーはいつも人々を惹きつけている。
しかし、きびだんごについて調べれば調べるほど桃太郎じゃない本当のそのきびだんごが歩んできた歴史、ストーリーが見えてきた。
これは「ゲートウェイ・きびだんご」だ。
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