ホテルのテレビをつけたら流れた曲
冒頭に書いた通り、その曲を初めて耳にしたのは旅先のホテルだった。今思えば、いわゆるラブホテルの居抜きのような宿で、建物や部屋のあちこちにそんな雰囲気があった(お風呂がやけに広くて快適だったりした)。
テレビをつけたらVODのトップ画面が表示されて、様々なジャンルの映像を選んで見ることもできるし、普通にテレビ番組を見ることもできる。ただ、何をするにせよ、とにかく一旦そのVODのトップ画面を経由しないといけないようだった。ホーム画面みたいな感じで。
そのトップ画面が表示されると同時に優しい雰囲気のピアノ曲が流れ出す(この記事の一番上に表示されている画像はイメージで、実際のものとは違うのだが、だいたいこんな風な画面だった)
以下の動画は、後で調べて見つけたものなのだが、これを聴いていただくと、「聴いたことある!」と思う人がいるかもしれない。
この記事を書いている時点で約16万回も再生されていて、私と同じようにこの曲が耳について離れなくなった人がいて、後でこの動画にたどり着いたのかもと思う。
動画のタイトルを見ると、「もうすぐ春」というのがこの曲のタイトルらしい。「もうすぐ春」……その言葉を頭に思い浮かべてもう一回聴くと、本当にもうすぐ、春が来そう。ちなみに私は動画の1分12秒あたり、一旦転調してまたメインフレーズに戻るところの、少しだけゆっくり演奏される部分が大好きである。
で、この動画の投稿者なのだが、「中北音楽研究所」というアカウント名で、動画の概要欄のテキストを見るに、著作権フリーのピアノ曲をたくさん作って販売してもいるらしい。
公式サイトへのリンクがあり、そこにメールアドレスが記載されていて、少し考えた。あの曲の作者にインタビューさせてもらって、ホテルのVOD画面で流れることになった経緯などについて聞けないだろうか。まあ、でもいきなりそんなお願いをしても難しいか……と思いつつも、ダメ元で取材依頼のメールだけはして、しばらくお返事がなかったのであきらめた。
しかし、ある朝、スマホが振動し、電話に出ると中北音楽研究所の中北利男さんだった。まだ布団の中にいた私は驚いて飛び起きた。中北さんは今から少しの間なら手が空いていて、インタビューを受けられるとのことだった。一旦電話を切って心を落ち着け、こちらから折り返す形で伺った話を以下にまとめた。短い時間だったが、中北さんの人物像や、あのピアノ曲のことについて聞くことができた。
初めての作曲は3歳の時だったという中北さん
――もしもし、ライターのスズキです。おはようございます。お忙しい中すみません。次のご予定の時間まで、手短に済ませるようにしますのでよろしくお願いいたします。
中北さん「はい。よろしくお願いいたします。なんでも聞いてください」
――中北さんのご経歴を伺いたいんですが、ホームページのプロフィールによると、1964年、三重県津市にお生まれになったと。そして3歳からピアノを始めたそうですね。
中北さん「そうですね。親が音楽好きだったもので、僕も音楽が好きになりそうだという予感があったんでしょうね。それで習わせたようなのですが、習い始めたら、予想通り喜んで行ったみたいです」
――そうなんですね。お子さんによってはうまく演奏できないのが嫌でかえって音楽が苦手になってしまったりするという話も聞きますが、中北さんにはすごく合っていたんですね。
中北さん「そうなんでしょうね。4歳の時に保育園でね、よく先生が『みなさんお遊戯ですよ、歌を歌いましょう』って言って、伴奏をしてみんなで歌を歌ったりしますよね。そういう時間があって、先生が『じゃあそろそろ終わりましょう』って言っていなくなった後、先生の代わりに僕が弾いて、またみんなを歌わせていたという」
――ははは。すごい!そんな伝説が。本当に天性の才能というか。
中北さん「言葉を話せるようになるのと同じように、鍵盤に触れていったという感じだったんでしょうね」
――それからずっとそのままピアノの演奏を続けてこられたんですか?
中北さん「10代の頃にギターを弾くようになったり、オーケストラに興味を持ったりもしましたけど、ピアノはピアノで、ずっと自分の軸として持っていました」
――ホームページに「総制作楽曲は10.000曲を超える」と書いてありますが、作曲はいつぐらいから始められたんですか。
中北さん「それがね。記録に残っているのは3歳7ヶ月なんです」
――3歳!
中北さん「その時には、それが作曲という行為であるとは考えていなかったと思うんです。でも、勝手に気ままに曲を作っては歌って、それを親が録音していたものが残ってるんです」
――すごい。その3歳7ヶ月の時に作った曲の音源があるわけですか。
中北さん「あります。それを聞くと、確かに自分で曲を作ってるんですね」
――それからはずっと曲を作り続けてこられたんですか?作った曲を楽譜にしていくわけですよね。
中北さん「若い頃は楽譜を書いていたんですが、いわゆる天から降りてくる音の方が、楽譜に書くものよりも多いので」
――なるほど、そういうものなんですね。別に楽譜に書かなくても、頭の中に曲があるというか。
中北さん「それをすぐに録音するという方式をとっていました」
――そういうスタイルなんですね。
中北さん「その録音物を弾きながら後で楽譜にすればいいだけのことなので」
世界で一番難しいと言われている曲を弾く
――プロフィールによると、名古屋芸術大学でピアノを専攻されたそうですが、その頃はどういうことを目指して学ばれていたんでしょうか。
中北さん「まず、学校ではクラシック音楽をずっと勉強しました。1年生から4年生までカリキュラムが決まっていて、最後の4年生の時には、“世界で一番難しい”といわれるクラシック曲を弾きました」
――それはなんという曲なんですか?
中北さん「モーリス・ラヴェルの『夜のガスパール』という組曲なんですけど、(最終楽章の)『スカルボ』は難しい曲として有名なんです。それを卒業演奏会で弾きました」
――へー!つまりそれだけ演奏技術が卓越していたということですね。
中北さん「学校ではクラシックを学んで、もう一方では大衆音楽の方を目指していました」
――そうなんですか!
中北さん「それこそ演歌もあり、フォークもあり、ロックもあり。色々なところで歌手のバックバンドをしたりとか」
――演歌なんかも。
中北さん「なんでもやりました。その場でパッと楽譜を見せられて、弾くわけです」
――演歌や歌謡曲のような音楽にも興味があったと。
中北さん「そうですね。それにまあ、お金にもなりましたから(笑)でもその経験で自分の音楽が広がったと思いますね」
――貴重な経験だったんですね。
中北さん「そういう伴奏やバックバンドとしての仕事とは別に、音響スタッフの助手として色々なコンサートに同行して回らせてもらったんですよ。それこそ、有名な方の音響をお手伝いさせてもらって」
――それはたとえば……。
中北さん「サザンオールスターズとか、そういう方々のスタッフもさせてもらいました」
――えー!それはすごいですね。すごく刺激を受けそうです。そういう音楽的な経験もあって、現在までに1万曲も作られたということですが。
中北さん「ホームページに記載されているのは少し昔の情報なんです。今、僕は62歳で、きちんとした作品として曲を作り出してから46年経ってるんです」
――じゃあ、さらに増えているんですね。昔からアルバムなどをリリースされていたりしたんですか。
中北さん「していました。当時はインターネットがなかったんですから、自分でカセットテープに録音したものを売っていたんですね。喫茶店に置いてもらったりとかね」
――早くからそういう活動されてきて、これはもちろん言える範囲では構わないんですけど、作曲の傍ら、また別にお仕事もしてこられたんですか。
中北さん「作曲に近いんですけど、例えば『何々の曲の伴奏を録音してほしいんだけど』とか『作曲してほしいんだけど』『編曲してほしいんだけど』っていうような色々な依頼を受けたり、『どこかでコンサートを開いてほしい』とか。そんな仕事ばかりですね」
――音楽に関わるお仕事を多岐にわたってしてこられたと。
中北さん「僕ね、教師をしてたんですよ。教師を31年間しました。音楽の先生をしていました」
――おお、そうだったんですね。
中北さん「音楽の先生と同時に、演奏や作曲活動はずっとしていて、退職してから本格的に活動するようになりました」

