運命、それは不条理
数年前、老舗の蕎麦屋さんが蕎麦アレルギーを発症して営業できなくなった、というニュースを見た。猫好きなのに猫アレルギーの知人もいる。人間は時にこういった不条理に見舞われるが、私もそのうちの一人だ。気になるホラー映画がたくさんあるのに、極度の怖がりなのだ。
低予算で作られることも多いが故に演出やアイディアを試されるホラー映画は、昔から多くの才能を輩出してきた。近年も『ヘレディタリー』『イット・フォローズ』『ドント・ブリーズ』、映画ファンなら見逃せない作品は枚挙に暇がない。
私は中学生の頃から映画館に通い続けてきたので、頑張ってそれらの作品も見に行っている。だけどそんな歴史よりもっと長い期間、筋金入りのビビりとしても生きてきた。
中学生の時の修学旅行で催された肝試し大会。真っ暗な林道を出席番号順に1人ずつ歩くのだが、「石井」という名字のせいで2番目の出発になってしまった。そこで私は牛歩戦術で後ろに大渋滞を発生させ、結果的に40人くらいの集団で林道を歩くという頭脳戦を展開。肝試し実行委員達の舌打ちが聞こえたが、勝手に私の肝を試すのが悪いのだ。
ディズニーランド好きの方なら「これまで10回くらい『ホーンテッドマンション』に乗ったが、一度も目を開けたことがないのでどんなアトラクションなのか未だに分からない」と言えば、私のビビりレベルが伝わるだろうか?
映画館はまだ良い。問題は配信作品
そこまで怖がりなら普段、どうやってホラー映画を見ているのか?殆ど観客がいないレイトショーを選ぶのである。「え?それ怖くない?」と思われるかもしれないが、誰もいないからこそ人目を憚らず万全の態勢で臨めるのだ。
これならスプラッタ表現やジャンプスケア(突然大きな音が鳴ったり恐ろしいものが映ったりする演出)にも対応できる。
だが問題は配信作品を見る時だ。子供の前で見るわけにもいかず、大抵は深夜の暗いリビングでの観賞になる。その状況だと映画館では通用していた先ほどの姿勢が、まったく意味をなさない。ソファの下、冷蔵庫の音。日常空間という作品外の要素が、怖さを加速させる装置として機能してしまうのだ。
この「配信ホラー作品をどう見るか?」という問題。先日遂にアイディアが降りてきた。距離を取れば良いのだ。
だってそうでしょう?想像してごらん。1200km離れた場所で起こってる心霊現象、怖いですか?「これは知り合いのお祖父さんの従兄の隣人のペットの犬の兄弟の飼い主に起こった話なんですが…」で始まる怪談、真剣に聞けますか?
そう。恐怖とは「我がこと」という“近さ”から立ち上る現象なのだ。ならばホラー映画からあらゆる意味で距離を取れば、怖くなくなるのではないか?
早速距離を取る為に出かけてみた
「海を見に行かないか?記事の撮影も兼ねて」
「距離を取ってホラー映画を見れば怖くないはず」という仮説を検証するため、「記事の撮影」の部分は声を小さくして妻を誘った。
さすがに衆目を集める環境では迷惑なので、人気のない場所を探す。幸いこの日はGWが終わった翌日。海辺の公園の端まで歩けば、誰もいない。
妻に「10分だけ付き合って!」とお願いし、セッティングを済ませる。
この環境で観賞する作品はNetfrixで配信されている韓国の短編ホラー作品集、『クェダム』。一話7,8分なのでサクッと検証できる。
事前に綿密な計画を立てたおかげで完璧なシステムを構築したと思っていたが、あとで音声問題を解決する便利な商品を見つけたのでご紹介しておく。皆様も是非参考にして欲しい。
ワイヤレスイヤホンという便利な商品
さあ、いよいよ視聴開始だ。