暖かくなったらまだチャンスはある?!
骨の釣針で魚は連れるのか?という問いに対しては、「釣れるよ。釣れてないけど」という結果が出た。関西人がよく言う(とされている)「○○だよ。知らんけど」みたいな、無邪気で無責任な答えだ。
この話を友達にしたら、「春先は水温が低いから魚の食いつきがいまいちだけど、温かくなったら釣れるんちゃう?知らんけど」という答えが返ってきた。さすが、類は友を呼ぶというものだ。
そのアドバイスと釣針のことを夏まで覚えていられたら、リベンジしようと思う。
歴史の授業の副読本にのっていた「縄文時代の釣針」、こんなものでほんとうに魚が釣れるのかと小学生の私は見るたびに疑問に思っていた。
先日見学した博物館の展示物を見て、その疑問が再燃したため、検証してみることにした。
目を引いたのは、主に南の島々から集められた、いろいろな手作りの釣針たちの展示だ。
オーソドックスな「Jの字型」のものから、手のこんだ形のものまで。これらの釣針は、安くて丈夫な金属製のものが普及する前に使われていたものだ。
石や木や動物の骨、変わりどころだと分厚い貝殻やココナツの殻なんかから、一つ一つ人間の手仕事で作られていて、なかなかに貴重なものだったらしい。
さて、ガラスケースの中に行儀よく並べられた個性豊かな釣針たちを見ていると、前述した疑問がむくむくと再燃してきた。
私は、現代の釣り具をもってしてもほとんど釣りに成功したためしがない。そんな私が自作した釣針で魚が釣れてしまったら、これはもう笑うしかないだろう。
うん、想像したらなんだかやる気になってきた。
木はやわらかくて折れそうだし、逆に石では硬すぎて削るのに苦労しそうだから、材料は動物の骨がいい。
さっそく材料を探す。骨を探すため、春の野山にとび出した。
私が住んでいる京都市近郊の山には、役所が害獣駆除の報奨金を出すほど動物がたくさん生息しているので、骨を見つけることはそれほど難しくない。
ダメだ......わかってはいたが、とてもではないが歯が立たない。
実際、昔の人たちも硬いものを加工するには紐を使って回転させるキリなどの道具を使っていたようだ。
道具を作るには、作るものよりももう少しだけ単純な道具を使う必要がある。この場合だと、釣針を作るにはキリが必要で、そのキリを作るには、たぶんよく切れるナイフか何かが必要なのだ。
このままでは、石ころと木の棒から人類史をやりなおすことになりかねない。骨の加工には普通に現代の道具を使うことにしよう。
30分ほどの散策で、頭蓋骨以外にも、脚の骨と背骨をゲットした。
これが釣針に化けるのだから、大自然はさながらホームセンターである。
拾ってきた骨を掃除して、まずは使えそうな部位をノコギリで大雑把に切り出していく。
何度か失敗するうちに、コツがつかめてきた。骨には割れやすい向きがあって、ノコギリを引くときにうっかりそちらの方向に力をかけてしまっていたのだ。
細かい加工には、ハンドルーターという切削工具を使う。電動である。文明の利器・オブ・文明の利器である。
野外で雨ざらしにされていた骨たちはどれも表面が黄ばんでいたのだが、表面を少し削ってやるだけで骨本来の乳白色を取り戻していくのがとても楽しかった。
釣針としては細い方が有利なのはまちがいないが、あまり細くすると折れてしまいそうだからままならない。
そんなこんなで2つが完成!
なんだかでこぼこしているが、まあこんなもんだろう。魚は綺麗な釣針に食いつくわけではないから、見栄えは気にしないことにする。
それよりも、普通の針と並べてみると、非常に目立つのが気になる。真っ白な上に太いのだから当然だ。入社式にひとりだけ真っ白なスーツを着ていくようなものだ。
この釣針に食いついてくれる魚はいるのだろうか?
必要な道具をもって、魚がいそうな川にやってきた。
水の透明度が高いと、ただでさえ目立つ白さがいっそう引き立ってしまうのではないかと心配したが、ついてみると程よく濁っていたので安心した。
ミミズがかすんでしまうほどの、圧倒的な釣針の存在感。もう少し大きなミミズを用意すればよかったかな?しかし、ここまできたらとりあえず投げ込んでみるだけだ。
頼むぞ!と一拝みしてから、魚がたむろしていそうな物影などを狙って投げ入れる。
投げては待ち、しばらくしたら引き上げて、場所を変えてまた投げては待ちをくり返す。が、なかなか釣れる気配がない。
こうなると、始める前にあった期待感はあっという間に萎縮してきてしまう。この日は予想していたよりも寒かったこともあり、さっさと帰って毛布にくるまりたくなってきた。
ずいぶん長時間こうしている気がしたが、時計を見るとまだ1時間もたっていなかった。釣れない釣りは、時間がたつのが遅い。
見切りをつけて帰るために自分への言い訳を考えはじめた頃、釣竿の先に重いものがかかる感触があった。
「お、これはもしや!」
散りかけていた意識が手元に再集合する。
恐れていたことがおきてしまった。
これが普通の釣針であれば、たとえなくしたとしても、もったいないだけの話なのだが、今回はそうはいかない。
お願いだからはずれてくれ!という一心で、釣竿をあちらこちらへ振ってみたり、釣糸をゆるめたり引っ張ってみたりする。しかし、いっこうに釣針が戻ってくる気配はない。
格闘すること約10分、どれだけあがいても針をはずすのは無理だと悟り、身を引き裂かれるような思いで糸を切った。
「2本作ったんだからつけ替えてやり直せば?」
と思われるかもしれない。しかし、たいへん申し上げにくいのだが、写真に撮っていないだけでこのあともう1本の方も同様の顛末で紛失している。”撮影すらしていない”というところから、筆者の落胆を察していただければ幸いである。
かくして、苦労して作った釣針は2本とも水中に没してしまった。いっそ川に入って探すべきかとも思ったのだが、この場所はそこそこの水深があり難しそうだった。
あきらめた。せいぜい、数百年後に発掘されて、後の世の歴史研究者をおおいに混乱させればよい。捨て台詞を残して、この日は川をあとにした。
初挑戦は、無残な結果だった。
「21世紀の日本では骨でできた釣針が現役だった?!」
というまちがった歴史の種をばら撒いたかどうかはともかく、これでは釣りをしにいったというよりは根がかりをしにいったという方が適切である。あまりにもお粗末。私が武士だったら、末代まで笑いものになることを恐れて腹をかっさばいたことまちがいなしだ。
平民なので切腹はしないが、さりとて釣針はもうないので一から作りなおすしかない。
たぶん、大昔の釣り人も釣針をなくして歯噛みしたにちがいないのだ。そして、彼らが便利な電動工具をもっていなかった分、その悔しさは何倍も大きかっただろう。
新しく作った釣針は、前に作ったのよりも形がよくなった気がする。
作業時間も短縮された。少しずつ熟練していきているのがうれしいような、そうでもないような......。
前と同じ川にやってきた。
ただ、同じ釣り方をしたのでは根がかり祭りを再現するだけなので、そうならないために少しだけ工夫をしてみることに。
このあたりは、深いところでも腰のあたりまでしか水がない。釣針が水底に引っかかっても、最悪川に入って回収することができるのだ。
釣針が水底を引っかいてしまわないように、浮きをつけた。針がどのあたりに落ちたのかも認識しやすくなるので一石二鳥である。
ついでに、糸でミミズをつけるのがものすごく大変なので餌を魚肉ソーセージに変更した。
準備はできた。あとは糸を垂らして待つだけだ。
前回同様、待っている間は暇である。これは非科学的妄想なのだが、「釣らねば!」という鬼気迫る思いをいだくと、それが釣り竿から釣り糸へと伝わって、水中の魚に警戒されるような気がする。だから、釣っている間はぼんやりとすごすのがちょうどよいのかもしれない。
この日は打って変わって、春らしい天気でポカポカと暖かかったのが救いである。
釣り竿を握る手にブルブルという振動が伝わってくる。前に根がかりしたときとは明らかにちがう感触だ!
釣り糸が川に吸い込まれているその先の水面で、バシャバシャ!水しぶきが上がった。かなり激しく暴れているようだが、釣針がはずれないところを見ると、しっかりと魚の口に食い込んでくれたらしい。
力をこめてリールを回し、釣り糸を巻きとっていく。
しかし、興奮と歓喜の絶頂にあった時間は、ものの数秒ほどで終わってしまった。
ブチッ!という感触があり、竿にかかっていた重さが消えたのだ。
釣り糸が切れたのかと思ったが、そうではなかった。
回収して見ると、なんと針のところに魚の唇と思しき肉片がついていた。針が太いせいで、魚の口の方がちぎれてしまったのだ!
おしい、もう少しだったのに!
魚は逃げたが、しかし失望はしなかった。待っていれば魚が食いつくということと、骨でできた釣針には魚に引っぱられても折れないだけの十分な強度があることがわかったからだ。
この後数時間ねばったが、二度目の当たりがくることはなかった。
骨の釣針で魚を釣ることは、たぶん可能。でも、今回は惜敗。
それにしても、いるとわかっている魚を釣れないとは、くやしい。かなり近づいても逃げないところを見ると、それほど警戒心が強いわけでもないにもかかわらずである。
というか、釣りをしている最中から思っていたのだが、これってひょっとして網があればすくえてしまうのではないか?
一投目であっさり鯉が入った。
というわけで、
網で魚をすくうのにかかった時間は実質的に数秒である。川のような比較的狭いところでは、釣針より網を使ったほうが効率がよい。ひょんなことから魚をとってサバイバルする必要に迫られたら、迷わず釣針よりも先に網を作ろうと心に誓ったのだった。
※なお、捕れた鯉は夕飯になった。
何も食べずに魚釣り、もとい魚すくいに興じていたので、帰宅する頃には空腹で気もそぞろになっていた。夕飯の時間まで我慢ができないので、家にあった肉まんを電子レンジで温めて食べることに。
あ、そういえばちょうど便利なものをもっていたような......。
骨の釣針で魚は連れるのか?という問いに対しては、「釣れるよ。釣れてないけど」という結果が出た。関西人がよく言う(とされている)「○○だよ。知らんけど」みたいな、無邪気で無責任な答えだ。
この話を友達にしたら、「春先は水温が低いから魚の食いつきがいまいちだけど、温かくなったら釣れるんちゃう?知らんけど」という答えが返ってきた。さすが、類は友を呼ぶというものだ。
そのアドバイスと釣針のことを夏まで覚えていられたら、リベンジしようと思う。
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