「あの葉っぱも手すりなのでは」
ひたすら見続けているうちにその定義や境界が揺らいでくるのはいい散歩の証だ。じりじりと観察して、行こうぜ、手すりの向こう側へ(ほんとうに行かないでね)。
◾︎取材協力:とよさきかんじ(日本野虫の会)
とよさきさんの活動の最新情報はTwitterで!
https://twitter.com/panchichi3
昆虫を観察したい!生き物ったら大自然だろ!と森林に飛び込んでいったら思いのほか何も見つからなかったというのは初心者あるあるである(私)
まず見るべきは公園や緑地で我々の腰から胸にかけての高さに用意された彼らのライフステージ、手すりだったのだ。手すりの虫観察にハマり、本まで出してしまった手すり虫観察家にその愉しみを教えてもらった。
神奈川県は川崎市の森林公園。シラカシの木が台地の斜面に生い茂り、低地は湿地帯となっている自然豊かな公園で、散策や犬の散歩など憩いの場としてだけでなく、バードウォッチングや自然観察でも人気のスポットである。
今日一緒に歩いて回るこの人もこの公園をものすごく評価している。
「ここの手すりの虫の豊かさは都内近郊では随一といっていいですね」
褒められた公園も戸惑うしかないだろう。手すりとは言うまでもなく遊歩道の脇に立って滑落や侵入を防いでいるあれである。ここの手すりがいい虫持ってるんすよ、という事だ。
広々とした森林公園で手すりに執着する長身痩躯のナイスガイの正体はとよさきかんじさん。フリーで玩具のデザインやゲームの専門学校で講師をするかたわら、虫の写真を撮って発表したり観察会を行ったり、「日本野虫の会」の屋号で虫グッズを制作・販売している。
初心者でも楽しめる昆虫観察のフィールドとしての手すりに注目、2年間にわたって都内近郊の公園や緑地の手すりを観察した本「手すりの虫観察ガイド」を上梓。
見所いっぱいでふせんだらけになっているが、読み始めていきなり渾身の力でふせんを叩き込んだのがここだ。
「子供の頃から虫好きだったんですけど中二の頃、いったんヤンキーになりまして...」
高校で更生し美大を出て今に至るまでのアフター・ヤンキーの展開もすごいのだがここでは詳細は置いておく。
「で、イベントでそのエピソードを紹介したらかなんかウケたのでついこんなのを作ってしまいました......」
中学生の頃、こんなのをはおって座っていた先輩に頭を下げながら登校していたのを思い出す。挨拶される側とする側が今ここに手すりの虫という共通の目的で集い、歩き出すのだ。虫よありがとう。
と、いろいろ情報量の多いスペシャリストと手すりを闊歩する虫たちを観察しに来たのである。
「手すり観察の一番のメリットは初心者でも探しやすいという事です。いざ虫を探そうとすると木の上から地面までどこを見ていいかわからない。そういう時にまずここを見る、というポイントがあると探しやすいですよね」
--なるほど、そのツールが手すりだと。
「もともと冬場の虫の観察法として手すりを見るというのは確立されていました。虫がいない時期でも手すりにはいるよねっていう共通認識があって」
--ああ、そうですね、フユシャクとか。
「ただ、そういうスポット的な活用だったり、初心者の人も最初は手すりを見るけどすぐに卒業していっちゃうので、逆にそれをやり続けたらどうなるんだろうと思って手すりを見続けたんです」
-- 戦略的留年ですね。で、こんなデータまでできてしまうと。
「手すりに来る虫は小さいのが多くて、カブトムシやクワガタなどわかりやすい人気種は少ないですが、逆にふだん気にしてなかったけどきれいだったり面白い虫が観察できます」
「手すりの下ではクモがよく巣を張っていますね」
-- たしかに、ふだん見ない虫を見るきっかけになるし、観察しやすいのがいいですね。
「こんな小さいのが木の枝や葉の裏側にいたらかなり見つけにくいですよね。その点手すりは見やすいだけでなく、手持ちで写真も撮りやすいので.....」
--大きい虫だとどういったのがよく見られるんですか?
「やはりカマキリやバッタ、ナナフシとかですかね。今の季節カマキリはまだ幼虫ですが」
--将来お尻からメジャーが出てこないように健やかに育ってほしいですね......。
「ははは、そうですね」
緩やかな坂道の前でとよさきさんが立ち止まり、一見なんの変哲もない鉄製の手すりを指差した。
「特に昆虫が多くて僕が『神てすり』と呼んでいるのがここです」
「さっそくいいのがいました」
「ヨツボシアカマダラクサカゲロウの幼虫です。ゴミを乗せて徘徊し、小さな虫を襲って体液を吸います」
--本体のほうはどこかで見た事がある気がしますが、クサカゲロウという事は......。
「そう、アリジゴクと近い仲間ですがこっちはかなりアクティブに動き回ります」
あんな出不精のメダリストみたいなのと同じ仲間だとは......。
「もっと速く動くやつもいますよ。スズキクサカゲロウの幼虫はもはやゴミも背負わずがんがん動き回ります」
-- またなんかゴミが意思を持ったみたいなやつが歩いてますが......。
「アミガサハゴロモの幼虫ですね。おしりからファイバー状のワックスを広げて傘みたいにして自分の姿を隠しています。珍しい種ではないですがよく見るとかわいいですよ」
--こんどはやたらモンスター感あるのが歩いてます!
「キマダラカメムシの幼虫ですね。外来のカメムシで成虫になるとかなり大きくなります。思わずでかっ!と口に出すくらいに」
--確かに多いですね。感覚的にでなく観察を重ねて統計的にここが神になっているわけですもんね。
「はい。それだけではなく、ここで有名なハエトリグモ研究者の方とばったり会ったりしてこの手すりの神具合を確信しました」
--あーやっぱりアンテナ持ってるんですねえ、手すりストは。
「この手すりではクモもたくさん見られます。厳密には虫ではないですが、僕はクモも大好きで本にもかなりの数を載せています」
「メスジロハエトリのオスですね。”性的二型”といってオスとメスで色や体形が大きく違うんですがどちらもとにかく綺麗で、クモが苦手という人にこのクモの写真を見せたら『こんな美しいクモがいるのか』と驚かれました」
「ハエトリグモの仲間が面白いのは幼体の頃はオスメスどちらもメスのような色と模様で区別がつかないけど、成体になったとたんに見た目がはっきり分かれるんです」
--へぇー!
「これはアリグモといって、アリそっくりに擬態して敵から身を守っているクモです。ハエトリグモはふつうぴょんぴょん飛ぶように動きますが、アリグモはアリっぽくうろうろ歩きます」
--アリに擬態か、そんなにいい事があるんですかね。
「アリを嫌う捕食者は多いですからね。植物にも蜜を出してアリを寄せて葉を守ったりする種がありますね」
「このクモも僕の推しグモなんですが、アズチグモといってカニグモの仲間です。顔がね、いいんですよ」
-- しかし神手すり自体はわりと普通のスチール製の手すりなんですね。木製とか擬木とか、もっと雰囲気のあるやつかと思っていたんですが......。
「それはよく聞かれるんですが、僕が観察してきた中では材質などによる違いはそんなになくて、むしろ周りの環境や気温、湿度などがポイントになってきます」
「やはり周りに草木があって、特に真上に枝がかぶさっていたり、適度に風や日差しが入るところでは多く見られますね。あまりうっそうとして暗いと虫にも不人気なようです」
「あとは水平で安定していて虫が歩きやすい手すりですね。ロープ柵なんかだとトンボなどは好んで止まりますが、歩いている虫は少なかったりします」
--なるほど、こういう遊歩道ってぼこぼこの山道は人がスムーズに歩けないからまっすぐにしているわけで、それに沿って手すりもまっすぐになるんだけど、そこを虫も道として使ってるのっておもしろいですね。スケール感的には高速道路ですかね。
「おお、なるほど。僕も手すり観察本の前に作った冊子でサービスエリアって言ってました」
--やっぱりロープ柵なんかだと虫はそんなにいないですね。
「そんな時は柵にかかっている葉っぱとか、周囲の草木を見てみるといいです。手すりを起点にその周りを見ていく感じです」
「手すりを集中して探して、その流れですぐ近くの草木に目を移して行くとだんだん手すりが拡張していくような感覚にとらわれます。」
「つまり、もうこの周りの草木も手すりみたいなものなんですよ」
--え?そこまで?
たしかに手すりからこっち側と向こう側は明確にパキッと別れていなくて、その境界には手すりと地続きのぼわんとした世界が存在しているのかもしれない。
すぐ向こうの葉にいるマミジロハエトリがこちらを見ていた。
「あの葉っぱも手すりなのでは」
ひたすら見続けているうちにその定義や境界が揺らいでくるのはいい散歩の証だ。じりじりと観察して、行こうぜ、手すりの向こう側へ(ほんとうに行かないでね)。
◾︎取材協力:とよさきかんじ(日本野虫の会)
とよさきさんの活動の最新情報はTwitterで!
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