たった数十年で急激な近代化をはたしたという明治時代だが、実際のところ明治45年間と現代の45年間ではどちらの変化量が大きいんだろうか。
こうして見ているパソコンやスマホの普及も、45年前からみればとんでもない変化だと思う。
明治の銀座はハイカラだったかもしれないが、それが全国に広まるのには今よりずっと時間がかかっただろう。
その分、今のように早く消費されて廃れるということも少なかったのかもしれない。
令和に生まれたものの何が未来に残るのか、今から楽しみだ。
身の回りにある何気ないものでも、そのルーツを調べてみると意外に古いことがある。
文明開化の象徴である銀座あたりに行けば、明治時代(1868年〜1912年)からあるものだけで一日を送れたりしないだろうか。
軽い気持ちではじめてみたら、これがなかなか充実の一日となった。
最初に向かった場所はここだ。
現在の汐留駅のすぐ側にあるのが、教科書で必ず習うあの「新橋ー横浜間に日本初の鉄道が開通」の新橋駅である。
アメリカ人が設計したという外観は思ったよりシンプルだ。江戸時代の石蔵っぽくもみえ、当時の人は案外すんなり受け入れてたのかもなと思う。
ここから1日かけて銀座、京橋、日比谷の方まで行くのだ。
さまざま巡ったので、目次がわりに行程表をおいておきたい。
現在定番となっている服は、じつは明治期(すべて海外のものだけど)に創業したものが多い。
あんまり厳密にやるとそもそも自分の最寄り路線である京王線(大正2年開業)は存在しないので…。
さて、当時の洋装といえばこの重厚さ。普段着の歴史って、どんどんラクな方へ向かっていくものだ。
今でいえばワークマンが普段着として人気なように、機能的な実用着はしだいに日常生活へ取り入れられていったのだろう。
いつから銀座は今の銀座になったのだろうか。
まずは軽くその歴史を紹介したい。
佐藤洋一著『あの日の銀座(地図物語)』によると、江戸時代、一番の繁華街といえば日本橋だった。銀座はそれに比べると名の知れた大店も少なく、典型的な下町だったそうだ。
そんな銀座が一躍日本を代表する商店街に躍り出るのは明治5年(1872)の銀座大火のあとだ。
銀座中を燃え尽くした大火事を受けて、あの渋沢栄一が「東京の不燃化に着手すべし」との意見書を政府に提出する。
それを受けて、旧新橋駅開業によりその玄関口として一気に価値が高まった銀座が日本初の煉瓦街として整備される。
こうして、現在につらなる最新文化の発信地としての銀座ができるのだ。
今歩くと通りはありとあらゆる商品であふれてるけど、このウィンドウショッピングも銀座から始まったといわれている(それ以前は店にあがり商談するスタイルが一般的だった)。
当時はここに芸者屋が並んでおり、新橋芸者と呼ばれた女性たちがいたそうだ。
さて、そろそろモーニングの時間だ。
サンパウロっ子という意味のパウリスタ。
日本初の喫茶店カフェープランタンに続いて同じ1911年に開業したそうだ。
日本最初のブラジル移民事業をてがけた水野龍が、サンパウロ州政庁からブラジル珈琲の販売権を得てはじめた喫茶店で、5銭(約900円)で当時の最新文化を体験できるということで話題になったという。
関東大震災後に閉店、ながらく喫茶店経営から撤退するも、1970年に再びオープンしたのが今のパウリスタである。
銀座の中心部にありながら、懐かしい街の喫茶店といった雰囲気があり、たいへん居心地のよい空間だった。
化粧品、洋食、ミス・シセイドウなど銀座の最先端をつくってきた資生堂。明治35年にはソーダ水やアイスクリームを販売して話題をよんだそうだ。
そんな歴史と伝統とキラキラの総本山へと踏み込む。
男1人で入るのはちょっと緊張したが杞憂だった。正装をした店員さん達のキリっとした接客がかっこいい。
このレモンクリームソーダ、鮮やかな色に負けず高級な味がする。単なる酸っぱいレモン果汁じゃなくて、なんというか柑橘系の皮の香り・風味みたいなものが感じられるのだ。
こちらは江戸初期からある社で、銀座の表と裏といった雰囲気がよい。銀座で縁結びの神様というと、喜びも悲しみも異次元に味わってそうである。
朝からハイカラな体験をしたので、お昼は和食をいただきたい。
ここのコロッケそばはなんと創業当時から存在するという。そんなに歴史ある食べ物だったとは…!
このふわふわしたつみれ状の“コロッケ”が濃い出汁によく合い、シンプルにおいしい。
ジャンキーな現代コロッケそばと違い、ハイカラ文化との出会いの中で生まれたものなのだろう。
よし田は、情報過多な銀座の中でほっとできる雰囲気のお店だった。
昼食のあとはすこし散歩したい。
この交差点に時計塔を建ったのは明治27年(1894年)、現在の建物は二代目(1932年)のものだ。
セイコーってロレックス(1905年創業)よりも歴史があるんだ…!
建物は現代のものにかわっても、お店自体は変わらないものも多い。
そんな歴史ある銀座だが、1923年の関東大震災の影響で明治時代の建物はほぼ見当たらない。
とはいえ、すこし足を伸ばすと明治時代の建築をちらほら見ることができる。
どれもギリ歩いていける範囲内で(シェアサイクルがおすすめ)、明治時代の都心の雰囲気をおぼろげながら感じることができる。
話を銀座に戻して、今度は和菓子を食べたい。
ギンザコアというビルの奥にひっそりとある若松は、日清戦争の年にぜんざい・おしるこのお店として創業したそうだ。
あんみつは昭和に入ってからだしな…と思っていたところに見つけた古風な粟ぜんざい。
プチプチ、モチモチした食感を楽しむためにこしあんがクリームみたいに滑らかで、しあわせな味がする。
銀座の老舗というとハードル高そうなイメージがあるが、上野や浅草と変わらぬ雰囲気の老舗も多いのだなと思った。
年季の入った客席では、半世紀は共にしてそうな老夫婦が笑顔であんみつを食べてるのが印象的だった。
ここで超有名な桜あんぱんを買い、日比谷公園で食べたい。
文房具の総本山みたいな伊東屋は、12階建てのビルがまるごとお店になっている。
万年筆とか買えればいいのだけど、手が出ないので三菱鉛筆(明治20年創業)とモレスキンノート(19世紀後半)を買った。
次はすこし北にある明治屋へ。
これ、現代人には甘すぎるので甘さ控えめに調整しました的な説明書きがあるのだけど、それでも脳に直接響く甘さ。
甘さ控えめ=高級という現代と違い、甘さ=贅沢な時代を感じる一品である。
買い物をした後はすこし歩いて日比谷公園へ。ドイツ風の第一花壇など、今も明治の雰囲気が残る場所だ。
石垣の上のベンチではエリートビジネスマンたちが一息ついており、横文字のTOKYO感がある。
市民にひらかれた場所である公園って、その時代時代のニーズによって改変されやすいのだが、ここは様々な面影が残っていて楽しい。
ここまでいろいろかいつまんできたが、正直明治時代って45年間あるのだ。
現在で考えると45年前は1976年。もしかしたら、ZOZOスーツを着てサタデーナイトフィーバーするくらいトンチンカンなことをしててもおかしくないなと思った。
ここには、「明治誕生オムライス」と「元祖オムライス」という二種類のオムライスがある。
店員さんによると、溶き卵にご飯と具材をいれて焼き上げた元々まかない料理だったものが今の「元祖オムライス」で、それを商品化したものが卵で巻いた「明治誕生オムライス」なんだそうだ。
パラパラチャーハンみたいな作り方だなあと思うも、まったく異なるお味。
卵がトロッと絶妙なあんばいで、シンプルなのになかなか真似できそうにない美味しさだった。
たった数十年で急激な近代化をはたしたという明治時代だが、実際のところ明治45年間と現代の45年間ではどちらの変化量が大きいんだろうか。
こうして見ているパソコンやスマホの普及も、45年前からみればとんでもない変化だと思う。
明治の銀座はハイカラだったかもしれないが、それが全国に広まるのには今よりずっと時間がかかっただろう。
その分、今のように早く消費されて廃れるということも少なかったのかもしれない。
令和に生まれたものの何が未来に残るのか、今から楽しみだ。
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